「ゴール」ではなく「プロセス」。キッカケは東日本大震災。縁もゆかりもない人たちから学んだ気軽に踏み込む勇気。


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  • 高橋譲司/100CLUBメンバー。コミュニティや街並み調査と称して茅ヶ崎の居酒屋を廻っている。都内の企業で会社員をしているが人生100年を見据えて住まいのある茅ヶ崎でいつまでも楽しさのある生活を取材を通して模索中。

新卒から建設業界1本で働いてきた高橋譲司さん。30代後半まで多忙を極めてきたが生活リズムに疑問を持ち、これまでに複数のコミュニティに参加・運営してきた譲司さんのキャリアとこれからの目標について伺いました。

ー いきなりなんですけど、人生100年時代についてどう思われてますか?

高橋 やっぱりわくわくしますよね。

ー 結構めずらしいタイプですね!今後のことを考えると憂鬱とか不安になられる人が多いですけど。

高橋 健康で長生きできれば色々なチャンスがあると思うので。

ー 今日は楽しいお話が聞けそうですね!ワクワクします笑
では、今までのキャリアを教えて下さい。

高橋 最近の若い人たちは結構転職を何回かしていると思うのですが、転職をしたことがなく、大学が建築学科で卒業してからずっと今の建設会社にずっといます。しばらくたってから何も考えていなかったなと気づきました。

ー それはどういう事でしょうか?

高橋 もっとその時の自分のキャリアを考えればよかったかなとは思っています。大学では放送研究会にいまして学祭にむけて、ねるとんみたいなコンパ企画をしたりして、ビデオ撮影してたりしてたのでテレビ局に持ち込んで面接とか受ければよかったのかなと思ったりしたのですが、結局建設会社しか受けませんでした。

ー では大学を受ける段階でもう建設業界と決まっていた?

高橋 そうですね。漠然としていましたが、建築ってデザインとかあるので人とか関わったりできるので。
デザインって積み重ねではなくていいものを採用されるので、正直楽できるのはないかと思った部分もあります笑
もちろん皆さん努力を当たり前のようにしていたのですが、最初は気づきませんでしたね笑

ー 一方で番組制作とかもやられていたんですよね?別の道への憧れに気づいたキッカケやタイミングっていつ頃でしたか?

高橋 30年も前なので定かではないんですが、人と関わられると思ったからじゃないかな?入社して5年〜10年くらいでバブルが弾けて仕事が減り、あまりおもしろくない仕事が多くなってきて10年目くらいで他のことを視野にいれて振り返ったりしました。ただ当時すでに結婚していて子供もいたので特に新しい世界へ踏み込むなどはなかったです。

ー 今までで1番イキイキしていたエピソードはありますか?俺、イケてたみたいな。笑

高橋 うーん、、自慢話ってほどでもないんですけど、大きな半導体工場の仕事をやっていて1年で完成させろという無茶振りをされて。工事だけでも1年くらいかかるんですよ?!当時は現場が新潟だったので新潟まで行って1年間ほぼ土日も休みなく働き続けたことがあります。

ー その時はおいくつくらい?

高橋 30歳くらいの時ですね。仕事中心の生活で帰りが12時すぎ、朝は6時すぎにでる、休みなしの生活だったので当時の奥さんが期間中ほとんど実家に帰っていました。

ー 当時どういう心境でしたか?

高橋 周りも同じような感じでしたし、体力もありましたからね。でも今では考えられません。当時はプライベートと仕事の両立とかも考えられなかったですし、能力もなかったと思います。

ー そんな仕事一筋だった譲司さんですが、湘南ワンハンドレッドクラブに入ったきっかけは?

高橋 僕そもそも石巻出身なんですけど、震災のときに縁もゆかりもない方々が多方面から助けにきてくれ、移住してくれる人までいたりしたので、地元の支援者も交えてコミュニティスペースを作ってイベントを開催していました。当時は地元に月に1回くらい帰って参加したり飲み会とかしたりしていました。首都圏から来てくれていた人達と東京で飲んだりもするようにもなりましたね。それ以降地域コミュニティに注目するようになりました。茅ヶ崎に移り住んだ際にチガラボを発見したのでチガラボのFacebookのイベントで自分が興味あるものに月に1回くらい参加し始めたのがキッカケです。ワンハンドレッドクラブはその時丁度人を募集していたので、良い機会だと思って軽い気持ちでジョインしたのが始まりですね。

ー 石巻・・大変でしたね。震災は大丈夫でしたか?
当時のコミュニティの中で出会った人たちとはどんな印象でした?

高橋 うちは半壊でかなりひどい状況でしたが、周りの方々の被害が甚大だったのでそれに比べれば大した事はないと思えました。すぐ近所で全壊したり流されたりされてしまっていたので。

石巻に移住した人達に関しては、おそらくほとんどの人たちは長く住むつもりはなかったと思うんです。瓦礫の撤去とかが1〜2ヶ月くらいしたら一段落してまた元居た場所へ帰る予定だったと思うんですけど、地域の人達と伴が芽生えて移住していました。例えば他の地域の人が石巻で店舗を出したいといっても地元の貸主から拒絶されるんですけど、、双方の信頼関係がそのコミュニティにあったからこそ「あの人なら貸してやんべ〜」みたいな感じですんなり仕事が始められてそのまま根付いている人たちが結構いましたね。

ー 何か影響受けました?

高橋 分からなくても飛び込んじゃえ!みたいな気持ちにはなりましたね。
計画的ではなく、とりあえず始めてみる。そういう気持ちを培いましたね。

ー 計画なく行動するのはなかなか難しいですよね。
ではその時がキッカケでこうゆうコミュニティに興味がでたんですか?

高橋 そうですね。もうひとつキッカケがあって横浜に住んでいるときに和田町ってところで知り合いがコミュニティスペースをやっていたんですけど店長が辞められて、日替わり曜日担当でやろうと言う話になって1年ほど僕が土曜日担当になりました。

ー では横浜時代から運営側に携わっていたんですね!

高橋 実家がお茶屋なのでお茶をメニューに取り入れてカフェ運営したりしてました。
あんまりうまくいかなかったんですけどね。(笑)これが40歳くらいのときですね。

ー 30歳のときが仕事メインで大きな仕事をやり遂げつつ、40歳くらいでコミュニティスペース運営に携わり、日本茶インストラクターの資格を活かしてコミュニティ活動していたんですね。ちなみに日本茶インストラクターの資格を取ったのも40歳くらいの時ですか?

高橋 そうですね。親が小売業で幼少期から正月以外はずっと働いていたんですけど、どうやって作っているのか興味がでてお茶畑を借りちゃったりもしていました。でも借りたは良いんですけど、サラリーマンなので土日しか行けなかったり天候にも左右されるので思ったより美味しいお茶ができなかったのが実態ですね。

ー 譲司さん探究心ありますね。

高橋 好奇心はあると思うのですが、継続するのは苦手ですね。笑

ー でもやるのとやらないのとでは全然意味が違いますよね!

高橋 まあやらないよりはやったほうが良かったですね。生産者の気持ちなどもわかる事ができたかもしれません。

ー ではその頃からご自身の中で生活が変わってきたんですか?

高橋 それまでがあまりにも忙しくて、30代後半くらいからようやく色々やり始めた時で生き方を考えるようになりました。

ー 色んなコミュニティに参加していたからこそ茅ヶ崎でコミュニティスペースができた時は自然に入ってこられたんですね。
譲司さんから見たチガラボでの活動ってどうですか?

高橋 チガラボは活気があって運営の方々のコンセプトがしっかりしていて、あまり茅ヶ崎歴は長くない方でも柱となって活動しているので僕らメンバーがもっとしっかり動かないといけないと思いつつ、やはり仕事をしている以上全てに時間を割くことができないので難しいのが現状ですね。

ー 日本茶を使ってなにかやられたい?

高橋 そうですね〜。やりたいんですけどおじさんがやってもなかなかさまにならないかもしれません。笑

ー それこそチガラボチャレンジでアイディア出したら他の人達からもいろんなアドバイス貰えそうですよね。
50代になられて定年も見えてきている状況ではあるが、一方で人生100年時代。ワクワクされてると思いますが、何かやっていきたいことはありますか?

高橋 コロナになってリモートワークになっていて、地域活動に力がいれられるようになりましたね。建設・不動産系のなにかで事業をやろうと思ってはいるのですが、お茶も交わらせつつやっていきたいですね。

ー なにかやろうと思ったときに茅ヶ崎という土地でやりやすさや魅力はありますか?

高橋 やりやすさはまだわからないのですが、茅ヶ崎に住む決め手になったのが年配の方々の茅ヶ崎独特のゆるい雰囲気が好きで、他の地域より茅ヶ崎の人はなんとなく自然で地域にはびこっている感じ。自分より年配の人たちが若者より楽しんでる気がするので自分ももっと老いた時にここで長く住みたいと思いました。

ー 住むことがキッカケにあってここで何か始めたいと思ったんですね。
これからの人生にて自分が理想とするあり方を教えてください。

高橋 まさに今ですけどチガラボなどで地域のコミュニティに参加して事業であったり遊びであったりそういうコミュニティを築き上げていきたいですね。
震災から10年たちましたがまだ道半ばのように見えますが、ゴールってないのかなと思いますし、今の結果も成果物ですし続ける事が大切なんだと思います。

ー プロセス自体が大事って事ですね。

高橋 ゴールは見据えているのかもしれないですけど、プロセスは大事だなあと震災・復興10年の節目で今感じますね。

ー ではそこに向けてコミュニティに参加されているんですね。

高橋 でもまだ怠けてしまっていてもっとできると自分では思っているんですけどなかなかね・・・

ー 茅ヶ崎のゆるい空気に飲まれてしまっているんですね。笑

高橋 本当そうです。笑

ー 現在はワンハンドレッドクラブでどのような活動をしていますか?

高橋 コアメンバーには頼ってしまっている部分も多いですけど、取材できる人を探す、取材申し込む、インタビューする流れです。僕のいきつけの居酒屋の店主さんで面白い経歴の方がいたのでお声がけさせていただきました。

ー インタビューした感想は?

高橋 慣れないので緊張はしましたけど、楽しいですよ。どうゆう話を引き出そうとか趣旨にそった話を聞き出したいので話をどのように展開していこうとかね。
この記事を読んでもらって読んだよ!とか言われると嬉しいですよね。

ー 今後の活動はどのように続けていきたいですか?

高橋 インタビューは続けていきたいですね。茅ヶ崎にきてまだ5年くらいなのでまた違ったコミュニティが沢山あると思うので、そのコミュニティで中心的に動いている人たちを取材していきたいですね。そして僕も一緒に関わっていけたら嬉しいです。そしてその輪をもっと広げてワンハンドレッドクラブの皆様とも繋げていくのが目標ですね。

ー 急がずにじっくりやっていけたらいいですね。ご自身が取材に行った方がいろんな方に知られて、その方に会いに来られた方と譲司さんが会えたら更に面白くなりそうですね。

高橋 絶対楽しいですよね!たぶん一杯奢っちゃうと思います。笑

ー そうゆう人との繋がり方面白いですね!今後に期待したいです!本日はありがとうございました。

 

<インタビューを終えて>
問いかけひとつに決して即答することなく、自分の思いをさぐるようにゆっくり時間をかけて語りはじめる譲司さん。言葉は多くはなく、言い回しを飾ることもしないお話しは、その丁寧な“間”がとても印象に残るインタビューでした。100年ライフは急がず飾らず、プロセスを丁寧に生きていくことだと、譲司さんの語り口がそう言っているようです。
中村よう

 

取材:中村よう
文 :佐野絵梨子
撮影:あさな