未来は結果でしかない。今日のアクションで結果は変わる。だから僕は今を全機現する。

 

都内のIT企業が茅ヶ崎にサテライトオフィスを設立!?コロナ禍で私たちのはたらく環境は大きく変化しました。その中で働き方、オフィスのあり方を問い続ける株式会社ZENKIGEN。その背景には社名の元となる「全機現(ぜんきげん)」という禅の言葉から生まれたビジョンがありました。「自分の人生を主人公として自分らしく生きる」世界を実現したいと語る水野宇広さんにこれまでのキャリアからZENKIGENで目指したいことに迫ります。

(水野 宇広(みずの たかひろ)さんプロフィール)
株式会社ZENKIGEN 取締役/新卒で大手損保会社に入社後、1年後に20代とベンチャー企業に特化した人材サービス企業の立ち上げに携わる。その後、様々な業界での事業の立ち上げに携わり、2017年にZENKIGENを代表取締役野澤氏とともに創業する。
「テクノロジーを通じて、人と企業が全機現できる社会の創出に貢献する」をビジョンに掲げ、採用DXサービス「harutaka(ハルタカ)」の企画・運営などを行う。東京都千代田区大手町に本社を構えながら、2020年に茅ヶ崎市サザンビーチ前にサテライトオフィスである『zenkigen sazan beach office(SBO)』を設立。「茅ヶ崎から世界へ」を目指して、地域を巻き込んだ新たな取り組みも検討している。

【関連情報】株式会社ZENKIGEN
・ウェブサイト https://zenkigen.co.jp/
 

(聞き手)

  • 山口順平/100CLUBリーダー。都内の企業で会社員をしながら住んでいる茅ヶ崎で複業を実践。ワクワクしながら自分で人生の舵を取り進んでいく生き方に憧れ、取材を続けている。

 
ー 水野さんと私はもともと共通の友人を通じて一緒にサーフィンをしたのが最初の出会いでしたね。実は同じ会社で働いていたけれど、部署が違ったのでご一緒する機会はありませんでした。そんな会社の先輩である水野さんが今は起業をされて、朝サーフィンをして、その後茅ヶ崎のサテライトオフィスで仕事をするという理想のライフスタイルを築いている。そんな憧れの先輩からその豊かな生き方・暮らし方の秘訣を聞こうと思い、取材の機会を頂きました。

水野 ありがとう。僕らも今回の話をきっかけに会社を知ってもらったり、湘南・茅ヶ崎に移住を検討する人が増えたらと思うのでぜひよろしくお願いします。

ー 早速ですが、今までの経歴ついて教えてほしいです。最初は大手の損保に入社されたのですよね?

水野 当時新卒で気になっていたベンチャーの人材サービス会社と大手損保会社両方から内定をもらっていました。ベンチャーの人材サービスは大学の時の仲間が1年前から入社をしていて、自分も新卒で内定をもらいました。ただ他の会社も受けてみようと思い、内定をもらったのが大手損保会社。その頃大手からベンチャーに転職する道はあっても、ベンチャーから大手に転職する道って無かったのね。新卒じゃないと大手企業って入ることができないと思ったから、いきなりスタートアップ企業ではなく、いったんは大手企業の中を知ってからでもいいのかなと思って大手損保会社を選びました。当時外資系の金融が参入してきた時代で、金融ビッグバンという業界再編の時期であったので、それも面白いかなというのもありました。

ー そこから1年ほどで人材サービスに転職されていますよね?

水野 働いて1年くらいした頃、もう一つ気になっていた人材サービス会社が上場をして、業績も伸びていっていました。その時に人材サービス会社の新しい取り組みで「社内ベンチャー制度」というのが出来たと大学の友人から聞いたんです。

ー 社内ベンチャー制度。興味深いです。

水野 そう。そういうのが出来たから応募してみない?と誘いを受けて、それ面白いねと自分も思って応募をしたのがきっかけでした。社内ベンチャー制度とは、社員が新規事業を起案して、審査に通れば会社から数千万投資を受けて新規事業をスタートすることが出来るというものだったのね。そこでOKをもらえました。
僕たちが起案した内容は、20代とベンチャー企業に特化したカテゴリーで人材紹介サービスをするというもの。ベンチャーから大手、大手からベンチャーを自由に転職できる選択肢を増やす転職インフラを創ろうという内容でした。自分が新卒の時に感じたベンチャーから大手の道がない不都合をきっかけに起案した内容でエントリーをしたらそれが見事通過して。

ー そうだったのですか。

水野 それでこんなチャンスはそうないなと思って、すぐ辞表を提出しに行きました(笑)。
次の1年の自分の成長を考えたときにこれ以上の機会は無いと思って。本当は損保会社で3年くらい働こうとは思っていたのだけど。裏話では実は会社で承認がまだとれていなかったけれど、先に辞表を出した旨を報告したら、その本気度を買ってもらえたのかな。
それで最終的に話がまとまって、人材サービス会社の子会社の立ち上げに関わることになりました。

ー 実際立ち上げはいかがでしたか?

水野 最初はとにかく働きまくっていて、業績も好調でした。ただ、数年経った頃に会社のグループ全体の戦略が変わって子会社を統合する動きがありました。そのタイミングで辞める社員も結構いたけれど、自分は安易に辞める意思決定をするのはどうなのかなとも思って、成長する会社の中でマネジメントの経験をしてもいいかなと、統合から2年ほど残りました。その中で不採算部門の立て直しや、新しいチームの立ち上げ、中途採用の人事担当とかいろいろな経験を積ませてもらいました。

ー その後は業界が異なる新たな会社の立ち上げに携わっていますよね?

水野 そうです。転職の支援をしていたのがベンチャー企業だったこともあり、スタートアップ関連の人脈がめちゃくちゃ沢山出来たのね。たまたま転職支援をした方から声がかかって、スタートアップをやらないかという話がありました。ちょうどその頃、同じようにいくつかのスタートアップから声をかけてもらって考えるきっかけもあり、今までの0から1をつくる経験を試すということをやってみようと考えて、人材サービス会社を辞めてIT企業の立ち上げに携わりました。その時30歳かな。

ー 30歳までにすごい経験をしてますね。このあたりで自分の強みは見えていましたか?

水野 そうですね。次の会社でも肩書は取締役経営管理部長だけど、ベンチャーだから営業だってなんだってやるわけです。自分の強みとして、0から1を立ち上げるのに必要なことを一通り経験してきているということはあるし、いい人材を採用してチームビルディングをして、組織として基盤を作って拡大していくという経験はそこでも活かせたと思います。それを同じ人材サービス業でやるなら自信はあったけど、あえて次の会社は今までと全く違うモバイル広告・メディア事業でチャレンジをしました。その頃ちょうど結婚もして子供も生まれるタイミングでした。

ー それは公私ともに大きな変化、チャレンジですね。奥様からからも理解は得られたのでしょうか?

水野 妻には、「チャレンジをしていきたいので応援よろしくお願いします」ときちんと理解を得られるように話をしましたね。
自分の中では、「一番高いハードルにチャレンジしよう」というのは決めていて、その時は大変でも乗り越えていければ外部環境が変わっても生きていけるサバイバル力みたいなものを身につけたいというのはあったかな。
学生のころから、戦後経済の仕組みがいつまでも続くわけがないとは思っていて。アメリカを見ても、優秀な学生が就職より起業という選択肢をとるのが98年くらいに出てきていて、日本はまだそこに追いついていなかった。でも必ず新たな事業をつくる力は求められるだろうというのは確信を持っていたので、大変でもそこを乗り越えれば必ず希少性も高まるし、それが自分自身の最大のリスクコントロールになるという想いはあったかな。

ー 普通の人が選択しない道を選択することで、希少価値を高めるというのは確かにそうですね。ただ、なかなかそれを選択できないのが人だったりしますよね。

水野 歴史を振り返っても、マイノリティが新しいものを作ってきたと思うんですよ。幕末とかだって何十人とかから始まっているじゃないですか。成熟してくるとみんな安心安全のところにいて新しいチャレンジをしたくなくなるのは歴史を見れば一目瞭然なんですよね。
それをとても感じた体験があったんです。人材サービスで働いていた時に何千人と転職者に会うじゃないですか。そうすると、世の中にはめちゃくちゃ優秀な人がいっぱいいるなと思うわけです。この人には敵わないなと。だけどそんな優秀な人でも意外と会社の中で言われたことばかりで働いているなと感じて、逆にチャンスだと思った。意外と一歩踏み出す勇気が持てない人が多いなと思ったので、逆に人が選ばない道を選ぶことはすごい能力を持っていない自分にとっては自分の希少性や価値を上げる上でも絶対そっちのほうがいいんだろうなと思いましたね。仕組みが整っているところで働くのではなく、仕組みを新たに作る側としてチャレンジしていきたいなと思ったかな。

ー その後も仕組みを作る側として様々な企業でチャレンジしていますよね。

水野 そうだね。30代はとにかく0から1をつくる経験を様々な領域でやってきた。労働集約的なサービスからテクノロジーを活用したプロダクトサービス、BtoBもBtoCも。さらに海外に持っていったり、海外から持ってきたり。そういう意味では結果の大小はともかく、チャレンジの幅は広くできたのかなとは思いますね。

ー たくさんの起業を経験されて、今の会社ZENKIGENはどのような経緯で立ち上げをされたのでしょうか?

水野 ZENKIGEN設立には結構大きな意識変容がありました。30代は自分が社会に価値あるものを生み出せるようになりたいという想いで走ってきましたが、その2015~16年ころ、30代終わりに差し掛かった時に世の中も大きく変わりだしたと感じました。どう変わったかというと、スタートアップに投資をするベンチャーキャピタルがどんどん整備されて、創業から3年で上場する企業というのも沢山生まれ始めた。上場したタイミングで時価総額1000億を超える、かつ、競争環境がどんどん早まっていく。その一方で、競争の中でひたすらやり続けていくのかということに疑問を感じるようになりました。
それと同時に40歳を前にして人生をかけていく大きなテーマに今までの経験を使って向き合っていきたいなという欲求が自分の中で出てきて、そのテーマなんだろうというのを考え始めました。その頃に実は茅ヶ崎に引っ越して来ました。

ー そうだったのですね。

水野 人生を思い返すと、実は僕は大学付属の高校も中退しているのね。いい大学に入っていい会社に就職するために付属高校に入ったのだけど、「本当に俺の人生これでいいんだっけ?その仕組みの中で評価されているこの社会は俺の事わかってくれない」みたいな、そんな熱い時期もありました。でも通常の道を一度外れてみないとわからないことってあると思うんですよね。今になって高校の時はなぜそんなことを感じていたのだろうとか、教育システムの中でなぜ違和感を持っていたのかなどが全体を俯瞰して見えるようになってきた。俯瞰してみた時に、同じような若者、就活中の学生、社会人とかが沢山いると思い、その仕組みを変えることに興味を持つようになりました。
その中で代表の野澤 比日樹と次のキャリアについて話す機会があって、ZENKIGENのコンセプトを話すことがあり、ビジョンに共感しました。
だから、今までの起業とは全く位置づけが違って、このビジョンを僕は人生をかけてやり遂げる。僕の人生の中でやり遂げられない部分も継続していけるように会社のビジョンとしてしっかり残していく。継続的に向き合っていけるようなチームをつくることに貢献していきたいという想いでつくっているので、今までのチャレンジとはまた違った想いがZENKIGENにはありますね。

ー ZENKIGENのビジョンともなっている「全機現(ぜんきげん)」は「人の持つ能力がすべて発揮されている状態」という定義であっていますか?

水野 これはですね、私たちが提供しているサービスが今は働く環境に注力しているので、「自分の能力が最大限発揮できるような仕事ができたらいいよね。そういう人生が送れたらいいよね」という意味で使っていますが、元は禅の言葉なんです。禅の言葉でいうと、もうちょっとシンプルで、「自分の人生を主人公として自分らしく生きる」というのが全機現なんですよ。
禅でいうと、死と生の境目が全機現。「死んだら何も持っていけないし、何かに縛られないで素の自分でいきいきと生きる。その自分に向き合っていこうぜ」という死と生のぎりぎりの状態のことを表すようです。
これはマハトマ・ガンディーが「毎日夜死んで次の日生まれ変わりなさい」(毎晩眠りにつくたびに、私は死ぬ。そして翌朝目をさますとき、生まれ変わる。/Every time I get to sleep every night, I die. And when waking up in the next morning, it’s reborn.)と言っているのと同じで、普遍の真理だと思うんですよね。ものごとにとらわれないで捨てて、自分で幸せを感じて毎日生きていくことが大事だから、例えば、「他の人がお金を沢山持っていても別に自分には関係ないし、自分の幸せ追求していこうぜ」とか、うまくいこうが失敗しようが、結果がどうなるかはそのとき色々あるかもしれないけど、やりきっていれば別にその時うまくいかなくても、もう一回やろうと思えばいいわけで。だから、本来の意味でいうと、「自分らしくいきいきと」。ちなみに「主人公」というのも元は禅の言葉らしいですね。

ー 「主人公」ってあたりまえのように使っていますけど、それも禅の言葉なんですね

水野 「自分の人生を主人公として生きる」というのが僕の中の全機現なわけですけれど、イメージとしては幼稚園生や小学生がバスで遠足に行く時の活気が、通勤の電車で起こっているという感じ。大人たちがそんな風になったら世の中はどれだけ明るくなるだろうかと想像したら、たぶんみんな笑っちゃうと思うんですよ。絶対俺やるわみたいなワクワク感。
子どものほうが無邪気じゃないですか。囚われていないからあんな風に動けているので、大人だって自分の意識で変えることが出来るものだと思います。障壁となっている構造や社会を変えて実現できるイメージを持っているのが僕らZENKIGENなんですよ。大きいビジョンなんですけど。

ー 幼稚園生のようなワクワク感最高ですね。まずはビジョンを叶える一つとして、harutakaというWEB面接ツールからサービスを進められているのでしょうか。テクノロジーを活用して他のサービスにも広げていく予定なのでしょうか?

水野 そうですね。まずは採用の仕組みもSPIとエントリーシートだけで選考に落とされるなんてナンセンスだと思います。もっと素の自分を見てくれと学生からしたら思いますよね。でも企業からしたら時間がないからそこまで見ることができない状態なわけです。今解決できないことをテクノロジー活用して解決できる方法に取り組むのが採用DX(デジタルトランスフォーメーション)です。
面接以外にも職場における人の評価という場面もあります。所属の上司によって評価バイアスがかかっていると思うことや、評価が人事異動や成長・育成に本当に活かされているのだろうかと思うことはよくありますよね。そういった時にもっと正しい情報とかデータを組み合わせて、点ではなく継続した情報で見ていったらプラスになることは絶対あるというのは誰もがそう思うと思います。感覚だけではなく、情報・データを基に最適な人やチームの組み合わせをつくることで組織のDXを実現することをやりたいなと思います。
また、動画を使うことで今まで取得できなかったような情報を取得できるようになってきています。面接だけでなく、上司部下とのコミュニケーションなどの関係値をAIが分析をして、信頼関係を可視化させていくようなことで解決していったりとか。
他にもうつやメンタル・ストレスの状態も大幅に改善できると思っています。毎日体重計を乗るように自分でチェックをして、状態を見て今日はオーバーワークは止めようとか、ちょっと疲れがたまっているから今週末はゆっくり休もうとか、小さく状態を戻していけばうつはすごく減らすことができるし、ゼロにできるのではないかと思っています。足を骨折していたらそれ以上走ることができないとすぐわかるけど、心の状態はすぐわからないので可視化は大事だと思っています。

ー ということは、動画の情報を解析する技術が会社のコアな部分になるのでしょうか?

水野 そうですね。動画情報の解析ってまだ世界でもこれからなんですよ。AIによるテキストの解析とかは進んできていますが、動画データを持っている会社もまだ少ないし、動画情報の解析をするのは世界でもよーいドンの状態なんです。なので、そこは先行してやっていきたい。
中期的には全機現する状態というのは、働く環境だけに限らないので、医療分野でもできることはあるかもしれないし、教育の世界でもあるかもしれない。
高齢者の方が全機現するためにはどうすればいいのかということにも興味があって、環境設定や場づくりで人生は変わると思うんです。事業としての時間軸はまだ先かもしれないけど、いつか手を広げていきたいなとも考えています。
茅ヶ崎に僕らのサテライトオフィスが出来て、どうやったら地域の高齢者に貢献できるのかとかそういうことも考えていきたいと思っていますね。

ー 茅ヶ崎にサテライトオフィスを構えるというのも特徴的だと思うのですが、どのような想いから実現したのでしょうか?

水野 まずはコロナが発生して、その中で僕らが全機現できるためにはどういう働き方をすべきかというのはずっと考えてきました。リモートワークによって通勤はしなくてよくなったけれど、同じ人としか会話をすることがなくなってしまい、雑談が減って関係が希薄化しています。今までは仕事する時が会社、だったのが今は家でも仕事ができます。そうなった時に今まで生活と仕事が切り離されていたものが、生活の場に仕事が入ってきたというのが一番の変化だと思います。そうするとオフィスというのはこれからどうなっていくのかという問いが立ちます。働く場の再定義をしようと考えたときに、仕事をする場ではなく、人が集まることで関係構築をする場でありたいという一つの結論にたどり着きました。話の中から偶然の出会いや予想外の発見があったり、困ったときに仕事だけではない関係があったから支えになってくれたりとか。
あとは運動が減って、健康状態も悪くなるいうこともあって、大手町のオフィスだけでなく自然の近くにオフィスがあったらいいのではとか、今までとは異なる非日常の環境なども考えました。その結果、東京からもアクセスがしやすい場所で、行く価値がある場所に場づくりをしようと考えました。東京のオフィス拡張をやめて、東京と茅ヶ崎のオフィスを選択出来て、かつ自宅でも働ける場づくりをしようと動き出しましたね。考えてから3,4か月くらいで実現できましたね。

ー 反対意見はありましたか?

水野 投資家からは反対意見もありました。コスト削減をしなければいけない時期になぜ新たなオフィスを構えるのかと説明を求められました。僕らはまだスタートアップなので、投資家から預かっているお金をどこに投資して、会社の成長にどうつなげていくのかを本当に問われます。そのため、社員の働きやすさや健康だけではなかなか理解が得られないわけです。そこはしっかり説明をして、新しい働き方を僕ら自身が率先して生み出していくということ、採用という観点からも実は湘南エリアに住んでいる優秀な方にアプローチするという点でも実はチャンスがあるということ。また近隣の大学のインターン先としても可能性があることなど投資家の方々にも説明をしたことにより、今では応援をしてもらえるように流れが変わってきましたね。

ー 新しい働き方がどんどん増えていきそうな予感がしますね。

水野 「茅ヶ崎から世界へ」というのを発信しているんですよ。世界最高のビーチシティを目指して、観光だけではない産業をつくっていく。富士山が見えるこのロケーションはカリフォルニアより絶対いいでしょ(笑)。ただ、企業は圧倒的に少ないし、ローカルで閉じてしまっていることがあると思います。「Think Globally, Act Locally」とか「グローカル」という言葉があるように、グローバルとつながっていくHUBが必要だと思っています。
そのとき、まずは東京の企業などに茅ヶ崎に来てもらう機会があったらと思い、様々な機会を企画していて、すでに都心の起業家50人以上すでにこのオフィスに来てくれています。またその際には必ず茅ヶ崎市の方々をお呼びしていて、起業家と行政をつなぐ役割も、少なからず担い始めていると自負しています。4月もお呼びするイベントを考えていて、その時にもまた茅ヶ崎市の町興しや雇用創出などに関連する部門の方々にいらして頂く予定となっています。

ー 茅ヶ崎はまだまだポテンシャルありますね。

水野 ポテンシャルしかない(笑)。ビジネスの発展性でいくと鎌倉とかと比べると今はまだローカルタウンなので、ポテンシャルあると思います。ただ、我々がやるぞと言っていてもそこに住んでいる方から賛同いただける方が出てこないといけないと思っています。東京から縁もなく来た企業なので、地道に地域に理解されるように一体となって活動していけたらと思っています。

ー 最後になりますが、人生100年時代を「自分の人生を主人公として自分らしく生きる」ために、どんなことからやっていけばよいでしょうか?

水野 壮大な質問が来ましたね(笑)。僕も人生を歩んでいる途中なので、私の経験からお伝えできることを述べさせていただくと、僕自身を振り返った時に「何に人生かけていったらいいか」とか、「何をやっていったら自分が満たされるのか」というのは答え探ししても出てこないものだと思っています。
働きながら「これでいいんだっけ?」という答え探しをしても出てこないものなんだろうなと。でも日常の中でふと降りてくるのだったりすると思うんだよね。
なので、1つ目のメッセージとしては、「まず答え探しはやめようぜ」ということです。
みんな自然と考えてしまう。今の自分でいいんだっけ。こうなりたいという期待感とのギャップに苦しむとか。それもやめようぜというのがすごく重要かなと思っています。
2つ目は、どんなチャレンジをしていくのにも自己肯定感が大事だと思っています。
人に否定されながらでもやっていけるのは自分を信じる力、自己肯定感だと思っています。毎日、自分は最高だ、元気に暮らしているだけで最高だという幸せを毎日かみしめる。それを徹底してかみしめることで、しっかり自信をもって自己肯定感を保つ。
最後3つ目は、その日今日一日こういう生活が出来てよかったなと思ってすべてを捨てて、次の日新しく迎える朝を新しい人生だと思って生きていく。という全機現っぽい考え方なんだけど、それを繰り返していったら必ず自分のやりたいこととか自分が何に貢献できるかということは自ずと考えなくてもそこに向き合っていられるようになると思います。
だから今生きている年数が10年なのか50年なのか70,80年なのか関係ないんですよ。
毎日日々全機現しているので、100才だろうと関係ないですという感覚。
全く計画をもたずに生きるというのとは違うと思うのですけど、期待感を捨てた上で計画を立てることはとても大事で、僕自身も今でもそれを続けていこうと思っています。
みんな理想とのギャップに苦しんだり、自分が失敗してしまったことの責任とか、未来とか過去に囚われてしまっているんだよね。今の幸せをかみしめる。どうでもいいじゃん終わったことは。
未来を考えることも大事かもしれないけど、未来は結果でしかないから今日のアクションで結果は変わっていく。僕はそう考えています。
これは幸せの秘訣で、夫婦関係から子供との関係も全部一緒だと思っている。
その瞬間で会えなくなるかもしれないということ。だから会えなくなっても後悔しないもん。今まさに全機現しているから。

ー 本日は貴重なお話をありがとうございました。全機現の感覚少しわかったかもしれません。今度は一緒にサーフィンしましょう。これからもよろしくお願いします。

【関連情報】株式会社ZENKIGEN
・ウェブサイト https://zenkigen.co.jp/
 

 

 
 
<マイレジェンドから学んだこと>
インタビューの後。
●宇さん(あえてここは名前で呼ばせていただきます)とは茅ヶ崎の飲み仲間というつながりでしたが、今回取材をきっかけに深い部分まで理解をする機会を頂けて、本当に良かったです。
「リモートで仕事しているんだったら、たまにはオフィスに遊びに来ればいいじゃん」「最近サーフィンしてる?」と気軽に声をかけてくれるやさしさ。いつもにこやかな姿はどこから生まれてくるのだろうと思っていましたが、毎日を全機現するという生き方にこそ原点があるのだと気づかされました。私もは仕事の中で「こんな結果になったらどうしよう」「本来こうあるべきなのになぜうまくいかないのだろう」などもよく考えてしまうのですが、宇さんは常にチャレンジが求められるスタートアップ企業を渡り歩いた経験で身に着けたサバイバル術として「今を生きる」ことを身につけられたように感じました。
私も会社の中で新規事業に携わる者として、全機現の生き方を少しでも真似しながらワクワクした日々を送れるようになっていきたいと思います。
(山口順平)

 

取材:山口順平
文 :山口順平、もりおかゆか
撮影:岩井田優