自分では“当たり前”に思っているものが強みになることもある。流れに身を任せて“得意”を活かせる活動を。


「情報技術をビジネスに活かす」を軸にデータに関わる仕事をしてきた堤健一郎さん。コロナ禍でフルリモートに移行し時間に余白が生まれたことで、湘南ワンハンドレッドプロジェクトの『企業人の「越境」プログラム』(本文中『越境』)への参加や、コロナ禍で開始された茅ヶ崎のテイクアウトできる飲食店を紹介するプロジェクト『茅ヶ崎food action(フードアクション)』のクラウドファンディングを担当するなど、地域活動へ参加し始めています。また、個人の取り組みとしては自分の強みを分析するツール「ストレングスファインダー」認定講師資格を取得しコーチングの活動を始めるなど、会社以外に幅を広げて活動を始めている堤さんのマイストーリーをお聞きします。

ー 堤さんとはチガラボでもよくお話をしていますけれど、なかなか経歴をじっくりお聞きしたことはありませんでしたよね。まずは今のお仕事から教えていただけますか。

堤 今は、都内のIT企業でネット通販のマーケティングの仕事をしています。GoogleやFacebookの広告出稿に関する仕事で、特定データの定点観測をして気になる動きがあればそこを深堀していったりと、エクセルとにらめっこする毎日です。

ー 僕、以前に堤さんが「データを見ながらお酒が飲める」って仰っていたことが印象に残っています(笑)。

堤 (笑)。はい、Googleトレンドを見ながらお酒飲めます(笑)。データだけではなく、日々のトレンドもチェックしているんです。例えば、テレビで「最近は通販で○○が流行っています」というような特集があったとすると、本当にその動きが出ているんだろうかと、社内のデータやGoogleトレンドを見て、その真偽のほどやいつ頃から流行り始めたのかを分析したり。そういう仕事を半分趣味みたいな感じでやっています。

ー 堤さんは、現在の会社は中途入社と伺いました。

堤 そうですね。今の会社が5社目です。

ー 5社! 初めから、今のようなデータ分析系の仕事をしているんですか?

堤 いえ、スタートは全く違うんです。最初は、全国展開している料理教室で、食品や調味料メーカーのスポンサー獲得の営業やそれに伴う販促企画などを担当していました。広告料をいただく代わりに、例えば(会員向けの)会報誌に掲載するレシピに、「○○社のマヨネーズがぴったり」といれこんだり、「Sponsored by○○」のようなイベントを企画したり、料理教室に通っている方にいかに自然にスポンサー企業の商品を見ていただくかという企画も含めた営業の仕事です。なので、平たくいえば、今の仕事につながるマーケティングの何かしらには関わっていたことにはなりますね。

ー はじめは広告の要素が強かったんですね。マーケティングは大学時代から興味があったんですか?

堤 大学でいろいろな授業を受け始めてだんだんと興味を持つようになりました。僕の大学には、情報工学科・経営工学科・機械工学科の3つの兄弟学科があって、その3つはわりと好きに授業を行き来できるようになっていたんですね。僕はもともと、理工学部情報工学科、イメージ的にはプログラマーやSEになる人が多い学科に入学したんですが、だんだんと経営工学科の授業が面白くなって、そっちを多く受講するようになっていったんです。

経営工学科っていうのはビジネスに情報技術を生かすという視点の学科です。例えば、コンビニエンスストアの効率的な配送ルートを計算したり、工場の作業動線の無駄を省いたり。ある工場の一人分の作業スペースに、いろんな工具が散らばって置かれているとするでしょう。その状態で、作業の様子を撮影して、手の動きや道具までの距離などを全部図るんですよ。例えば、右利きの人が最も使う道具が左側の上の方とかに置かれていたりすると、無駄が多いんですよね。そういうのを計算して、最短距離になる配置はどこなのか考える。そういう研究をしている学科でした。今思えば、実用的な部分に惹かれていたのかもしれないですね。

ー なるほど。一社目を選んだときには、どんな基準で会社を見ていたんですか?

堤 僕が就活をしていた当時は、Amazonとかネット通販が成長している時期で、ネット広告の分野がぐっと伸びてきていたんです。なので、最初はデータ分析も含めてネット広告系や調査会社を見ていました。その中でたまたま見つけたのが一社目だったんです。

データ色が強い会社ではなかったんですが、リサーチやネット広告とは違って料理教室っていうリアルな場を使ったイベントもできて、ダイレクトに人の反応が見られることが面白いなと思って。会報誌、つまり、ネットが取りざたされる中で廃れ始めてもいた紙媒体の広告も扱っていたので、そこも特徴の一つでしたね。実は僕、ほかの会社にも内定をいただいていたんですけれど、結局、(入社した会社の)幹部の方にお会いしたとき、「この人たちいいな」と思って直感的に選んじゃったっていうのがぶっちゃけたところなんです(笑)。

ー 直感で選んだんですね。そこにはどのくらいいらしたんですか?

堤 2年3か月勤めました。ハードワークだったこともあって、転職を考え始めました。

ー 初めての転職に不安はなかったですか?

堤 なかったですね、変化することに対しての不安は全く。逆に、その環境に居続けることの方が不安でした。

ー 約2年の実務経験をふまえて、次はこうしよう、こういう会社を目指そうという目標を持っての転職だったんですか?

堤 いえ、明確には思っていませんでした。求人募集がある中から選んだというのが正直なところで。2社目は、家電量販店のPOSデータに特化して集めている調査会社で、それをメーカーのマーケティング部向けに販売したり、市場トレンドを分析するアナリスト的な仕事もしている会社でした。家電特化というのはかなり珍しいんですよ。大学で学んでいた「情報技術をビジネスに活かす」という部分と、一社目でやっていた広告系、つまり、「どう商品のことを知っていただくか」というのが融合したような仕事で、たまたま選んだ仕事ではありますけれど、自分が得意なところが組み合わさっていて、そこはすごくよかったですね。

今まで5社経験して感じたことですが、意外と、どちらかに特化している人が多いかなと思うんです。システムやプログラムに強いか、もしくは、広告等の知識があって営業ができるか。僕の場合は、両方とも70点くらいなんですけど、それでも両方70点とれる人って世の中に意外といないのかなと感じています。僕の場合はそのあたりを狙うといいんだろうなあと、2社目のときに気付きました。

ー 仕事をしている中でわかってきたことだったんですね。2社目で自分の“得意”を活かせる仕事を見つけていて、そうすると、そこから次に転職したきっかけというのが気になります。

堤 (2社目は)毎日データを見て集計して、という一定のリズムで働ける仕事ではあったんですが、当時26歳だった僕は、「このまま30代に突入したら、この会社でしか働けなくなるんじゃないか」という危機感的なものがあっったんです。当時はまだ、30歳を超えると転職しづらくなるといわれていた時代でしたから、30歳手前、動きやすいタイミングでもう一度もう少し幅を広げる仕事をしてみたいと考えたんです。

ー 会社以外でも通用できるか、という視点を当時から考えていらしたんですね。

堤 そうですね。だから、2社目から4社目までは「データを収集して分析してビジネスに活かしていく」という軸は同じでした。違ったのは、扱う業界と改善策の幅です。3社目は、スーパーマーケットで売れているデータを同じように持っている会社で、4社目は業種を問わずいろいろな会社のデータを持っている会社でした。業種が異なることと、それから2社目はあくまで調査会社だったので、僕らは調べた結果を企業さんにお伝えすることが仕事だったんですね。ただ、僕はそれ以上のこと、つまり、自分たちで何かよりその商品を知っていただけるような改善やアクションの部分にタッチしていきたいなと思うようになったんです。

3社目はデータ分析の結果を見て、スーパーに来店される方にクーポンを発行して販売意欲を上げるとかそういった施策までできる仕事でした。PDCAでいうと、2社目は「C」(check)に特化した会社、3社目以降は、自社内で「PDCA」すべてを回せるイメージですね。3社目は、業種はスーパーマーケット、武器がクーポンのみだったんですが、4社目では業種問わず、さらにもっといろいろな改善手法をとれる会社でした。

ー 少しずつできることを増やしていったというところですね。転職をするときは、ご自身のプライベートやワークライフバランスについては考えていましたか?

堤 一社目からずっと忙しい会社にいましたから、ワークライフバランスなんて全く考えていませんでしたね。意識し始めたのは今の会社に入ってからです。2社目にいるときに結婚しましたが、4社目に移るまでは子供はおらず共働きだったので、収入面でも前職と同程度で維持できればと。

今の会社は、残業時間の管理などもそうですが、コロナ前から月に5日間はリモートワークができたりとか働き方自体が自由な会社でした。だから、そこに入って初めて時間に余裕ができて。週1回は(住んでいる)茅ヶ崎で仕事ができるということで、チガラボに入会して利用するようになりました。まあ、入会した翌月くらいにマネージャー職に上がって、かつチーム異動もあるという、いきなり2ランクくらいのステップアップがあって(笑)、結局また2年弱くらいものすごく忙しい状態にはなってしまったんですけれど。

ただ、それこそコロナ禍で2020年2月末くらいからフルリモートに切り替わったんですね。それで、往復の通勤時間がなくなったのでまた急に余白の時間ができました。しばらく2つのチームのマネージャーを兼務していて地獄のような日々だったんですけれど、それも3月末には終わって、昨年4月くらいから急にものすごく余白の時間ができたんです。

ー 今、『越境』の活動や、コロナ禍で開始された茅ヶ崎のテイクアウトできる飲食店を紹介するプロジェクト『茅ヶ崎food action(フードアクション)』(※)といった地域活動も参加されていますよね。そのころからこうした活動もはじめてみようと思われたんですか?

  • (※)コロナ自粛の影響を受けお弁当やテイクアウトをスタートした飲食店を対象に、その情報をリスト化し発信するために発足した茅ヶ崎発のローカルプロジェクト

堤 そうですね。(フルリモートになって)通勤がない生活っていいな、と思って。だから、茅ヶ崎にはどんなIT系の企業があるんだろうと探してみたり、コロナが落ち着いた後もこの生活が続けられるためにはどうしたらいいんだろうかって考え始めていました。『越境』は、その流れで(チガラボの清水)謙さんに、将来的には茅ヶ崎周辺で働きたい、と相談してみたら、『越境』の活動がマッチしそうだからどうですか、と声を掛けていただいたのがきっかけでした。それで、将来への備えのつもりでやってみようかなと。

ー 『茅ヶ崎フードアクション』のクラウドファンディングの方はいかがですか?

堤 それもたまたま、企画者の境はづきさんとお話したとき、「茅ヶ崎フードアクションを始めて寄付の話をいただくんだけど対応しきれないんだ」ってお聞きして、「一件ずつ対応するよりも、クラウドファンディングやったらどうですか」とポロっといったのがきっかけで。はづきさんたちがその部分は手が回らないというので、「じゃあそこをお手伝いしますよ」といって始まりました。

僕は、業界・業種的にもコロナ禍の打撃が少ない方でした。むしろ、フルリモートで働けるようにもなりましたし、業績が伸びる方の会社にいたので、なんだか申し訳ないなあみたいな気持ちもあって。茅ヶ崎フードアクションは、飲食店という最も打撃を受けた分野の一つを対象にしていましたから、自分がたまたま余裕がある状態なんだし、力になりたいと。それに、このまま僕がフルリモートで茅ヶ崎で暮らすとき、近所の居酒屋で夜中まで飲んで歩いて帰るみたいな状況が将来残っていて欲しいなっていう気持ちもあって。って、最終的には自分のため、みたいになっていますけど(笑)。

クラウドファンディングは、今僕がやっているネット世界のマーケティングに近い話で、自分ができそうな分野だったっていうのもあります。全く違うことだったら参加していなかったかもしれない。やったことはなかったけど、これならできそうって思ったんです。

ー やったことないけどできそう、で挑戦できるのはすごいなと思います。

堤 僕、ストレングスファインダーでいうと「自己確信」(※)が上位にくるんですよ。この資質は、日本人だと出にくくて、34個中34番目。経営者の方とかがよく持っている資質なんです。

  • (※)自分の人生や自分が関わる物事をうまく進めていくことに確固たる自信がある資質

ー 堤さんはストレングスファインダーの認定資格も取得されましたよね。それはなぜとろうと思ったんですか?

堤 ストレングスファインダー自体は、人から勧められて受けてみたんです。でも、資格を取得したのは、コーチングをしたいわけではなくて、もっとストレングスファインダーの中身を理解したいなと思ったんです。

ストレングスファインダーのコーチングを受けてみたことがあるんですが、その方は、個人の感覚みたいなところで話をされて、正直なところイマイチしっくりこなかったんですよね。僕が思うに、ストレングスファインダーは認知心理学の分野で、平たくいうと統計、つまり科学の話なんですよね。だから、この裏側を知りたいという気持ちが強くて。

ー 今は個人の活動としてストレングスファインダーのコーチングも少しずつはじめられているんですよね。

堤 そうですね、知り合いに声を掛けてやらせてもらっている段階で、今は20人くらいですかね。練習相手になっていただいているっていう感じです。

ー 実際にやってみて、気付いたことなどはありますか?

堤 世間一般にいわれる「コーチ」みたいなものには、僕は向いてないなってわかりました(笑)。コーチって、一般的には「コーチングを受ける側の人が定めた目標に対して、そこに到達できるようにサポートしていく」というのが役割だと思うんですが、僕はそこにはあまり向いていない。僕はただ、ストレングスファインダーというツールを使って、科学的にテスト結果をひも解いていきたいんです。

ストレングスファインダーは、その人自身をひも解くだけではなく、周囲との関係性にも生かせるんです。ストレングスファインダーは、34個の資質からその人が持っている資質を順番に並べて上位5つの“得意”にスポットをあてるものです。その下位に出てくる資質も“苦手”ではないんですが、その人が持っていない部分だったりするんですね。例えば、自分の場合は下位に入っている○○という資質が、関係する相手の上位に入る資質だとしたら、相手に対して違和感が生まれるはずなんです。その違和感の元を知っていることって大切だと思っていて。何も知らなければ、「あの人のあの考え方は何なんだ」で終わってしまうけれど、それが、各々の強みがあって、発揮される部分が違うだけなんだって知ることができれば、その人との関係性って変わっていくと思うんです。どちらかというと、そういう事実を伝える方が向いているかなという気がしています。

ー なるほど。現在は企業に勤めながら、地域活動、個人の活動も始まったところだと思いますが、堤さんの中で何か変化はありましたか?

堤 そうですね……。自分では「普通にできる」と思っていることをありがたがられることってあるんだなって感じることがあります。わかりやすいものだと、僕の場合、タイピングの速さとエクセルなんですけど(笑)。それだけでも、すごいねっていわれたりとかして、意外と価値にはなるんだなーって。

ー たしかに、堤さんチガラボでエクセル駆け込み寺みたいになっていますしね(笑)。ITっていう専門領域でお仕事されていたからこそあまり気付かなかった部分もあるんでしょうね。地域の中でちいさくチャレンジできる機会が増えてきたんでしょうか。

堤 そうですね。僕は今会社員で、収入面でもそのベースがあるから、何かを始めようとしたとき、そこから必ずしも報酬が得られなくてもいいという環境にいます。時間だけ確保できればチャレンジができるんです。フルリモートになって時間に余白ができて、とっかかりやすくなったのはありますね。

今は、アウトプットの時間が増えた気がします。人と話したり、何かの企画に参加したり。インプットの時間は今までの方が多かったと思いますけどね。僕は通勤時間は本や『カンブリア宮殿』とか『ガイアの夜明け』とかをオンデマンドで見たりしていたので(笑)。

ー アウトプットもインプットがないとできないでしょうから、今までの貯金があったからこそ今活動ができているんでしょうね。最後に、これからやっていきたいこと、こんな活動に関わりたいという展望を教えてください。

堤 そうですね……。一時期、やりたいことをものすごく見つけた方が突っ走れるんじゃないかって思っていた時期もあるんですけれど、身近な方、著名な方、いろいろな方の話を聞くと、「50歳を過ぎてから本を書きました」みたいな方がいたりとかして、あまり焦らなくてもいいのかなって最近思い始めました。

ありがたいことに声を掛けていただくこともありますし、まずは流れに身を任せて、じゃないけれど、いろいろなことに参加してみたいですね。そこから、すごくやりたいと思うものが見つかれば嬉しいですし、そうではなくても、自分の得意なことがいかされる活動ができればいいかなと思います。

 

<インタビューを終えて>
ストレングスファインダーの資格を取っても、単純にコーチングの道へ進むのではなく、「科学的にテスト結果を紐解いていきたい」と語る堤健一郎さん。多数の企業に在籍し、様々な人や環境に触れ、ご自身の適正について時には立ち止まって考えてきたからこそ、今のご自身の立ち位置に自信を持っていらっしゃるのだろうと感じました。今後も企業や地域を問わず、色々な活動に関わり続けるであろう堤さん。その焦らず、流れに身を任せた生き方のその先に何が待っているのか今から楽しみで仕方ありません。
楽しいインタビューをありがとうございました。
大西裕太

 

取材:大西裕太
文 :森岡悠翔
撮影:あさな