人も農作物も「Be organic」。 自然と調和し、自分とも調和し、自分らしく素っ裸で生きる。 世界がつながって、楽しくするために「農と食」からチャレンジ② ~白土卓志さん&内田達也さんインタビュー

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前回参加レポートをお届けした「有機農業を学ぶ会」。今回は、イベント開催場所にもなったSAF(サステナブル・アグリカルチャー・ファーム)を運営する「株式会社いかす」の白土卓志さん、内田達也さんの2名にインタビューを行いました。

最初のキャリアは、都内でビジネスマンをしていたという白土さん、内田さん。そこから株式会社いかすを立ち上げ、現在、湘南・平塚で農業をやりながら、東京・外苑前にレストランを経営しています。今ではテレビや新聞などから多数取材されるほど話題となったその魅力とは?お2人の過去、人生観、そして2019年9月からスタートするサステナブル・アグリカルチャー・スクール立ち上げの秘話についても伺いました。

(8月25日が説明会最終日)https://www.icas.jp.net/farm/

(プロフィール)

白土卓志さん/株式会社いかす 代表取締役(外苑前レストランicas storia、たんじゅん野菜の宅配、有機野菜の宅配、伊勢丹でも大人気湯煎10分のフルコース加工食品、サステナブル・アグリカルチャー・スクール)、湘南オーガニック協議会(湘南オーガニックタウン構想を推進)

内田達也さん/株式会社いかす SAF(サステナブルアグリカルチャーファーム)運営者。アースケアテイカー。様々な有機農法を取り入れ実践。

-先ほどはありがとうございました。頂いたきゅうりとてもおいしかったです。農法にこだわるのではなく、その土地をよく知ることのほうが大事というお話は農業素人の私にとっても目からうろこの話でした。引き続きインタビューよろしくお願いします。

白土・内田:はい。よろしくお願いします。

-どうやって今の会社が出来たのかということを中心に伺っていきたいと思います。まず設立当初のことをお伺いしますが、一番最初から畑をやっていたわけではないのですよね?

白土:はいそうです。2015年3月に設立しましたが、最初は野菜の宅配とレストランの経営からですね。畑については農家のコンサルティングからスタートした状況です。

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―白土さんが出ている他の記事も拝見したのですが、大学生の時に書いていた「未来日記」に「31歳になったら農業大作戦を始める」というのをきっかけに起業したのは本当なのですか?

白土:それ嘘みたいでしょ?本当です(笑)

農業について何か強烈な原体験があったかと言われるとそういうのも、無いのだけど、ウッチー(内田さん)に教わった「炭素循環農法」を知ったことはきっかけかもしれません。農業の話しなのに、人や宇宙の話が出てきて、世界観がとても面白かった。助け合いながらとか綺麗ごとというより、適者生存でしかないということ。人間自体が地球から「あなたたちは適者なんですか?」ということが今求められていると思います。

弱肉強食ではなく、適者生存。弱肉強食って、誰かが勝って誰かが負けてという競争社会ということですよね?適者生存は、自然の摂理に従って適した人になれているかということ。農と食が変わると人は変われると思っていて、何か新しいアプローチが出来るのではないかと思いました。

―いきなり深い話ありがとうございます。白土さんはいわゆるエリートコースを歩んでこられましたよね?中学ではテニスで全国大会、東京大学を卒業され、会社員を経験後、ベンチャーの人材サービス企業をご友人と起業までされています。

白土:いわば競争社会の中に生きてきたと思っています。そのゲームにいることは楽しかったのだけど、それはずっと長続きするということはないよね?ということを自分もそうだし、社会の仕組みとして感じていたように思います。この競争はいつになったら終わるのだろうという漠然とした、不安というのとは違う、「どうなったら、自分は満足なんだろう?」という疑問がありましたね。答えはずっと自分が持っていると思っていたけど、自然に触れる中で答えはあっち側(出てくる作物)が持っていた。自分は何かと競争しているから満足していないのでは?と思うようになっていきました。

―内田さんも新卒で入った会社が白土さんと一緒ですよね。そのころどんなことを考えていましたか?

内田:新卒で入社した人材サービスの会社は早々に退職をしました。

これはずっとやっていてもらちがあかない。このフィールドでは絶対勝てないと思いましたね。営業バリバリの猛者がいる中で勝負するのはなかなか大変だからフィールドを変えようとおもって、方向性をずらしていきました。このまま負け続けるのは嫌だと思っていたので、より自分がやりたい方向性でいこうと思って環境系のベンチャー企業に転職をしました。

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―もともと環境には興味があったのですか?

内田:20歳くらいの時から、オルタナティブな生き方、エコビレッジ、環境にやさしい地域社会の創造には興味があった。シュタイナーの共同体、有機農業をやっている人などとの接点はありましたね。最初からばっちり農業という感じではなく、環境も含めて幅広く興味があった感じでした。

その後、2社目を辞めて息抜きで沖縄石垣島に行きました。さとうきび狩りのアルバイトをしたのが面白くて、障害者の方も一緒に普通に働いていて、懐の深い産業だなと思いましたね。普通に身体使って汗かいて働いて、起きて寝てというシンプルさがとてもよかったです。そんな生活をして半年くらいしたときに、祖母が危篤になり戻ってくることになったのですが、都内でサラリーマンに戻るイメージがわかなかった。どうしようかなと考えて、季節労働の長野県の高原野菜のバイトなどしながら職探しをしていた時に、友人からお前に合いそうだからと自然農法国際開発センターの願書が送られてきました。

―ご自身で見つけたわけでなく、友人が見つけてくれたのですね。

内田:実は他にも応募書類を作成していたところはあったのですが、一番適当に志望動機は「自然が好きだから」と書いたほうが受かって。そこが人生の分かれ目でしたね(笑)。自然農法を学べるところで、そこで出会った師匠がめちゃくちゃよかった。石綿薫さんという方で、日本でもトップクラスの農業の研究者ですね。とても科学的なアプローチで再現性の高いやり方を学べたのがよかったです。今は研究者をやめてご自身で農家をやっています。

―今日のお話でもデータをしっかり取って、科学的な根拠を大事にされているなと思いましたが、そこで学んだことなんですね?

内田:そうですね。でも、そう言いながら実は野菜作りはほとんど勘なんですよ。だいたいこれでOKかなというのが大半だけど、それを後付けでデータ確認するという感じです。そしてデータをもとに微修正をかけていく。データをとっておけば再現性が高くなるということですね。

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―社会人最初は同じ会社、でもその後はそれぞれの道を歩んでいますが、その頃は接点があったのですか?

白土:ちょうど私が未来日記を見て農業大作戦をやるということになったときに、ウッチーに「農業をやることになったんだけど、何から始めたらいい?」と相談をしたら、「炭素循環農法」というのが面白いよと教えてもらいました。でもウッチーは住み込みで仕事をしていたので、会えなくて膨大な量の資料を提供してもらいました。

その頃は会うことなく、ひょんなことから繋がった湘南で農業をやっている人と一緒に、東京で仕事をしながら月に1,2回湘南で未使用になっていたビニールハウスを開墾するみたいなことをやっていました。自分が興した会社を辞めるほどではなかったのだけど、農業に対する興味はだんだん高まって。当時は田町に住んでいたけど、だんだん移動するのが面倒になり茅ヶ崎に引っ越して、週1,2回畑に通える生活になり、さらに会社でも在宅勤務という制度を作って、、、畑にいる時間がどんどん長くなっていきました。

―その流れで起業することになったのですか?

白土:もっと紆余曲折ありましたが、2014年11月くらいに経営参画していた会社を辞めることが確定して、自分たちで会社をもう一度興すことになりました。最初は4人で、そのうちの1人のシェフは京都から来ることになり最初は別のお店を作る予定が、気づいたら一緒にやることになったり。

はじめはレストランとたんじゅん野菜の宅配を始めました。全国のつながりのある農家さんから炭素循環農法で作った野菜を全国から仕入れて、宅配するモデルを考えて実行しました。そして、その野菜を使って外苑前でレストランも始めました。仕入れる野菜は季節によって異なるので、最初はシェフからも出すメニューが安定せず「にんじんが通年ないのはありえない。」とかさんざん言われて困りましたが、でも結局お客さんを「Wow!」を言わせればいいと開き直って、こちらが決めたコースメニューだけを提供するというスタイルにしました。もちろん肉か魚かくらいは選択できるけど、野菜はその時ある旬のものを提供するということにこだわりました。

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―未経験業界のレストランと宅配サービス不安はなかったですか?

白土:正直最初から勝算はなかったけど、不安は全くなかった。

飲食店の利益率は一般的に厳しいし、農業なんてもっと厳しい普通に考えたらやらないでしょという利益率ですね。今までやっていた人材サービスのほうが収益性という意味では全然高いですしね。でもワクワクのほうが大きかったかな。そして、最初ウッチーは農業はやらないって言っていました。

―え?そうなんですか?

内田:農業は他の場所でがんがんやってきて、試したいこととか大規模の農業も相当やったし農業とは少し離れたい気持ちがあったね。

白土:でも離れたいと言いながら実際仕入れのこともあるから知り合いの畑に一緒に行くと、どう考えてもウッチーが畑にいる時が一番楽しそうなわけ(笑)。

会社も3年くらいした時にうちらも畑やる?という話が出てきて。ただ、生産もするけど、この考え方を広げたいという気持ちがあったので、学校もやりたいという話になった。ウッチーは野菜作りに関して技術的には相当いいレベルなのに、日本のトップ石綿薫さんを見て俺はだめだと思っていた感じ。でもどこかで吹っ切れたよね。

内田:その頃農業についてはコンサルティング事業をやっていて、農業をしている人に対して指導をすることをやっていました。でも実際別のところで研修して癖がついている人に考え方を変えるのがとても難しかった。その農法を学ぶとその農法だけに妄信してしまい、そこから抜け出せないという人が多くて、この業界で教えることに疲れを感じてしまったのだと思います。ここに労力をかけるより、自分がやってみせて、かつ一から教えていくということをやったほうが近道になるのではないかと思うようになりました。なので、まだまだ未熟な自分でもこの業界で出来ることがあるのではないかと思いましたね。

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―それがサステナブル・アグリカルチャー・スクールの原点になっているということなんですね。自分もますます受講してみたいと思いました。平塚市に就農する時はいかがでしたか?

白土:2年前に平塚に就農する時に平塚市に対してプレゼンする機会がありました。平塚をオーガニックタウンにしませんか?と大きなビジョンを描いて。評価は頂いたのだけど、でも「有機、オーガニック」は厳しいと言われました。草ぼうぼうにするし、うまくいかず育たないまま放置してしまう人が多いし、さらに他の慣行農業をやっている人との主義主張が違うので喧嘩になるからだめだと。

内田:でもそれはオーガニックがだめなのではなくて、オーガニックをやっている人は学んでいる知識がまだまだ浅いのが問題なんです。

慣行農業の農家の人は農業大学や農業アカデミーを卒業しているので、数年の知識・経験を積み、さらに親がやっているのも近くで見ているので、成功する確率が高い。一方で新規就農かつ有機農家は自分の勘とコツだけでやっていることが多いから、結局うまくいかない。教わる相手も微妙だし、完コピもできないので、技術が劣化し続ける。だから体系的に学んで、有機農業の新規就農が最低限できるレベルにする学校をつくりたいという話をしました。 農業委員会の方に対しても有機が悪いのではないので、生産者も変えて見せますと自信満々に言い切りましたね。

―ある意味逆風の中でのスタートなわけですよね。どうやって信頼をしてもらえるようにしていったのですか?

Mr. Shirado explains

白土:耕作放棄地で誰も使っていなかった場所を開墾するところから始めたのがよかったかな。周囲の人も荒れていた場所が、きれいな場所になってよかったということが前提にあるのだと思います。また、プロ農家が周りにほとんどいなくて、家庭菜園でやっている方が多かったということで理解を得やすかったのだと思います。チェーンソーやユンボなど仲間に借りてきて、1か月くらいで畑に変わったので周りの人たちはびっくりしていましたね。オーガニックタウン構想を描くことができた技術の裏付けを伝えることができた。

実際にやってしまった実行力そんなところで徐々に信頼を得られるようになっていったのだと思います。そうしたら、平塚市からの紹介のインタビュー記事で農業新聞に掲載されることがあって、それを見た農林水産省から電話がかかってきて、オーガニックタウンのビジネス拠点をつくるために、農林水産省の補助金を活用したらどうかという話をもらって、株式会社では補助金申請できないということもあり、湘南オーガニック協議会をつくるきっかけになりました。本当にそういう意味ではいろいろな方にサポート頂いていて、特に平塚市の農水産課の角田さん・農業委員会の矢後さんにはお世話になり、新規就農者のサポートをしっかりやって頂いているので、平塚の新規就農者もずいぶん集まってきましたね。

Mr. Uchida explains

―これから先はどんな風に展開していくのですか?

白土:まず湘南オーガニック協議会では地域の地産地消・オーガニック率を上げるために、生産・流通・消費に対してアプローチをしていきます。

生産は有機農業者を増やすこと。そしてきちんと新規就農できる知識・技術を身に着けてもらうためのスクールを運営すること。流通は地元のスーパーと協力しあい、地産の野菜が手に入りやすいようにする。北海道産の玉ねぎが置いてあるのに、湘南産のたまねぎが置いてないのってなんかおかしくない?って思います。輸送ばかりに頼るのではなく、地産地消を合わせてバランスよくやりましょうということ。

消費については食べる人の啓発。カラダにいい、ココロも喜ぶ、地球にも優しい野菜を選んでほしいなと思います。これから先というか最終的には学校を作りたいなと漠然と思っていますね。塾とか学童の形態なのかもしれないけど、答えを教えるのではなく、ワクワクできることを一緒にやるみたいな。まだ自分が子供の頃って草むらがあってそこで自由に遊ぶみたいなものがあったと思う。今ってクリエイティビティを発揮することを知らないまま封印されていくのが今の学校のような気がする。畑で遊ぼう!という企画をやっているのも、こうした思いからまず始めていることです。

そしてもう一つの畑には森があって、そこに自由に工作できる家を建てたいなと思っています。大人も子供も本気でやっちゃうような。

Workshop on the farm

―お二人のお話からは自分のワクワクに従い素直に生きているというのがストレートに伝わってきました。湘南100CLUBでは自分の人生を自分で舵を取って生きていく人を応援しています。そのような方へアドバイスがあればお願いします。

白土:うちの畑で遊んでください(笑)。

うちが言っている「Be organic」というのは、 ワクワク自分らしく生きていくという、ネイティブとか素っ裸で生きる人が増えるといいよねという意味を持っていて、自分たちももちろんそうありたいと思っています。

食で言うとオーガニックのものを食べると腸が喜ぶ状態になりやすいとか、畑で生き物がいっぱいいる土に触れるというのは、心にも身体にもめちゃめちゃ効果があると言われています。でもそんな効果を売りにせずに、ただ遊びに来て楽しかった、おいしかったねでいいかなとは思っています。頭でぐちゃぐちゃ考えずに、畑でごろんとしてみたら?と自分にも言い聞かせています。

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内田:命って心地いい方向に伸びたがると思っています。疲れた時に伸びをする時ってきもちいほうに伸ばすじゃないですか。そんな感覚で心地いいほうに半歩でも踏み出してみたらどうですか?と言いたいですかね。

一歩が難しいと感じれば、半歩で十分だと思います。その半歩の積み重ねが自分の世界を変えていくと思います。そして、もっとアホになっちゃっていいんじゃないかなと思います。なんか自分を振り返るとアホだったなと思います。小さい時もそうだし、農業をやろうと思ったときなんか今考えるとその時にビジョンなんかなくて、楽しそうなほうに転がってきた結果です。それでいいんじゃないかと思います。先のことなんか全部自分の頭の中で見えるわけでないですし。

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―インタビューは以上となります。貴重なお話をありがとうございました。

<インタビューを終えて>

お二人が会社員時代に努めていた会社の先輩ということで、ぜひお話を伺いたいと思っていたことを今回実現することができました。お二人の生き方はまさに「be organic」自分がワクワクすることをとことんやり、それが環境や社会にとっても良いことにつながっていく。これからの世の中が必要とする経営と環境の持続可能性の両立を目指す会社を目の当たりにしました。今は0.5%の有機農業ですが、10年後SAF(サステナブル・アグリカルチャー・ファーム)がスタンダードになっていくことを私も応援していきたいと思いました。

まずは草むらに裸足で寝そべってみることから真似してみます。

インタビュー:山口 順平
写真:安藤アン誠起
編集:もりおか ゆか