「今度一緒に遊んでくれよ!」から始まる人との縁。脱サラ居酒屋店主の人生の楽しみ方とは

茅ヶ崎駅南口徒歩4分のところにある「居酒屋くによし」。ここの店主である松本さん(73歳)は、45歳の時に脱サラし、人が集まる場所をつくりたいと念願の居酒屋を開店。逗子の小坪市場から仕入れる新鮮なお刺身など、美味しいのにお手頃な価格で味わえる料理も人気ですが、野球ファンや落語ファン、相撲ファン、能ファンなど、様々な人が集まる場としても知られています。「あれやってみたいな」「こういうことをやったらみんな喜んでくれるんじゃないかな」という気持ちを心の中だけで留めておかずにしっかりと実現させ、多くのお客さんから慕われている松本さん。そんな松本さんの好奇心の源泉、そして人生観についてお話を聞いてみました。

居酒屋くによしHP  https://kuniyoshi-support.net/

(プロフィール)
松本國彦/居酒屋くによし店主。長崎県佐世保市出身。脱サラ後茅ヶ崎駅南口徒歩4分ほどの場所に店を構えて25年。食べ物は全品650円以下で新鮮な刺し身などを提供している。

(聞き手)

  • 山口順平/100CLUBリーダー。都内の企業で会社員をしながら住んでいる茅ヶ崎で複業を実践。ワクワクしながら自分で人生の舵を取り進んでいく生き方に憧れ、取材を続けている。
  • 高橋譲司/100CLUBメンバー。コミュニティや街並み調査と称して茅ヶ崎の居酒屋を廻っている。都内の企業で会社員をしているが人生100年を見据えて住まいのある茅ヶ崎でいつまでも楽しさのある生活を取材を通して模索中。

 
ー お店の中を見ても、野球や相撲、落語、能と様々な写真やポスターが飾られてますね。まずはこのお店を始められた経緯から教えていただけますか?

松本 出身は長崎県佐世保市で、高校卒業後に電電公社(現:NTT)に入社して、電気技師として働いていていたんだけど、結構転勤が多くて。そんな中、たまたま茅ヶ崎に転勤になったんです。茅ヶ崎のゆるさ、のんびりとした雰囲気、人の温かさに惚れて、ここで居酒屋をやりたいなと。もともと居酒屋をやってみたいと思っていたので、45歳の時に電電公社を辞めたんです。ちょうど昇級の話がなくなったタイミングでもあったので。

退職後は、大和にあった知り合いの割烹で修行をさせてもらいました。でも最初は、歳だから無理だよって反対されたの。でも俺もう決めたんだからやらせてくれよってお願いして(笑)。そしたら向こうも折れて、それだけ意思が堅いんだったら……って受け入れてくれた。魚の捌き方から調理まで色々教えてもらいましたね。あと仕入れで逗子の小坪の魚屋に行った時に、割烹では扱わない魚の捌き方も教えてもらった。ちなみに、この頃からの縁もあって、今も小坪まで魚を仕入れに行ってます。

そして、46歳の時に今の場所に「居酒屋くによし」をオープンしました。オープン当時は、地元の人に加え、NTTの後輩たちが来てくれたけど、最近は都内から引っ越してきましたっていう若い人も来てくれるよ。

ー 横浜ベイスターズの練習見学や、陸奥部屋のファン感謝デーのようなイベントなど、色々やられてますが、いつから関係性があったんですか?

松本 横浜ベイスターズは、NTTの仕事で茅ヶ崎に引っ越してきたときに、ちょうど茅ヶ崎球場でこけら落としとして2軍の試合があったんですね。もう24、5年前になるかな。もともと自分も社会人野球やってて野球好きだったこともあって、差し入れ持っていこうと思って。ベイスターズのフロントの人に差し入れ持っていっていいかって聞いたらOKって言われて、そこから2軍の試合がある度に持っていくようになったんです。果物を差し入れると喜ばれましたね。スイカを切って発泡スチロールにきれいに並べて持っていくと、選手がみんなおいしいおいしいって言って食べてくれて。茅ヶ崎球場だけでなく、大和とか海老名の球場にも持っていく中で仲良くなって、一緒に遊ぶようになったんです。俺が行くと「どうせ見ていくんでしょ」って言ってベンチ入れてくれたり、食堂のおばちゃんも「また来たの〜?」って言って雑談したり、すっかり顔パスになって(笑)。そこから今まで縁が繋がってますね。相撲部屋も差し入れきっかけで、陸奥部屋の霧島親方とも仲良くさせてもらってます。

ー 野球や相撲の他にも、色々やられてますよね。

松本 そうですね。能もやってて、前も能楽堂で3分間踊ってみるために15万円払いましたからね。分割払いにさせてもらって(笑)。人間国宝の内田安信先生とも交流があって、たびたび都内から遥々茅ヶ崎まで飲みにきてくれますよ。あと居酒屋に落語家を呼びたいっていう夢もあって、これも実際にやったんですよ。ただ店だと狭いから、茅ヶ崎駅北口にある会場を借りてみんなで落語見て、うちの店で打ち上げをするっていうのを年2〜3回やってますね。

舞台を見たりとか、能を見たりとかだけでなく、実際に自分で体験してみたくなったり、もっと深く入り込みたくなる。結局俺もミーハーなんだよね。そして人が好き。

陸奥部屋との千秋楽パーティーも、お店のお客さんに行きたい人いる?って聞いたら行きたい!って言われて、会費集めて「くによし御一行様」って20人くらい連れていくんですよ。力士もファンと触れ合えて嬉しいし、お客さんも喜んでくれる。他にも能やタップミュージカルのコンボイ(THE CONVOY)も見学ツアーやってますね。能もコンボイも俺、楽屋入れるから(笑)、一緒に行くお客さんも普段見られない裏側を見て喜んでくれてます。せっかく人が集まる場所として居酒屋やりたいって思って始めたんだから、付加価値つけて楽しもうってね。

儲けようとかは全く考えてないんです。相撲部屋とか落語家さんにしっかり払うものは払って、会場費とかも払ってプラマイ0ですけど、それでもみんなが喜んでくれて、縁が繋がってくれればいい。まぁ、色んなことをやらせてもらってますね。

ー 本当に興味のアンテナがすごいなって思うんですが、昔から好奇心旺盛だったんですか?

松本 いや、高校生くらいまでは今からは考えられないくらい静かだったんですよ(笑)。でも社会人になってお酒飲みながら色んな人と交流する中で変わっていきましたね。厚木ベースのクラブとかにも出入りして、外国人と一緒にお酒飲んだり。大人になって高校の同級生と同窓会したときも、「松本のキャラが180度変わった」ってびっくりされましたもん(笑)。その反応がまた面白くて、これからはもっと積極的になろうって思ったんだよね。せっかく1回生まれて来たんだから楽しまないと。

と言っても実は人見知りなんですよ。お店に入ってくる人がどんな人か分からないじゃないですか、当たり前だけど(笑)。「何飲みますか?」「茅ヶ崎の人ですか?」ってはじめて、「俺は脱サラしてここで居酒屋始めたんだよ〜」って続けるんです。それでたいがいうまくいく。そして最後には「今度一緒に遊んでくれよ!」って言って別れる。他のお客さんが、「今の人常連さん?」って聞いてくるんだけど、「いや初めての人」って言うとびっくりされたり。そのくらい馴染めるんですよね、自分を取り繕わずに話すと。

ー そうやってどんどん人の縁が繋がっていったんですね。

松本 店に来てくれたら繋げたいなと。集まって、繋がってくれればいい。俺の役目はそんな感じだからね。周りの人の夢を少しでも叶えてあげたいなって。みんなが喜んでいる姿を見たときに、あぁこれで良かったんだなって思います。連れてきて良かったなって。それで俺はもう満足しちゃう。普通だったら舞台を見て終わりだけど、楽屋まで入れる、中まで入れるってなかなかできないから、そこは付加価値だよね。繋がりがあるからこそできるわけで、この縁は本当に大切にしていかないと。差し入れだけじゃない、本当に喜んでくれることをやってあげたいよね。

普通のサラリーマンだったらやれることは限られちゃうけど、ここに居酒屋があるってことがひとつのベースになってますよね。ここでこうしてやらせてもらってるから、みんなにしっかり恩返ししたいと思ってる。

コロナで経営状況厳しくなって、この前もお客さんがクラウドファンディングやってくれて。そのお金も集まったんですけど、少しずつ少しずつ返していってるんですよ。

ー コロナでお店もイベントも開催しづらくなって大変ですよね。

松本 そうですね、2020年はコロナで本当にダメでしたね。売り上げも60%くらいまで下がった。うちのお客さんは、医療従事者の人とかもいるから、そういう方がほとんど来れなくなっちゃいましたしね。

でもコロナの状況次第なところではありますけど、2021年も色々イベントは仕込んであるんです。3月には落語家の(鈴々舎)八ゑ馬ちゃんを呼んで落語の席を設けるし、5月には某女優さんの別荘だったところを借りてBBQ、そして5月2日は茅ヶ崎プロレス。

ー 茅ヶ崎プロレスも関わっていらっしゃるんですね!

松本 俺の息子みたいな奴がひとりいるんですよ。将軍 岡本っていうリング名で悪役をやってる岡本将之って男なんですけど。もともと岡本は、陸奥部屋で霧の若という名で活躍してたんだけど、大相撲八百長問題の時に、八百長疑惑で引退したんです。実際やってなくてもあの時は疑惑がある奴、みんな切られたんですよね。それ以来、気にかけていて。岡本もよく店に来てくれるんですよ。

実は俺、指が壊死しちゃって、しばらく近くの病院に通ってたんだけどなかなかうまくいかなかったんですよね。それでセカンドオピニオンに行ったら、「これはもう今すぐ徳洲会病院に行ってください!」って言われて。結果的に少し残して指切断することになったんです。その話を岡本にしたら、もうめちゃくちゃ怒られたんですよね(笑)。「だから早くでかい病院に行けって言っただろう!」って。そういう熱い奴なんですよ。
だからこそ力になりたくて。俺だけじゃなくてみんな頑張ってるから応援してあげないと。でも、もう俺も73歳で、あと何年できるんだよってところもありますけど。

ー たくさんの人から慕われている松本さんの状況を鑑みると、おいそれと辞められなさそうですね。

松本 そう、だから辞めちゃいけない。むしろ最近はやらされてるって感じさえしてます(笑)。コロナでお客さんも少ないんだから、休みなよって言われるんですけど、休んでもじっとしてられないから。ダメなんですよ。マグロと一緒。

ー 松本さんがいかに人の縁と繋がりを大事にされているかが伝わってきます。最後に読者の方にメッセージをお願いできますか?

松本 やっぱり楽しもうってことですよね。人生謳歌しましょう。かっこつけないで自分を出せば、この人はこんなことを考えてるんだって知ってもらえて、そこから広がっていくから。構えられちゃうと気持ちよく話せないよね。自分をさらけ出すのは怖いかもしれないけど、後々嫌なことがあってもその時は切ればいいんだから。

色んなやり方があると思うけど、俺はどんどん「私はこういう人間です」ってさらけ出していくっていう、このやり方しかないから。少しずつさらけ出すと自信もついてくるからね。

NTTで出世が遅れたことをきっかけに居酒屋の道に進んだけど、もし順調にいっていたら今の人生はなかったかもしれない。課長になって65歳で定年退職して、相模原で悠々自適な引退生活を送ってるっていう人生も考えてみたけど、やっぱり今が一番楽しい。やってきたことは間違ってないなって思えるから。

ってことで、今度遊んでくれよ!(笑)

<マイレジェンドから学んだこと>
●今回初めて取材をきっかけにお店に入らせていただきましたが、今までお会いされた有名人の写真や色紙で埋めつくされており、松本さんが歩んできた歴史が一気に飛び込んできました。その歴史は大手企業を45歳で脱サラしてスタート。一番驚いたのは、脱サラ後割烹に修行を申し込んだ時に歳だから無理と断られながらも、「俺もう決めたんだからやらせてくれよ」って全然諦めないところ。松本さんはとても自然体に見えますが、自分がやりたいと決めたことは貫いてきたんだろうなと思いました。自分の基地をつくって、仲間を集める。シンプルにそれをやり続けるとこうなれるよというのを教わった気がします。ぜひ仲間に入れてください。
(山口順平)

●コロナ禍で地元生活が中心となった私にとって
松本さんの居酒屋「くによし」は心癒される場所になっていました。
今回の内容については以前なんとなく聞いてはいましたが、改めてインタビューとしてお話しを伺え、また記事にできて多くの皆さまに拝読いただける事を嬉しく思います。特別な偉業と言う訳ではありませんが松本さんの持つ根っこの部分はとても人を想う気持ちで溢れていて、そういった心構えが仕事でも大切だと教えていただきました。
記事に出来ないもっと面白い話もあります。
この続きは、お店で飲みながらお話ししましょう!
(高橋譲司)

 

取材:山口順平、高橋譲司
文:小山あい
撮影:岩井田優