100歳まで、生涯現役! 自分の生き方を選択する「人生マネジメント」が、 豊かさを実現する。


80歳を過ぎ、今もなお「生涯現役」でボランティア活動や趣味クラブの活動を継続している杉村一憲さん。そんな活動をつづったブログ「杉ちゃんが行く!6」は、なんと年間250日以上更新!100歳まで生涯現役を目指す杉村さんに密着したら、元気の秘訣が見えてきた?!


(杉村 一憲さんプロフィール)
大手重工業を退職後、茅ヶ崎でのボランティア活動、趣味クラブ活動を実施。その役割は10を超える。茅ヶ崎市環境審議会委員、環境市民会議ちがさきエコワーク、ちがさき自然エネルギーネットワーク、NPOサポートちがさき、ほのぼのビーチちがさき、湘南スタイル、男の料理教室(にんじんクラブ)、詩吟(日本吟心流詩吟國峰会)、茅ヶ崎市老人クラブ連合会(TBS遊ゆう会)、湘南100CLUB アドバイザー。

こんにちは。本日は、「100歳まで生涯現役」を目指される杉村さんが、今までどのように生きてこられて、これからどのようなことを意識されているのか、伺わせていただきます。お話、楽しみにしてまいりました!

杉村 どうぞよろしくお願いします。

早速ですが、生い立ちから伺えますか?

杉村 生まれは大阪ですが、父の勤務の都合で転校の連続でした。8歳で終戦を迎えたときは、奈良の田舎に疎開していました。

戦時中はご苦労されましたか?

杉村 とにかく極度の食糧難でした。米麦はなく、芋すらありません。蛇、蛙、かたつむり、沢蟹がご馳走みたいなもので、サツマイモの葉を食べることもしていました。

サツマイモの葉ですか。

杉村 そう。煮ると柔らかくなるんですよ。でも塩がないので味気なかったね。小学2、3年のころは、学校を休んで山菜採りや沢蟹とりに出かけていました。

想像を絶するご苦労だったと思います。その後の学生時代はいかがでしたか?

杉村 実は、家は代々神官で、中学から神社奉仕をしていました。朝から井戸水でみそぎをしたりして。高校は、歴史が唯一の得意科目でしたね。各種の歴史小説を読破しました。2年間の受験浪人後に京都大学に入学し、経済学を学びました。大学からは陸上競技に夢中になっていました。

神社奉仕に読書に陸上に……ストイックで文武両道、杉村さんの原型が見えてきた気がします。社会人になってからはいかがでしたか?

杉村 大手の総合重工業に入社して、最初は神戸にいました。電気機関車エンジンや自家発電プラント販売など営業、生産管理、経理、総務、企画担当など幅広く経験をさせてもらいました。

当時の日本は活気があったのではないですか?

杉村 企業は高度経済成長を担うという自負があり、活気がありました。ちょうど30歳を過ぎたくらいのころに新卒32名を受け入れ、新人社員教育を担当しました。その時の新人たちは学生運動などに参加していた血気盛んな年代だったので、まとめるのも大変なくらい、エネルギーがすごかったですね。長時間の残業は当たり前、工場の事務室に寝袋を持ち込んで会社に泊まることが毎日のようでした。仕事の定時は午前4時みたいな。仕事としては、この時代は、各種の工場生産ラインの自動化システムの開発と販売、その後は、陸海空の大型物流センターの建設や宇宙開発を担当しました。

今の働き方改革とかワークライフバランスなどという考えは全くないですね

杉村 貧しい時代から経済成長をとげようというモチベーションがみんなにあったように思います。その後東京に転勤になり、東京から西で、富士山がいつも見える場所ということで茅ヶ崎に住み始めました。

そこから茅ヶ崎ライフがスタートしたのですね。

杉村 今でも覚えていますが、ウィークデイは6:02茅ヶ崎発の湘南電車で東京駅に7:00に到着。健康維持のため、そこから浜松町の会社まで約45分歩くというのを日課にしていました。そして、毎日のように仕事や接待で夜遅く、終電で帰ってくるという生活でしたね。もう眠くて眠くて、電車のつり革に腕を入れてぶら下がって立ちながら寝るという技を身に着けました。

本当にすごいと思います。私は同じことをやれと言われても絶対できないと思います。

杉村 50歳代からは宇宙開発事業に関する新規事業立ち上げの連続でした。技術部門と組んで、システム開発と販売を繰り返していました。経団連、日本航空宇宙工業会のコワーキンググループに所属し、国にビジョン提言などしていました。その後、60歳の時に系列商社に移り、事業本部長、副社長を経験して65歳で定年退職しました。

すごいお方だとは思っていましたが、改めて今までの経歴を伺うと今日こうしてお話を伺っているのはとても貴重なことだと改めて思います。ご退職後はいかがでしたか?

杉村 1か月スポーツジムに通って身体を鍛えたり、バードウォッチングやカメラ、ソーシャルダンスなどもやってみました。ただ、一番面白かったのは、ボランティアですね。

年金生活になるとボランティア活動ほど、お小遣いをあまり使わずに日々楽しく過ごせるものは他にないと思っています。「世の中のためになっている」という精神的な満足や多世代の人々とのつながりで若さがもらえます。こうした、頭と身体への適度な刺激がとてもいいですね。

具体的にはどのようなボランティアですか?       

杉村 まず茅ヶ崎市の「広報ちがさき」に掲載されていた記事を見て、茅ヶ崎市の環境審議会市民公募委員になりました。
同時に茅ヶ崎市環境政策課が事務局をつとめる茅ヶ崎環境市民会議(ちがさきエコワーク)に所属し、環境関連の市民団体の人々と広く交流をしました。

それから、ほかの団体や役割がいつの間にかどんどん増えていきましたね。退職後3年くらいした頃にNPO法人湘南スタイル設立にも参画し、その時のメンバーだった市川さんにブログの書き方を習ってブログにはまり、今まで書き続けています。

 

会社員だった退職世代の方は、地域に入ろうとしてもなかなかうまくいかないことがある、と聞きますが、杉村さんの場合はいかがでしたか?

杉村 お陰様でスムーズに入れたと思います。会社は、上司部下の関係で指示系統がしっかりしている縦社会。一方、市民活動は市民一人ひとりの想いを実現するという、上下のない横社会です。市民活動は上からの目線では、通用しません。この場合、大切にしなければならない個人のスタンスは、「自分の得意とすることを生かして社会のお役にたつ事は何だろう」と考え、社会のニーズに合わせて柔軟に対応することだと思います。

人生100年時代と言われる中で、豊かに自分らしく生きていくためにはどんなことが大事になってくると思いますか?

杉村 神奈川県でも提唱されている生涯現役の三要素「食事」「運動」「社会参加」を私も大事にしています。これを踏まえて、さらに「生き方の選択に責任を持つのは個人」という視点を持ち、まわりに頼るだけの生活ではなく、自分で自律した心構えを持ち、人生マネジメントをしっかりすることが大切だと思います。

自分の人生観・生活スタイルを持つことと、もう一つは感謝の気持ちが重要です。日々是好日。自分を取り巻くすべてのものに感謝する。一つの例として、年金は権利だからもらって当然ではなく、年金はもらえるだけでありがたい。ありがたく戴いてその分感謝をして、ボランティアをしてお返しをする考えくらいでちょうどいいと思っています。

すべてのものに感謝。言葉の重みをとても感じます。自分のありたい姿を明確に持ち、それを実践されていることに感銘を受けました。湘南ワンハンドレッドプロジェクトに対して、何か具体的に持ち味を生かして戴く方法については如何ですか。

杉村 この年になると自分が中核的な立場で、新たにプロジェクトを立ち上げることはできませんが、次の点などでお役に立つことがあるかもしれないと考えています。

・当プロジェクト主催のイベントなどで、素晴らしい活動内容をその都度BLOGで発信する
・長寿でピンピンコロリを目指すための具体的な心がけ
・現役第一線を引退したときの心境と心がけ
・当プロジェクトで、世代別のパネラーによる討議をする場合に80歳代以上の世代でのパネラー担当
・若い世代の人がプロジェクトを立ち上げる場合に年寄りならではの意見も取り入れたい場合
・80歳を超えて残りの人生に関し、今何を考えているかの参考意見の発表(人生観・生きざま等)

貴重な意見をありがとうございます。人生100年といっても、40代と60代と80代でも課題感や必要なことが異なると感じています。ぜひお力をまたお貸しください。本日のインタビューは以上とさせていただきます。誠にありがとうございました。

<インタビューを終えて>
生涯現役という言葉について私が最初ピンと来ていなかったのですが、杉村さんとの会話で出てきた、「自分の人生観・生活スタイルを持つ」という自分なりのテーマを持ちそれを追い求める姿はまさに生涯現役そのものだと感じました。また、ブログを毎日のようにアップすることは大変ではないかと思っていましたが、日々やるべきことを習慣化することが得意である杉村さんのお話を伺い、むしろブログを毎日あげるほうが生活リズムとして自然なことなのだということがよくわかりました。

※参考:杉ちゃんが行く!6 https://sugimura06.exblog.jp/

インタビュー:山口 順平
写真:岩井田 優
編集:もりおか ゆか