19歳、小笠原諸島がキャリアの始まり。 生き方のヒントを得られる、 “みんなの居場所”を街中につくりたい。

「ここにいるのは本当の自分じゃない」そんな思いに突き動かされ、茅ケ崎から、日本から、遠く、遠くへ環境を変え、自分と向き合い、活動を続けてきた彦坂さん。良いことも悪いことも、これまで経験したさまざまな人や物事との出会いが、自分の理想とする姿ややりたいことを見つける糧になっている。自分で道を選んできた、そんな芯の強さを感じられる彦坂さんのマイストーリーを紐解きます。


―今日は、直子さんのこれまでのキャリアを中心にお伺いしたいと思います。とはいいつつ、いつもの通りカジュアルに話してもらえれば。よろしくお願いします。

彦坂 よろしくお願いします。

―まずは、茅ヶ崎とのご縁からお話いただけますか?

彦坂 実家が茅ヶ崎にあるんです。その縁で、今も気に入って茅ヶ崎に住み続けています。

出身は大磯なんですけれど、実はわたし、小さいころから茅ケ崎や藤沢にあこがれていて。なので、「夢の茅ヶ崎」に住めてとっても嬉しい(笑)

―夢の茅ヶ崎!(笑)どんなイメージをお持ちだったんですか?

彦坂 住みやすい、明るいイメージですね。人と関わる場所、コミュニティがあるところに惹かれていました。茅ヶ崎は、土地柄か、リラックスしたライフスタイルの人が多いなと感じましたね。

―なるほど。では、キャリア(社会人)のスタートも茅ヶ崎から?

彦坂 いえ、実は、小笠原諸島から(笑)

―小笠原??

彦坂 はい。学生を卒業してから、単身小笠原に引っ越したんです。高校生活は楽しかったけれど、「本当の自分じゃない」という気持ちをいつも持っていました。だから、生活や環境をガラッと変えて、自分を知らない場所に行きたい。そんな衝動を感じて、小笠原に行きました。

―それは、かなり思い切りましたね!小笠原での生活はいかがでしたか?

彦坂 「旅の始まりは小笠原」という言葉があるんです。小笠原の人しか知らない言葉なんですけれど(笑)つまりは「小笠原から人生が始まる」という意味です。ほんとうに、その言葉のとおりでした。

―と、いうと?

小笠原って、いろんな人が集まっているんです。お店のオーナー、スポーツ選手、ミュージシャン……自分の好きなこと、興味があることを追求して、それを夢で終わらせずに実現させていっている人たち。そういう人や環境が本当に魅力的で、刺激的で。「どうやったらこんなに興味を持てる対象に巡り合えるんだろう?」「どうやって夢を実現させているんだろう?」って次から次に興味が湧いて、毎日、人を捕まえては話をきいていました(笑)

「自分もワクワクできるものに出会いたい」「出会えたらどれだけ毎日がキラキラするんだろう」と、未来の可能性をたくさん学ばせてもらいました。

―素敵な体験ですね!「環境を変える」って、なかなか踏み出せないこともあると思うのですが、踏み出せたのはなぜだったのでしょう?

彦坂 うーん……わたしにとっては、環境を変える方が楽だったんです。とにかく、ここにずっといたらダメだ、ということだけは明確にわかっていましたから。だから、とにかく遠く、遠く、と(笑)

小笠原に行くまでは、人付き合いが苦手で。でも、人との関わりを心地よいと感じられるようになれたのは、小笠原の2年間がきっかけでした。「みんな違って面白い」それを知ることができましたし、どんな人になりたいのか、って理想像を見つけることができた。社会人の一歩目をこうして踏み出せたことはよかった、と今でも思っています。

―なるほど。小笠原のあとは、すぐ茅ヶ崎に?

彦坂 いいえ、20代後半でワーキングホリデーでオーストラリアに行って、6~7年を過ごしました。そのあとはインドネシアへ。そこにも6~7年かな。2017年に戻ってきて、茅ヶ崎にきました。

ーずいぶん遠くまで行きましたね!(笑)今、お仕事はどんなことをされていますか?

彦坂 平塚で障がい者の就労相談支援をしています。日本に戻ってきたときに、自分を活かせる仕事って?と考えて、直感的に、「福祉」「カウンセリング」というキーワードを思ったんです。人の話を聴くことは、前からよくありましたので。関連する資格を取って、そうしたら、たまたま、平塚でご縁があって。

―そうした領域にひかれた理由は、何かありますか?

彦坂 そうですね、両親が福祉のフィールドに長く携わっていたのでその影響はあります。それと、中学生の時に脊髄そくわん症になったことでしょうか。

身体にもいいからって、母親にヨガに連れて行かれて。そのとき、心と身体のつながりを初めて経験しました。「なんでわたしなの?」「どうしてこうなったの?」という気持ちがあったんですけれど、なんだかしっくりきたんです。自分の心に沿った行動ができてなかったから、心と身体のバランスが崩れちゃったんだ、って。

だからこそ、小笠原に行こう!ってなったんですけど(笑)それと同時に、一人ひとりが自分らしく輝けるために何ができるだろう?と、「心と身体の健康」を考えるきっかけになりました。


―なるほど。小笠原に行って、オーストラリア、インドネシアを経て茅ヶ崎に帰ってきたわけだけれど、チガラボとの出会いは?

彦坂 友人のSNSでイベントを知ったのがきっかけです。インドネシア時代にコワーキングスペースを使っていて、コワーキングスペースのコミュニティができる感じが好きだったんです。だから、「家の近くにもあるんだ!」とワクワクしてチガラボチャレンジに行ったのがきっかけです。

―最初はどんなイメージでしたか?

彦坂 チガラボに集まってくる人は、好奇心旺盛で、未来を見ていて、自分で何かをしたい、という気概にあふれてる。こんなに面白いことを考えている人がいるんだ!ってとても刺激的でした。そのうち、自分も関わりたい、と思うプロジェクトが増えていって、チガラボメンバーになりました。なんらかの形で関わりたい、つながりたい。そんな意思表示のつもりでした。

家族や友人とは別に「自分はこんなこと考えている」って言える場所があるって素敵ですよね。生活に潤いがもたらされたような感覚でした。

―キャリアラボは、いかがですか?

彦坂 キャリアラボは、それが加速した感じ!(笑)

チームにお声掛けいただいて、今の仕事は好きだけど、もっとキャリアラボのプロジェクトに時間をとって関わっていきたい、と思うようになりました。キャリアラボで、わたし自身がチガラボで感じたワクワクや、安心・安全の空間を創れるようになりたい、と思っています。

異業種の方がいてヒントをもらえるし、一期一会の出会いもあって……なにより、人との関係性を築く上で必要な信頼の土台が、ここには揃っているような気がしますね。

―これからの直子さんの夢ってなんですか?たとえば、最初に教えてくださった、「旅は小笠原から始まる」のように、「旅はチガラボから始まる」みたいな話で言うと……

彦坂 わ、それ面白いですね!うーん……

小笠原って、東京から船で32時間かかるんです。32時間、知らない人たちが同じ船に乗って、いろんな話を共有する。小笠原に着いて船を降りたら、そこからはそれぞれ。

これをチガラボにあてはめるとしたら、チガラボで築きあげたネットワークやインスピレーションをもって羽ばたいていく人を見送って、戻ってきたら「おかえり、どうだった?」って話を聴く。行ったきりの方がいたら、そっと声を掛けてみる。そんなサポートができたらいいなって。

―では、キャリアラボでやってみたいことはありますか?

彦坂 いま、演劇をつかった、イギリスの教育型セラピー「アプライドドラマ」の勉強をしています。物語を題材に、心理的タスクを盛り込みながらディスカッションしていくもので、役になってみることはもちろん、その場にいるだけでも、登場人物の環境や心理に共感したりして、生き方のヒントを得られるプログラムなんです。そんな体験をする場所を、キャリアラボとして提供できたらいいなと思います。

―そうやってアプライドドラマに触れる人が増えていったとき、茅ヶ崎がどんなふうになるだろう?って考えると、直子さんが描く未来はどんな姿ですか?

彦坂 妄想かもしれないですけれど(笑)

―妄想でもいいですよ!もちろん!(笑)

彦坂 誰かの家とか、カフェとか、街のいろんなところでプチアプライドドラマが行われている、そんな未来ですね。それはつまり、安心して自分の想いを共有できる場所を、たくさんの人が持てるようになるってことです。家族や友人に限らず、「最近どう?」って、ちょっとした話ができる自分の居場所がある。それだけで、生活はさらに豊かになると思うんです。茅ヶ崎に、そういったみんなの居場所がたくさんできたらいいですね。

―茅ヶ崎全体が、想いを共有しあえる街になる、ということですね。ありがとうございました。

<インタビューを終えて>
小笠原から始まった、直子さんのキャリアヒストリー。そこで出会った人たちが、直子さんの今をつくっているのだと、直子さんのワクワクした言葉や嬉しそうな表情から感じ取れました。新しい扉をたたくのは、いつでも緊張するもの。それでも、心のままに踏み出してみたら、思いがけないことが待っているかもしれません。直子さんがつくる、「想いを共有できる居場所」があふれる茅ヶ崎。未来の姿を想像したら、とってもワクワクしました。

インタビュー:中村 容
写真:岩井田 優
編集:もりおか ゆか