ゴッドハンドと呼ばれる男。 学び、磨き続ける、プロとしての誇り。

ゴッドハンドと呼ばれる男。腰痛を治すために地域の方々だけでなく、県外から来院される方も多い接骨院を経営。独自で考えた手技を生み出した丸山先生の素顔に迫ります。


(丸山 孝明さんプロフィール)
公益社団法人 神奈川県柔道整復師会 湘南支部長。オカダ接骨院 マルヤマ接骨院。

―こんにちは。本日はよろしくお願いします。丸山さんは、柔道整復師というお仕事をされているということで、なかなかイメ―ジつかないのですが、まずはそこから伺ってもよろしいでしょうか?

丸山 柔道整復師とは、ケガというか、体の痛めた所に対し、手術をしない方法によって、整復・固定手技などの治療を行うことができる専門家で、国家資格です。つまり、ケガの治療や健康をサポートする仕事です。

―100CLUBメンバーの有福さんが剣道をされていて、怪我や身体を痛めたときにいつも丸山先生にお世話になっているとききました。それで、とにかくすごい人だからインタビューしようということで今回実現しました。

丸山 ありがとうございます。実は、私の仕事は柔道とか剣道といった日本古来から存在する「武道」から生まれたもので、武道と表裏一体なんですよ。古来から「活法」と「殺法」というものがあります。殺法は関節を決めて戦う技術で、活法は痛めたところを治すテクニックです。ですので、柔道整復師のことを骨接ぎ(ほねつぎ)と呼ぶ人もいます。

―ちまたでは丸山先生はゴッドハンドと呼ばれていると伺いました。腰や膝の痛みを持病としている方が、受診されると一発で即効性があり、あっという間に治ってしまうとか。

丸山 はい。整形外科に行くと、腰痛というのはレントゲンを撮って、脊椎(せきつい)の腰椎(ようつい)を痛めていると言われると思います。実はそれよりも、「仙腸関節(せんちょうかんせつ)※骨盤の骨である仙骨(せんこつ)と腸骨(ちょうこつ)の間にある関節」が原因であるということを独学で突き止めました。それを1ミリにも満たないくらい、動かすべき方向に調整をする。それだけで痛みがとれることがよくあります。患者さんの身体から「ここを動かして」という声が聴こえるんだよね。

―身体から声が聴こえるんですか(笑)?

丸山 よく患者さんからも「身体を触る前からなんでわかるの?」と聞かれるのですが、歩いて入ってくる姿勢を見れば話をしなくてもわかります。だって身体がここを押してと呼んでいるんです(笑)

―極めた人にしかわからない世界に入ってきました(笑)昔からそのような才能というか、技術はお持ちだったのでしょうか?

丸山 いやいや、そんなことはありません。整形外科で助手をしていたことがあって、外科手術にも立ち会っていたので、身体の中身まで知っているというのが経験上大きいかもしれない。

―以前は整形外科の仕事もされていたということですね。さらに謎が深まるばかりです。もう少し生い立ちから紐解いていく必要がありそうですね。若いころの武勇伝を教えてください。

丸山 昔から柔道をやってましてね。中学生でインターハイに出ている選手を相手に投げていました。

その後18~20歳金沢にある北信越柔接専門学校に行きました。卒業後、学校の勧めで一番厳しいと言われていた金沢の医科大の助教授三秋宏先生が開業した整形外科の救急病院で働きました。大学の教授に手術でしごかれたり、整形外科の手術の助手を早々にやらされてね。解剖の本では勉強していたけど、実際には動脈・静脈は赤・青とか色がついていないし、手術の手順も完璧に覚えていないといけないので、とにかく怒られながら必死だった。

―人との出会いが大きな成長につながったのですね。

丸山 先生にはかわいがってもらって。後を継ぐことを期待されていた。学費は全部出すので医大に行かせたいと思っている、と両親に話をしてくれたことありました。

ただ、その頃父親が癌で倒れて。父親は茅ヶ崎で農機具を農協に卸す小商いをやっていたのですが、これで仕事がストップしてしまうと取引していた鍛冶屋30世帯の生活もろとも路頭に迷うので、何とかしてくれと母親に頼まれました。苦渋の決断でしたが、茅ヶ崎に帰って父親の後を継ぎ、1年半で立て直し、軌道に乗せて妹に引き継ぎました。

―波乱万丈すぎますね。それから茅ヶ崎にいらっしゃるのですか?

丸山 そうです。ラチエン通りで丸山接骨院を開業しました。整形外科で学んだという自負もあり、どこかに弟子入りなどは考えず、独学でスタートしました。でも最初は1日に2,3人しかお客さんは来なくてね。しかも3人のうちの2人はさくらだったりして(笑)

―どうやってお客さんを増やしていったのですか?

丸山 患者さんの痛みをなんとかとろうと、全部オリジナルで考えた。来る患者さんに対して必要に迫られて、今まで整形外科で習ったこととは別のことを勉強したりして。それで気づいたのが、仙腸関節の存在です。患者さんが言っていることに整合性が取れない痛みは、仙腸関節が原因になっているはず。そう気づいてからは、世の中で間違った認識をされていることを正しく知ってもらうことが楽しくなってね。そうしているうちに、2年後には1日100人来るようになりました。

―患者さんの痛みと向き合ってきたということですね。

丸山 頼まれたことに対しては、一生懸命努力して応えるということかな。接骨院の仕事を超えているなと自分で思うことなんかもよくあるね。100万人に1人の難病の相談を受けて、「先生なら何とかしてくれるかもしれない」と言われると、どうにかしてやりたいと思うじゃない。不良の中学生を先生のところで面倒見てくれないかという依頼もあったな。

―不良中学生の更生ですか?

丸山 M君の夢は暴走族のリーダーになること。千葉の中学では1年生で盗んだバイクで窃盗事件、さらに車でグラウンドを走り回ったり、学校に火をつけたりと誰も手に負えなかった。そこでうちで預かることにして、茅ヶ崎の近くの中学校に通うことになった。中学3年の2学期も12月。卒業までの3か月のうちで、まずうちに友達を連れてくるようになって、勉強をして高校に行きたいって言いだすようになって、最後はもともと通っていた千葉の中学校の卒業式で「ご迷惑をおかけしました」って言ったんだ。

―一体どんな育成をしたのですか?

丸山 規則正しい生活をすること。これだけです。これって生き物にとって一番大切なことなんだよね。非行もいわば一つの病気。それを治すのはまず健康的な生活をすることなんだよね。中学校の先生からも感謝されて、講演することにもなりました。

―丸山先生にとっての原動力は人から感謝されるということでしょうか?

丸山 そうだね。頼まれたら嫌とは言えないところはあるかな。ただ、たまには嫌と言わなければいけないことも学んだ。

―今後の目標などはありますか?

丸山 一人でも多くの人を治せたらというのはありますね。また、自分の技術をしってもらいたいという気持ちもあるかな。

柔道整復師をなかなか知ってもらえる機会も少ないし。どうやったら全体のレベルを上げられるか模索しています。怪我など保険適用で来院されるお客さんに甘んじず、自分の技術を磨くことですよね。知識として教えたとしても、日々精進しないと結局本当の技術は身につきません。

―人生100年時代を豊かに自分らしく生きるためには何が大事だと思いますか?

丸山 一言で言えば、「前向きなこと」だと思う。患者さんを診ていて思うのは、いつまでも痛みがとれない人って、ここは良くなったけど、こっちが痛くなったという人。結局脳が喜んでおらず、自分の悪いところに目がいってしまう。脳を喜ばせてあげることが大事だと思うな。

もう一つは、いろいろなことに興味を持つこと。私は料理が好きで、家でよく料理をします。料理は想像力と創造力を磨くんですよ。なぜか料理をしている時に新しい治療法が浮かんだりすることがある。リラックスしながら考える時間が大事なんでしょうね。
ギターもいいですよ。昔はバンドもやっていたし。

―もう、多才すぎます。お酒も好きでいらっしゃるのですよね?昔は茅ヶ崎の南口の帝王と呼ばれていたという噂も。今日は詳しく伺えなかったもう一つの顔について次回は飲みながら教えてください。今日のインタビューは以上です。ありがとうございました。

<インタビューを終えて>
有福◎私は定年退職をした状況ですが、個人の可能性を開花させるには定年後でも遅いということはない、これをやってみたいんだという諦めない気持ちがあれば良い、道は開けると思いました。まちのレジェンドとは「諦めない人達」と思いました。

山口◎丸山先生のようにお客さんのためにとことん考え抜いて仕事をできているか?と自分に対してとても考えさせられる機会となりました。なんとかしてあげたいという愛情、使命感は人としての大きな器を感じました。
そして、丸山先生の強みは「探求」ではないかと思いました。たまに日帰り温泉に奥様と行かれることがあるらしいのですが、奥様がゆっくり2時間温泉に入られている間、丸山先生は15分で温泉を出て、残り1時間45分は医学書を読んでいるのが楽しいとおっしゃっていました。好きなことを仕事にうまく結びつけることが、大きな成果の源になっているのだと感じました。

インタビュー:有福 潔、山口 順平
写真:畑中 剛司
編集:もりおか ゆか