自分たちにできないことなんてない。自分の未来は自分でつくる、 とことん楽しい100年ライフを。

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趣味が高じて、友人とのサイクリングツアーを企画したことを始まりに、「人・自転車を優先した街づくり」を市民目線で推進するための活動を行うちがさきサイクルライフ研究会で活動する、津藤登さん。行政とも連携しながら進めてきた研究所での活動や、今後の展望などをお伺いしました。

(津藤登さんプロフィール)

ちがさきサイクルライフ研究会で、様々な企画を考案、自ら先導してのサイクリングツアーなどの活動を実施。亀井工業ホールディングス顧問。。

―こんにちは。本日は、人生100年時代を自分らしく豊かに生きている方々を取材して、現役世代の生き方・暮らし方のヒントを頂こうというインタビューでお伺いしました。よろしくお願いします。

津藤 よろしくお願いします。

―津藤さんは「ちがさきサイクルライフ研究会」で活動をされていますが、お仕事は亀井工業でされているんですよね

津藤 はい。もともと建設畑で、その後介護施設など福祉事業の立ち上げにも関わりました。

自転車は、仕事とは別にサイクルライフ研究会に入る前から趣味でやっていました。単に好きだったんです。もともと川崎出身で、茅ヶ崎に移ってきたときに、環境の良さに惹かれて、自転車が欲しいなあ!と。

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―もともと趣味で始められたことが、現在の活動につながっているんですね。

津藤 茅ヶ崎は江ノ島までサイクリングロードが通っていますから、ちょっと江ノ島まで出てお茶を飲んで帰ってくるコースがほとんどお金をかけず楽しめる。都内からだと、車を出して、高速に乗って、レンタサイクルを借りて……と一仕事ですよね。

それで、都内の友人が遊びに来た時に一緒に自転車で出かけるようになって、それを毎年していたら、どんどん自宅に自転車が増えていきました。(笑)

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―「ちがさきサイクルライフ研究会」はどうやって始まったのでしょうか。

津藤 研究会の前身は、茅ヶ崎市の商店連合会(以下、商連)が行っていた「サイクルライフ研究委員会」です。安心安全な街づくりをベースに、自転車でも買い物できるように軒先駐輪場やレンタサイクルの取り組みをしていた団体です。

そこで年2回「潮風散歩ツーリング」をやっていて、商店連合会の会長と個人的に縁があったこともあり誘われて参加したのがきっかけです。そこからハマって、委員会に入って活動するようになりました。

―委員会ではどのような活動をしていたのですか?

津藤 例えば東京から来た人をサイクリング道へ先導して富士山を見せ、道中で知り合いの農家に寄ってネギやハーブを取らせてあげたり、それをお土産に持たせてあげたり。他にも、和菓子ツアー、お祭りの日の食べ歩きのツアー、色んな景色や文化財の案内ツアーなどもしていました。中でも農業体験イベントは喜ばれましたね。

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―楽しそうなツアーですね!そこから、「研究会」へと移っていったんですね。

津藤 委員会として一定の役割を果たしたし、いつまでも予算を使ってもいられないからということで委員会の活動はひと区切りとなり、市民主体の「ちがさきサイクルライフ研究会」として分離独立しました。

ただ、行政と完全に離れたわけではなく、茅ヶ崎市が行っている「ちがさき自転車プラン・アクション22」にサイクルライフ研究会のメンバーも加わって、街づくりを考えていました。国道一号線の自転車専用レーンなんかは、アクション22が行政も含めて研究会と一緒になって行ったことです。

行政のバックアップがあるからこそできることもたくさんあります。私たちはつい、「行政がやってくれない」と不満を持ってしまう方も居ますが、行政も民間も、それぞれにできることとできないことがありますから、うまく協働できるといいですね。

―なるほど。たしかにそうですね。研究会の今後の目標はありますか?

津藤 ボランティアではなく、有償で活動していけるような仕組みを考えています。

民間団体として活動していくとき、一緒に自転車を楽しむ仲間を増やすためにも、時間の持ち出し、お金の持ち出しばかりでは継続が難しい。有償化する必要があるのではないか、と隣にいる生悦住さんからご意見としていただきました。それで、今は生悦住さんと一緒に有償ツアーの企画をしています。

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左から 生悦住さん、津藤さん

これから定年を迎える人がたくさん出てきますよね。それこそ人生100年時代のキャッチフレーズとしてよく言われることが、「年寄りを元気にしておくのが最大の福祉」ということ。

お年寄りを元気にしておくためには、楽しくて、やりがいがあって、おこづかいが入るというのが最高です。最初は私が先導役をやりながら、後から加わってきた人に任せられるようにしていきたいです。おいしい昼ご飯を食べて、お小遣いをもらって帰る。役に立って、達成感もあるので、またやろうとなりますよね。

「のればエコ、走れば元気」。健康で楽しめる自転車はこれからの時代にマッチしていると思います。

―「のればエコ、走れば元気」!いい標語ですね!(笑)

津藤 それから、地元の人や店、茅ヶ崎の観光資源の活用も考えたいですね。

たとえば、ツアーの中でリタイアしたお父さんたちに茅ヶ崎の昔話をしてもらったり、お母さんたちに郷土料理の教室をやってもらったり。そうすることでその人たちの「生きる力」にもつながると思います。また、地元農家やパン屋さんなんかをサイクリングのコースにいれることで、茅ヶ崎の経済が少しでも地元で循環することができたらと思います。

茅ヶ崎は、ほかの街に比べて個人経営のお店が多いように思いますし、地域ならではのお店を大切にしていかなければならない、と考えています。

―活動をされるときは皆さん普通に仕事もしながらだったんですよね。

津藤 そうですね。イベントはたいてい土日中心です。

イベントの他にも年1回、200人くらい集めた講演会をやったりしていたので大変でした。講師を呼んだり、司会進行、機材の手配など、ボランティアで運営していましたが、みなさん普段の仕事で色々と経験してきたことがあるので、集まると運営できてしまうんですよね。

―講演会までやってしまうなんて、すごいです。茅ヶ崎には、そんな風に隠れた能力を持つ方がたくさんいると思うので、取材を通してどんどん発信していきたいと思っています。

今後は、多世代交流などもできるといいですね。

津藤 多世代交流でいうと、さきほどのアクション22では、茅ヶ崎・寒川の5つの県立高校と一緒に「レインウェアプロジェクト」というのをやりました。雨の日に自転車に安全に乗れるように、中高生が着たくなるような自転車用のレインウェアを高校生が中心に開発しました。1000個作って、1個2000円で売って、完売でした。

この活動は高校生が中心になって、我々はバックアップしただけです。行政はお金がからむと手伝うのが難しい、ということで我々が中心にお手伝いしました。

アクション22では、行政へ自転車道の敷設など意見交換することもあるのですが、私としてはそれだけではなく、自分たちでできることはなんでもやる、という姿勢を見せることもとても大事だと思っています。

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―多世代交流も既に取り組まれていたのですね。レインウェア、ぜひ再販してほしいです。

さて、最後になるのですが、人生100年時代を豊かに自分らしく生きるコツみたいなものはあるのでしょうか。

津藤 とにかく楽しくやることですね。好きなことをやるのが人生で一番楽しい。ボランティアも自分が楽しくなかったら続かないですよね。サイクルライフ研究会のツアーも、土日を使ってやっても続いていたのは、楽しめていたからだと思います。

ただ、リタイアしたから「さぁ、明日から自転車だ!」と思ってもきっと難しい。(笑)「好きなこと」は、現役のときから見つけていかないと。一人ひとり、楽しいと感じることは違います。自分がコツコツ、継続してできること。それぞれの楽しみを見つけてください。

―楽しみながら、自分たちでできることはなんでもやる姿勢、これから活動をする上でとても勉強になりました。

津藤 人生100年時代、我々70代は取材されるにはまだ若い!(笑)これから100歳になってもまだまだ元気で、どこまでやっていけるのか、それを見ていってください。

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―インタビューは以上となります。貴重なお話をありがとうございました。

<インタビューを終えて>

まずお庭に所狭しと並ぶ自転車の多さにびっくりしました(笑)
そしてそれは自分のための購入ではなく、東京から遊びに来る友達のために用意してあげたものだったということを伺い、なんて心の広い方なのだろうと思いました。
さらにその根本には「自分が楽しいと思うものを他の人と分かち合う。」というスタンスがあり、無理なく自然体でかつ長きにわたり活動を継続できている秘訣であるということを改めて知ることができました。(山口)

人が好き。茅ヶ崎が好き。初めてお会いした時の少しのおしゃべりの中でそう感じた私は、すぐに取材をお願いしていました。いつも笑顔でゆったりと楽しそうな津藤さん。津藤さんの優しいまなざしは足元ではなく、常に一歩先の楽しみを探してるように見えました。(菊池)

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インタビュー:山口 順平、菊池 奈々
写真:岩井田 優
編集:篠原 愛海、もりおか ゆか