プロレス×地域活性!“茅ヶ崎といえば、ちがさきプロレス”地元を愛し、愛される街のアイコンを目指す。

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プロレスを通した茅ヶ崎への社会貢献、地域活性を目指し「ちがさきプロレス」を立ち上げた戸田秀雄選手。初代タイガーマスクがヒーローで、毎週プロレス中継を見ては友達としゃべり、プロレスごっこをする小学生だったそうです。そんな戸田選手も、実はプロレス一直線で進んできたわけではなく、さまざまな縁がつながり、プロレス×地域活性を推し進める今にたどり着いたといいます。戸田選手の歩み、そしてちがさきプロレスの現在と未来をお聞きしました。

(戸田秀雄さんプロフィール)
茅ヶ崎出身、茅ヶ崎在住のプロレスラー。 自称『戦う介護職員』 。2016年6月に、地域密着型プロレス「ちがさきプロレス」を旗揚げ。プロレスを通じて茅ヶ崎の社会貢献、地域活性化を目指している。

 

―プロレスを通じた茅ヶ崎の地域活性に取り組む「ちがさきプロレス」。立ち上げてどのくらいになるんでしょうか?

戸田 2016年に旗揚げして4年目になります。いまは22名ぐらいの選手が参戦してくれまして、2か月に1回、茅ヶ崎駅北口近くの湘南スタジオで興行をしています。あとは地域のイベントに呼んでいただいたり。定期興行は立ち上げてから欠かしたことがなくて、僕自身、骨折したときも欠場なしで続けています(笑)。

―すごいですね! “自称『戦う介護職員』”とプロフィールにあるとおり、現在は介護の仕事をされながらプロレスラーとして活動されているとか。

戸田 はい。もともと実家の工場で働いていたんですが、親会社が藤沢から撤退したタイミングでなくなって、介護の仕事に移りました。45歳くらいのときですから、8年ほどになります。平日は仕事をして、ジムに行って、そのあとちがさきプロレス関連の事務仕事をして、という生活です。運営スタッフが他にいるわけではないので、ポスターやチケット作成、ポスター貼り、営業、選手のオファー、それに対戦カードを組むのも全部僕がやっています。

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―すごいなあ。SNSもよく更新されていますよね。プロレスは小さいころから好きだったんですか?

戸田 そうですね。僕が中学生のときは、ちょうど新日本プロレスの初代タイガーマスクが人気の時代で。当時は金曜日に新日本プロレス(以下、新日)、土曜日に全日本プロレス(以下、全日)がテレビで放送されていて、学校に行くと友達が「昨日のタイガーマスクが……」とか興奮して話しながらプロレスごっこをしているんですよ。それで、興味を持って見てみたら面白くて。

―僕の時代も同じでした。週明け行くとプロレスの話題でもちきり。僕はライガーの時代でした。ライガーと大谷晋二郎の戦いがアツくて……タイガーマスクのライバルは……

戸田 ダイナマイト・キッドと小林邦昭ね。

―そうでした! 僕の時代のタイガーマスクは2代目、いや、3代目になっていたのかな。でもやっぱり初代はロープワークがすごかった! マスクマンてやっぱり憧れますよね。……と、話がそれましたが、戸田選手がプロレスラーになろうと思い始めたのはいつだったんですか?

戸田 明確にプロレスラーを目指したことはなかったんですよ。いろいろな縁やタイミングが重なってこうして活動していますが、当時は僕にとってプロレスラーになるってとても敷居が高いことだったんです。

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プロレスラーには体格の規定もあったし、当時はプロレス団体といえば、新日、全日の2つしかなくて間口も狭い。僕の場合は180cm以上という身長はクリアしていたんだけど、それでもやっぱりね。だから、そこにいこうとも、それで飯を食っていこうとも思わなかったんです。高校を卒業してそのまま実家の工場で働き始めて、プロレスは見る専門。そんなふうに時が流れていきました。

―そうなんですね。そこからどんなきっかけがあってプロレスの道へ?

戸田 26歳のときかな、茅ヶ崎にあるスポーツクラブで荒谷望誉選手に出会ったんです。すごいガタイのいい選手で。荒谷選手のトレーニングを近くで見ているうちに、「なんかすげぇな」って思えてきて。そのころからプロレスが身近なものになっていったんです。

業界全体の流れでもあるのですが、若いうちから団体の寮に入ってみっちりトレーニングしてデビューを目指すだけではなくて、ほかの競技から転向してきたり、荒谷選手のように働きながらトレーニングをしてプロレスラーとして活動する選手も出てきたりしていたんです。

―プロレスラーになる道が少しずつ増えてきていたんですね。

戸田 そうなんだよね。それで、そのうち荒谷選手がWARっていう天龍源一郎がいたところに移って。「プロレス好きなら見に来なよ」って声をかけてもらってWARの試合をあちこち見に行くようになりました。まぁチケットノルマがあるから買わされてたってのもあるんですけど(笑)。いや、でも好きだからいいんですけどね!(笑)そのうち荒谷選手とは家まで遊びに行くくらい仲良くなって。WARの巡業にも、運転手としてついていくようになったんです。

toda-san photo with a smile

―付き人みたいな(笑)。

戸田 そうそう、自分の車を出していろんな巡業先に荒谷選手を乗せていった。当時WARでは選手の移動がバスだったから、「なんで荒谷だけ特別な車なんだよ」ってほかの選手にうわさが広まって。ある日、巡業先に向かう途中のパーキングエリアでバスと一緒になったとき、WARのNo2だった北原光騎さんが「俺も乗せろよ」って乗り込んできた。それで今度は3人で回るようになって(笑)。北原さんって、試合での印象で怖いイメージを持っていたから突然車に乗り込んできて驚いたけど(笑)、それから北原さんとも仲良くさせてもらってすごく嬉しかったんですよ。

それからしばらくして北原さんが百合丘に総合格闘技の道場を出すってことで声をかけてもらって、通い始めました。キャプチャー・インターナショナル(以下、キャプチャー)という道場です。

―そういう流れだったんですね。道場に通い始めたとき、お仕事は?

戸田 実家の工場勤務を続けていました。平日は仕事、土日は車でWARの巡業にいきながら、百合丘の道場にも通って。道場にはプロレスラーが来ていたんで、練習をするのが楽しくて、そのうちアマチュア大会に出るようにもなりました。

―そのとき、プロになろうとは……

戸田 思ってなかったですね、まったく。でも、いろんなレスラーに教わっていくうちに、「これ、真剣にやらないとやられちゃうな」って思い始めてはいたんです。いくら練習とはいえやっぱり真剣勝負ですからね。こっちもレスラーから一本とってやる、みたいにムキになっていって。

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―プロを意識したのはいつからなんですか?

戸田 北原さんのジムが自主興行を始めたとき、自ずと対戦相手はプロレスラーになってるんですよ。プロレスラー 対 総合格闘技はじめたばかりのアマチュアみたいな構図(笑)。でもそれもやっていくうちに楽しくなってきちゃって。

北原さんはWARのナンバー2でもあったので、WARでも提供試合が組まれてくるようになりました。それで僕もWARのリングにあがるようになって。そうしたらますます楽しくなってきた。相手はもちろんプロレスラーなんで、週刊プロレスとか東スポに載るようになって、「俺もプロレスラーだ!」みたいな気分になってきちゃって(笑)。

―「プロレスラーになるんだ!」というより、「なったぞ!」っていう(笑)。

戸田 そうそう。それから本格的なデビューをするんだけど、デビュー戦は横浜文化体育館で、キングダムという高田延彦さんの団体の試合でした。テレビの生中継が入るような大規模な興行で、そんなのでデビューしたから余計にね。どんなに小さい会場だって300人くらいの前に立つことになる。後楽園ホールや武道館なんてもっとたくさんですよ。ふつうの人じゃ味わえないところを味わっちゃったんですよね。

―すごいですね。何千人の声援を浴びて、名前を呼ばれる……会社員とかしていたら絶対にありえない。デビューしたあとも、ご実家での事業は続けられていたんですか?

戸田 続けていました。いつか親の仕事を継がなきゃいけないっていう考えもあったから、なかなかどれかを選ぶこともできなくてね。

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しばらくしてキャプチャーから、茅ヶ崎を拠点にした国際プロレスプロモーションに移籍しました。主宰は鶴見五郎さん。デビュー戦やWARの試合、それから大仁田興行(※大仁田厚が主催していた自主興行)が茅ヶ崎にきたときに地元レスラーとして呼んでいただいてリングに立ったりするうちに、やっぱりプロレスっていいなって思って。キャプチャーは総合格闘技道場だったのでね。国際プロレスプロモーションは1か月に1回、定期的に試合がありました。

―定期的な場所があるのはいいですね。ちがさきプロレスはそこからどうやって始まったんですか?

戸田 プロレスラーとして活動する中で、地方の団体さんにも呼んで頂いて、そうするとお祭りとか地域のオープンなイベントでプロレスがあるんですよね。プロレスを知らない人も集まってきて、老若男女問わずみんな楽しそうに見ている。それを経験するうちに、町おこしとしてのプロレスを知って、茅ヶ崎でもやりたいと思い始めたんです。

―なるほど。たしかに戸田選手と最初にお会いした「わんにゃんマルシェ」でも、プロレスラーが出てくるだけで子どもたちがワクワクしながら寄ってきたり、大きい人たちが担ぎ上げられて投げられる場面を見て沸き立ったりしていましたよね。それから案外おじいちゃんおばあちゃんが熱狂されていたり(笑)。

戸田 最近プロレス中継もなかなかないじゃないですか。だから、たまにこっちで小学校に巡業に行っても子どもはプロレスなんて知らない。地方のイベントで楽しそうにプロレスを見ている子どもの姿を見たらね。

立ち上げ当初は、会場探しに苦労しました。市が管理しているところはまず貸してくれない。市営の体育館とかも営利興行だと金額がぐっと上がる。衛生上の理由で屋台を出すこともできないから協賛も難しい。そうすると、僕みたいに小さいところは無理なんですよね。

―いまは湘南スタジオで定期的に興行をされていますね。

戸田 初回からずっと使わせていただいています。プロレスにはすこし天井が低くて投げ技は難しいのですがそれ以外でできることもあるし、ここでできるプロレスをやろうと決めました。リングも天井に高さに合わせて通常より低く改良してもらったんですよ。

toda-san photo at professinal wrestling

toda-san's professinal wrestling poster photo

次回は2020年4月19日(日)に予定されている。

―制限があったらあったなりの楽しませ方があると。

戸田 そうですね。客席とリングの距離も通常より近いですから臨場感を楽しめますよ(笑)。

最近はマットを敷いて行うマットプロレスが流行っているし。普通の居酒屋や、図書館、電車内、工場内とかリングを設置出来ない場所でもやっているそうですよ。

―おもしろいですね。僕、今春学童をオープンするのでぜひそこでもやっていただきたいです! 広めの場所があるんですよ。

戸田 ほんとうは場所を借りるのではなく僕がリングを持って、もっと安い金額や無料で見てもらえるようにしたいんですけどね。

でも、そうやって定期的に興行をしていくうちに「ちがらじ」さんという絶大な協力者も現れて、昨年は浜見平にある複合商業施設「ブランチ茅ヶ崎2」で2回もイベントプロレスをやらせてもらいました。やっぱり外だと歩いている人も目にとめてくれたりして。今年はしろやま公園でもやるんですよ、5月17日の子ども向けイベントで。それも、「ちがらじ」さんに支援いただいています。

―いいですね。この先ちがさきプロレスが目指すところは?

戸田 いつか茅ヶ崎球場で興行をしたいですね。僕ももう53歳になりますからね、2~3年のうちには実現できればいいなと。

―いいですね、超満員の茅ヶ崎球場で! その先、団体の未来の姿はいかがですか?

戸田 大阪プロレスのように、ちがさきプロレスが市のキャラクターになっていければと思っています。茅ヶ崎といえば、烏帽子岩、しらす、それからプロレスって名前が挙がるような。そのために市内での認知もあげたくて「しらすキッド」や「サザンシャーク」という地元のご当地レスラーも登場させて、先日行われた「第1回Choice!CHIGASAKI」(※)にも応募していたんですけれどね。残念ながら落選してしまいました。

(※)2022年3月にオープン予定の道の駅を拠点として茅ヶ崎にしかない魅力を再び見つけ、発展させていく市主導のブランディング活動

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―もっと地域に根差したプロレスを、というところですね。戸田選手個人の目標はいかがですか?

戸田 うーん……やっぱりプロレスにはずっと関わっていたいですね。ちがさきプロレスがこの先存続していけるのであれば、僕は裏方をすべて担って、選手はリングだけに集中してもらう。おじいちゃんになっても口だけは動かせますから(笑)。

―最後に、人生100年時代と言われる今、自分らしく豊かに生きるためにどうすればいいか。戸田さんのメッセージをいただければと思います。

戸田 僕もプロレスを始めるまではどうしようもない生活をしていましたから、後悔したこともたくさんあったんですよ。でも、やっぱり、「やらないで後悔するよりも、やって後悔したほうがいい」と実感しています。

ちがさきプロレスをやる前は人前に立って話すって絶対に嫌だった。でも代表になって頼まれることも出てきて、今まで断ってきたこともすべて受け入れるようにしたんですよね。そうしたら、結局できる。自分のためにもなるし、やって無意味なことなんてないんだなと。今度60分間の講演会にも挑戦するんですよ(笑)。

―新しい挑戦ですね。

戸田 いやぁ、なかなかもうこれ以上のことはないと思う(笑)。

―それもきっと、終わってみたらやってよかったなって思えるんでしょうね。

戸田 そうですね、今までそうでしたからね。

―その感覚ってやってみないとわからないですからね。これからもいろんな依頼に応えていっていただけると。僕も新しい依頼考えますので!(笑)

戸田 試合でお願いします(笑)。

―湘南100クラブも、ちがさきプロレスを応援していきたいと思います! 今日はありがとうございました。

 

<マイレジェンドから学んだこと>
私が戸田選手と出会ったキッカケは湘南地区の動物保護イベント「わんにゃんマルシェ」でした。初めてお会いした際にチャンピオンベルトを巻かせて頂き写真撮影したのは今でも鮮明に覚えています。普段は介護施設の職員として働き、休日には子供からシニアまでを熱狂の渦に包み込むプロレスラーという異色の経歴をもつ戸田選手。その根幹には“地域密着”プロレスで多世代を盛り上げていきたいという気持ちがひしひしと感じとれました。印象に残ったのは「やらないで後悔するよりも、やって後悔したほうがいい」という言葉。これからも湘南を熱くしてくれる「茅ヶ崎プロレス」、応援していきたいと思います。(戸田雄輔)

 

取材:戸田雄輔
撮影:岩井田優
文:もりおかゆか

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