お母さんの居場所づくり”は次の世代へのバトン。“理想”と違う自分を受け入れたら、新しいステージが見えてきた。

「お母さんの居場所づくり」を軸に産後カフェなど定期的なイベントを行うママほぐ。このママほぐ代表を務めているのが、自身も二児の母である高村えり子さんです。一度は挫折しながらも、「お母さんの居場所は絶対に必要」と、強い想いで動き続けてきた高村さんの根底には、自身の子育て経験があったといいます。二児の母、サロン経営者、そしてママほぐ代表と、3つの顔を持つ高村さんに、子育てと地域、そしてこれからのこともお聞きしました。

(高村えり子さんプロフィール)
ママほぐ代表/子育てママの体ケアルームおきなわ屋ぁ代表/岩手県出身。2014年に沖縄恩納村から茅ヶ崎に移住。産後”孤”育てになった経験からママの居場所作りを始める。お母さんをはじめ、多世代が孤独にならない仕組みを作るのが目標。3歳と1歳のお子さんがいる二児の母。

(ママほぐとは?)
お母さんの居場所イベントとして2016年に発足。子育て中で自分をねぎらうことが難しいお母さんの体を癒せる場所をという想いからリラクゼーション、そして、終わりのない育児の中でも達成感を感じる場をという想いからものづくりができる。体験中は無料で保育士等が子どもを見守る。無料の助産師相談も始まった。

―「お母さんの居場所づくり」を軸としたママほぐ。活動を始めて何年目ですか?

高村 1人目の子どもが生まれたときからなので、今年で4年目になります。

現在のメンバーは4人で、わたしと、保育士の古知屋千恵子さん、島村美咲さん、それから最近加わってくれた赤池亜希子さんです。見守り保育やネイルケア、編み物教室などそれぞれが持っている資格や経験を活かしてママほぐを支えてくれています。

―「お母さんの居場所をつくる」というアイディアはどういうふうに生まれたのでしょうか?

高村 ママほぐ立ち上げは、自分たちの子育て経験が大きく関係しているんです。

わたしは、沖縄から茅ヶ崎に引っ越してきて第一子を産みました。出身は岩手ですから、茅ヶ崎はまったく縁がない土地。知り合いもいない、なじみのコミュニティもない状態で子育てが始まって、生後3~4か月くらいにはすっかり家に引きこもってしまって。このままじゃいけないと思いながらもどこに出かけたらいいのかもわからない八方ふさがりの状態で、精神的にも肉体的にもしんどい日々。けれどある日、勇気を出して参加したベビーマッサージのクラスで初めて一人のママ友ができました。そうしたら、そのたった一人のママ友がきっかけになって友達ができたり、子連れで出かけられる場所を教わったり、一気に世界が広がっていったんです。

ママ友同士でご飯を食べながら話していたら、なかなか出かけられないとか友達がいなくてしんどかったとか同じように感じているママたちがたくさんいることがわかって。それで、同じ思いをしているお母さんをどうにかしたいという気持ちが大きくなって有志で始めました。

―立ち上げにあたってロールモデルになるものはあったんですか?

高村 なかったですね。だから、全部自分たちでいちからつくりました。最初は、茅ヶ崎駅南口にあるレンタルスペースではじまりました。そちらのオーナーとわたしを中心に(ママほぐを)始めたこともあって。素人がイベントを運営するわけですから、試行錯誤の連続でした。今もですが(笑)。現在は姉妹イベントの『ママを楽しむ会』(寒川)、『ohana』(辻堂)、『ママリバ』(藤沢)など、ママの居場所イベントが盛り上がりを見せています。今から始めたい人は、一人で悩んだりせず、わたしや団体にぜひ聞いてくださいね。

ママほぐの様子-1

ママほぐの様子-2

―さきほど現メンバーをご紹介いただきましたが、ママほぐはメンバーそれぞれが自分の得意を活かして活動されている印象です。立ち上げ当初から今の形だったんですか?

高村 実はママほぐは、一回解散しているんです。初期メンバーは、当時0歳児のママがほとんどで、熱意はあったんですけれど、自分の子どもにも手がかかる中で、ミーティングやSNS発信などもっと活動に力をいれたい気持ちと、実際にできることがついていかなくて。わたしは当時、子育てよりも仕事を中心に考えるタイプだったので、ほかのメンバーにも自分と同じくらい仕事してほしいと思っていたし、今思えば、もっとそれぞれが持ち味をいかせたはずなんですが、「楽しいより苦しいが多い」とメンバーが辞めていき解散に。でも、それでもわたしはやっぱりこの活動を止めてはいけないと思って。お母さんの居場所は絶対に必要だと思っていたし、一人でもやるって決めて、再始動しました。初期メンバーで保育士の古知屋さんが「じゃあやろう」と、側にいてくれたのが心の支えでした。

―解散の経験を経て、リーダーとしてご自身のスタンスなど考えていることはありますか?

高村 わたしが描くリーダー像が、結構旧式タイプのリーダーだって最近気づいたんです。絶対的な実力やカリスマ性があって、普通じゃない人がリーダーみたいな。それを自分もやらなきゃいけないってずっと思ってたんです。でも、ここ3~4年やってみて、どうもね、できないんですよね(笑)。

解散してから、一人でもやってやるって気持ちで始めたはずなんだけど、子育てとサロンワークをしながらの団体運営はやっぱり一人では限界があって。結果メンバーに助けてもらっている。それでも、リーダーなんだからあまり頼っちゃいけない、自分が一番仕事しなきゃとかってすごく気負っていたんです。でも、このあいだほかのメンバーに、「ママほぐのリーダーはえりちゃんだけど、あなた一番妹だからね。もっと頼っていいんだよ」って言われて。それがすごく嬉しかったんですよね。そんなとき、「みんなの力を借りながら進む。そしてみんなの夢も乗せながら進む」という新しいリーダー像を知って、そっちのリーダーだったらわたしもなれるかもしれないし、なりたいと思いました。いま、すべてがうまくいっているわけじゃなくて、もがいているししんどいと思うこともあります。でも、目的があって、集まってくれるメンバーがいて……だから頑張りますよね。

―プライベートでは3歳と1歳のお子さんの子育て、お仕事は子育てママの体ケアルーム『おきなわ屋ぁ』を起業・経営され、そして地域活動ではママほぐといろんなことをされていますが、どうやってバランスをとっているんですか?

高村 全然うまくバランスとれてないんですよ!(笑)

―いやいや、だとしたらそれで4年続いているのは逆にすごいです!(笑)一歩踏み出すのと継続するのってやっぱり違いますし、まして複数あると。

高村 ママほぐと『おきなわ屋ぁ』は、わたしの中では同じものなんです。『おきなわ屋ぁ』も、「お母さんのほっとする場所」というコンセプトで始めた「居場所」の一つなんです。わたしは、仕事はなんですか?と聞かれたら、「お母さんの居場所をつくることです」と答えているんです。サロンは一対一のお母さんの居場所、ママほぐはコミュニティができる居場所。それぞれ機能分けはしているけれど、目指しているものは同じなんです。

―子育てと仕事はどうですか?

高村 第二子が生まれるまでは、仕事95%、子育て5%くらいでした。

―意外!

高村 土日も仕事しているし、子どもが泣いても構わず仕事は続けるし、それこそ子どもが熱を出すとか正直迷惑って思うくらい、わたしにとっては仕事が生きがいだったんです。でも、もともと我が家はワンオペ家庭で、主人は毎日朝から晩までほぼ家にいないですし、二人目が生まれても同じバランスを保とうと思ったら、それはもうしんどいが強くなって。

―その現状でママほぐを続けてきているってほんとにすごいことですよね。

高村 ドMなんだと思います(笑)。

―(笑)。それだけ強く、ご自身がそういう場所が必要だったってことですよね。

高村 そうですね。この3年、ママほぐを続けてきた根幹にあったのは、ひとりぼっちで家にこもって子育てしていた過去のわたしに、「もう大丈夫だよ」っていえる居場所をつくりたい、という想いでした。

第二子が生まれて、否が応でも仕事のスタンスを考え直させられて。考えるうちに、「わたしはお母さんの居場所づくりをしているのに、わたし自身が家族を隅っこにおいてどうするんだろう」って思いも出てきて。そのタイミングで赤池さんが加わってくれたり、さっきのリーダー論にも通じますけど、自分って思った以上にできないんだなって気づいたり。頑張ればなんでもできるって思っていたんですよね。でも、そこを緩めて、周りに頼って、抱えていたものを手放そうって。

実際に仕事と家庭のバランスを変えてみたら、「子どもってこんなにかわいかったのか」って気づきました。

―(笑)。

高村 わたし、子どもの成長を見落としてきているんだなって。この4年間、子どもの何を見てきたんだろうって。同時に、子どもと接することで自分がママほぐを続ける理由も変わってきたんです。

第一子が女の子なんですけど、今までは「過去の自分のために」居場所をつくりたいと思っていたんですが、今度は、この子が成長したときに「安心して茅ヶ崎で子どもを産んで育ててね」って言いたいって。過去から未来に視点が向いたんですよね。ある意味では、過去の自分が欲しかった居場所の形が成就したってことなのかもしれません。

―結構大きなターニングポイントですよね。自分のためから次の世代、娘さんの世代のために。

高村 産後カフェ(※)を始めたことも、過去から未来へのベクトルの変化がポイントだったんです。安心できる子育てを考えたら、ママほぐという居場所イベントだけではなく、専門家とのつながりが必要だと思って。

(※)ママほぐ―産後カフェ―とは…11か月までの赤ちゃんとママが対象。助産師や心理士・抱っこおんぶの専門家に相談したり、体のケアが受けられる、産後ケアを目標とした居場所です。

―茅ヶ崎に産後ケアが必要だと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

高村 活動を通して茅ヶ崎市の子育ての実情が見えてきたことと、子どもが大きくなって外に学びに出る機会もできて、ほかの地域に目を向けるようになったことです。過去、子育てで孤立したのは「自分」が原因で、少数派だと思っていたんです。でも、現状を知るうちに、わたしみたいなひとりぼっちの子育てをしているお母さんも多くいることがわかりました。茅ヶ崎をはじめ多くの自治体は産む前のケアは手厚いんですが、産んだ後のケアはないに等しいほど少なくて情報的にも孤立してしまうんです。たとえば、助産師さんとのアクセスの悪さ。病院自体が手一杯な現状もありますし、わたし自身「こんなことで(相談の)電話をしちゃいけない」って思いとどまった経験もあって、困ったことがあってもなかなか頼れない。だから、助産師さんをはじめ、専門家とのつながる場所をつくれないかと思って産後カフェを始めたんです。茅ヶ崎は地域がら移住者が多くて、近くに手助けしてくれる祖父母もいない、パパは仕事で寝静まるころにしか帰ってこられない、いわゆる「ワンオペ育児」をされているお母さんが多いですしね。

―産後カフェ、今日も盛況でしたけれど、手ごたえを感じることはありますか?

高村 予約を開始するとすぐ席が埋まるので、やっぱりニーズはあったんだと実感しています。それから、行政と連携が取れつつあることでしょうか。産後カフェと行政、それぞれがケアしきれない部分を相互に補完する体制をとっていこうとしています。産後ケアはマチ全体で取り組む必要があると思っているので、こうして早々に行政の方々とお話する機会を得られたことはよかったです。

―最後に今後のことをお聞きしたいのですが、これからは子育て世代に限らず、世代を超えた「みんなの居場所」という方向も考えていらっしゃいますか?

高村 そうですね。ママという限定した世代の居場所づくりから飛び出してみたいと思うんです。

思えば、子育てで孤独を感じていたときにわたしをつなぎとめてくれていたのは、道ですれ違った全然しらないおじいちゃんおばあちゃんだったり、ふと入ったパン屋の人だったり。いい意味で、無責任に子どもを「かわいい、かわいい」と言ってくれたり時には応援してくれる、そういう交流に助けられたことがたくさんあったんです。以前、子ども一人が育つのに150人との関わりが必要だって記事を読みました。そう考えたら、地域やマチ全体の力が必要です。おばあちゃんの知恵袋、たまには小うるさいおじちゃん、おばちゃんがいたりとか(笑)、いろんな世代がいることが子どもにとってもお母さんにとっても自然な景色だと思うんです。あの、ミルク……

―ミルクピッチャー?

高村 そう!ミルクピッチャー理論!(※)すごくいいなと思っていて。

―お母さんが注ぐばかりだと、やがてそのピッチャーはカラになってしまうから、ピッチャーの中に注いでくれる人たちがいるはずだ、ってことであってます?(笑)

高村 あってます!(笑)ミルクピッチャーにミルクを注ぐのが同じ世代のお母さんだけだったら、みんな息切れしちゃいますよね。だからそこにほかの世代の方や行政が入って、子育てが循環していく。多世代の子育てって、一昔前は当たり前だったと思うんです。でも今はそれが機能しなくなってお母さんたちが一人、家で子どもを育てないといけなくなっている。今見えないだけでマチにはその機能が残っているはずですから、大げさではない、ちょっとした仕組みやきっかけを作ることで、マチや地域全体での子育てが普通になっていくといいなって思います。

―ありがとうございました。

(※)ミルクピッチャー理論とは…お母さんが「愛情というミルクの入ったミルクピッチャー」、赤ちゃんが「小さなコップ」。お母さんは子どものために一生懸命ミルクを注ごうとする。でも、お母さんのミルクはいろんな理由で少なくなっているかもしれない。そんな時に、時にはパパが、行政が、友達が、近所の人が愛のミルクをミルクピッチャー(=お母さん)に注ぐ。そうしてミルクピッチャーからざぁーっとミルクが溢れた時に初めて、小さなコップ(=赤ちゃん)に愛が注がれていく。お母さんだって満たされていなければ、赤ちゃんに愛を注ぎ続けることは難しい。お母さんが心も体も元気で子育てができるよう、尊敬と理解を持ってみんなで支えていくモデル。

<マイレジェンドから学んだこと>
地域コミュニティの再形成を背景に、「居場所づくり」への期待や関心が高まっていると感じます。多くの方からの注目を集めている「ママほぐ」「ママほぐ-産後カフェ-」の活動。理想と現実を両輪にしながら前に前に進む為に、どんな想いを軸としているのだろう・・えり子さん自身の姿に触れてみたくなり、インタビューをお願いしました。ご自身の心境の変化やご家族との関わりをやわらかく受け止め、仲間との関係性や活動のビジョンに反映させていく。「ねばならない」「こうすべき」にとらわれないことが、継続と進化につながるのだと感じました。

<関連リンク>
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インタビュー:柴田真季
写真:岩井田優
文:もりおかゆか