会議でも、写真でも一緒。世の中を「俯瞰」と「フォーカス」の2つのレンズで観る。

kawatei-san photo in study room

ある時は博報堂の社員として、ある時は神奈川県のSDGs推進担当顧問として年間80〜90回の講演活動をされている川廷昌弘さん。その講演では「これからはきれいごとで勝負する社会」というメッセージを発信されています。そのメッセージに込められた意図はどのようなものなのか、川廷さんは今までどのような経験されたのか、そしてSDGs的な生き方とはどのようなものなのか、川廷さんの素顔に迫ります。

(川廷昌弘さんプロフィール)
(株)博報堂DYホールディングス グループ広報・IR室CSRグループ推進担当部長/1986年博報堂入社。1998年から「情熱大陸」などテレビ番組の立ち上げに関わる。その後、2005年「チーム・マイナス6%」の立ち上げ直後から関わり、博報堂DYメディアパートナーズ 環境コミュニケーション部長を経て現職。国連広報センターSDGsのロゴ公式日本語版の制作に取り組む。環境省SDGsステークホルダーズ・ミーティング構成員。神奈川県非常勤顧問(SDGs推進担当)。鎌倉市、小田原市、茅ヶ崎市SDGs推進アドバイザー。公益社団法人日本写真家協会(JPS)の会員でプロの写真家でもある。

■SDGsに関連した現在の仕事について

川廷さんは会社員として仕事をしながら、神奈川県SDGs推進担当顧問、鎌倉市・小田原市のSDGs推進アドバイザーをされ、さらに今回はご自身が住んでいる茅ヶ崎市のSDGs推進アドバイザーにも就任されたのですね。おめでとうございます。最近の活動はどのようなことをされているのですか?

川廷 神奈川県の顧問として、2019年9月に知事に代わってニューヨークで行われた国連総会のサイドイベントでスピーチをしてきました。スピーチで伝えたのは主に3点です。1つめはSDGs未来都市となった神奈川県の取り組みについて、2点目は10代女性のグレタ・トゥーンベリさんが国連総会のスピーチで発言した“betray(裏切る)”に対する大人世代からの返答として「我々はグレタを裏切れない、次世代を裏切れない」という僕の思い、最後に県知事の言葉である“ミッション・パッション・アクション(目的を持ち・情熱を持ち・行動をしよう)”を伝えてきました。ニューヨーク市のジェンダー担当局長からも「あなたのスピーチはとても印象的だった」と言って頂き、帰国後黒岩知事からも感謝の言葉を頂きました。

―いきなりものすごい話ですね!神奈川県知事の名代はとても名誉な仕事ですね。

川廷 そうですね。その上にいよいよ自宅のある茅ヶ崎市からも声がかかり、2019年12月に茅ヶ崎市SDGs推進アドバイザーに就任しました。茅ヶ崎市では2021年を初年度とするこれからの10年の総合計画を策定中で、そこにSDGsをからめることで、SDGsが茅ヶ崎市民にとってより身近に感じられるものになるといいなと思っています。

interview photo with yamaguchi-san

―SDGsをからめることで具体的にはどのような良さがあるのでしょうか?

川廷 大きな役割は、市役所や市民の皆さんが実施している活動の『価値を高める』ということだと思います。SDGsを紐付けることで、その活動が周りの人から共感を得られる。「新しいことをやらなきゃだめだよ」というだけでなく、「今やっていることはどういう意義があるのか」をわかりやすく伝えることができると思います。

以前『湘南の里山を楽しむ会』という茅ヶ崎や藤沢の里山が耕作放棄地にならないように、農業や掃除を続ける活動をされている高橋浩美さんのお話を川廷さんと一緒に聞く機会があったのですが、その時に川廷さんがおっしゃった一言がとても印象に残っています。

川廷 お、嬉しいですね。覚えていてくれたんですね。「あなたがしていることは単なる掃除ではない。街のランドスケープ(景観)を守る仕事だ。SDGsでいうと『11住み続けられるまちづくり』、『15陸の豊かさも守ろう』に繋がる活動ですね」と言ったら、とても有意義に感じてくれていましたね。

自分の活動に意義をもたせること、周囲からの共感を得られるというのはとても大事ですよね。まさに川廷さんのバックグラウンドの『広告』の発想だなと思いました。

川廷 そうですね。『記号化』とか『共通言語化する』ということだと思います。それをやらないとせっかくやっている活動が何を目的としていることなのか伝わらない。結構そういうことは多いと思います。SDGsが活動そのもののブランディングに繋がっていくと良いのではないでしょうか。

kawatei-san and his surfboard photo

 

■川廷さんの今までの仕事について

湘南100CLUBの主旨として、「自分の人生を豊かに自分らしく生きる人」を取材しています。川廷さんのお話を伺っていると、「仕事だからやっています」というよりは、「自分がやりたいからやっています」というスタンスで取り組まれているように感じるのですが、どのような経緯でそのようになっていったのか。その背景を伺いたいなと思います。

川廷 なるほど。わかりました。僕は新卒から変わらず博報堂という広告会社に勤めているのですが、1つのきっかけはTV番組の『情熱大陸』の立ち上げに関わったことですかね。人生の生き方を高みに上げていこう、自分を磨こうという、人の志や生き様を応援する番組スポンサー企業のブランド商品がもつ『挑戦達成』という世界観をTVコマーシャル以外でも作ろうというコンセプトでした。実際の制作はプロデューサーやディレクターですが、番組のコンセプトを企業と放送局との間ですり合わせをしていく過程は、自分の経験として大きかったと思います。最初は意識していなかったですが、5年ほど関わる中で人生そのものが『情熱大陸』だよなと僕も思うようになっていきましたかね。

『情熱大陸』は私も大好きです。誰もが知っているような大きな仕事ですね。

川廷 最初は視聴率もなかなか厳しくて「いつやめるんだ?」と周囲から言われた時期もあったのですが、花開くとみんなが「『情熱大陸』いいよね」という流れができて。だから5年くらい経った時に、これを自分だけでやるのではなく会社全体の資産にすべきだと思うようになって、自分からこのプロジェクトから外してくれとお願いをしました。

自分で積み上げてきたものをあえて自ら外れるというのは勇気がいる行動だったのではないでしょうか?

川廷 周りからは「Mr.情熱大陸だった川廷さんがその仕事を人に渡すというのは一体どういうことなんですか?僕だったら絶対に渡しませんよ」と言ってくれる人もいて、嬉しかったけど全く理解されませんでした。他にやりたいことがあるわけでもなかったけど、純粋にその時は継承すべきだと思っていました。『情熱大陸』を自分の発想にはない形に自分より若い社員に進化させてもらうことが、長寿番組として愛されるためには必要だという思いでいました。

kawatei-san's profile photo

番組自体の「持続可能性」という観点をお持ちだったわけですね。

川廷 もともと僕には次の世代へ引き継ぐという考え方はあったのかもしれないです。『情熱大陸』の次の仕事が環境省の国民運動『チーム・マイナス6%』。メディアコンテンツのプロデューサーが必要だということで配属されることになりました。

正直、環境については知識がなかったので、決まってから温暖化のことも勉強し、国民全体にどう伝えていくか考えました。「北極にいるシロクマのために頑張ろう」といっても人は動かないだろうから、地方のメディアと一緒に地域ごと・自分ごとのキャンペーンとして発信をしていきました。

そうしたら「環境省の職員には無い発想で、広告会社に頼んでよかった」ととても喜んでいただけて、自分のやっていることは、こういうことでいいんだ!と手応えを感じました。それから環境だけでなく、社会課題に対しても広告会社としてできることがあるのではないかと思い始めました。

だんだんSDGsに繋がってくるのですね。

川廷 少し割愛はしますが、僕の業務を当時の社長にも認められて環境コミュニケーション部を立ち上げて部長になり、その後2012年にCSR部長に異動しました。ちょうどそのころ『リオ+20』(2012年6月にブラジル・リオデジャネイロで開催された国連持続可能な開発会議)で、MDGs(ミレニアム・ディベロップメント・ゴールズ)が2015年に終わるので、ポスト2015のキックオフがあり次のゴールをみんなで考えようという話が世界で始まりました。それまで僕は、環境だけでなく人権問題・飢餓・気候変動・生物多様性・エネルギー・教育などそれぞれ社会のために前向きにやっている人たちがいるのに、みんな動きがバラバラになっていることに課題を感じ、傘になるテーマやキーワードがあればと感じていましたが手を打てずにいました。『リオ+20』では社会課題すべてをつながりのあるものとして取り扱う話し合いが始まったのを聞き、「これだ!」と思い注目して追いかけ始めました。それが今のSDGsに繋がっていきました。

interview photo with shimizu-san

 

■川廷さんの強みについて

―世の中の流れと川廷さんの思いが重なったのですね。今のお話もそうですが、川廷さんの強みは一歩ひいて世の中を俯瞰して見ているという強みがあるのかな?と思うのですが、いかがですか?

川廷 お、気がついてくれましたか。すごいですね。僕は「俯瞰」と「フォーカス」と言っています。これは完全に写真家スキルで、僕のもう一つの顔である写真家が影響していると思います。例えば、きれいな風景に出会ったとします。皆さんは「わーきれい」と思って写真を撮りますよね。写真家も当然同じ場所で撮ります。でも写真を見比べてみると写真家の写真はインパクトが違う。なぜかというと、写真家は風景を見た時にそのエッセンスを見切っているからです。このシンボルツリーがいいとか、あの赤が効いているとか、雲がいいとか。全部ファインダーの隅々まで見ていて、この風景をどう切り取ったら自分なりの表現ができるかを考えているんです。つまり全体を俯瞰して見渡して、そのエッセンスをちゃんとフォーカスしてそこが引き立つように写真を撮るから、写真として出した時にその風景が言語化されている状態になるわけです。ところがみんなは何を撮るのか言語化されていないまま撮っているから、写真になるとぼやけてしまうのだと思っています。

―「俯瞰」と「フォーカス」、勉強になります。

川廷 それは会社での会議も全く一緒だと思います。会議も風景です。この人がこれを、あの人があれを言っている。そして最後に僕が「みなさんが言っていることはこういうことですよね?」とまとめると、「私もそれが言いたかったことです」と話がまとまる。「川廷さんは会議をまとめるのが上手ですね」と言ってもらえるのですが、僕としてはこの葉っぱが、この木が面白いなと思いながら聞いて、最後に風景として提示しただけだと思っています。博報堂に入ってから写真を本気で取り組み始めたのですが、写真スキルが上達すればするほど会議の風景も見えるようになったと思います。

―写真も会議も一緒のスキルという考え方は私には全く思いつかない考えでした

川廷 神奈川県の顧問に就任して、初めてのミーティングの場でもまとめることがありました。県庁職員の方々が集まり、一人ひとり担当事業について話をしていただきました。そこで僕が「ところで県庁の役割は何でしょうか?各事業のことはわかりますが、全体の構造図がないので私にはよくわかりません」と言ったことをきっかけに、県庁の役割を俯瞰して考える議論になりました。神奈川県は県民・市民・企業・教育研究機関それぞれやっていることをきちんと俯瞰して、人的・資金的・政策的支援をすることで下支えをする役割であるという整理に繋がっていきました。

よく理事からも「川廷さんはダメなものはダメとはっきり言ってくれるからありがたい」と言われます。もちろんその場でダメ出しをするだけでなく、一緒に議論をしてどんどんアイデアを出していきます。一方でその中でぶらしてはいけない軸を持っているからどんなに議論している中でも指摘が出来るわけです。これを僕は「動体視力」とよんでいて、動いていてもしっかり捉える力だと考えています。

―まさに「俯瞰して全体をとらえ、おさえるべきポイントにフォーカスする」ですね。さらにそのフォーカスする時の「動体視力」つまり「ぶれない軸」というのはどうすれば鍛えられるのでしょうか?

川廷 それはね、人生経験ですよ(笑)。痛いことを沢山すればいいと思います。人生でつまずいて、つまずいて。人の痛みも知って。身内からは「まだまだ甘い」なんて言われていますが(笑)。最近読んだ本では、自分の軸を持つことは「人文学、ヒューマンストーリー」でもあるんだなと学びました。今の世の中は、経済ありきで、お金の計算ができる子供・社会人はたくさん育まれた。ただ、いい意味での自己主張ができにくい世の中になってしまった。だから今こそ『教育』だと思っています。次世代を育てるということは、忖度しない『自分を持った人』つまり『人文学が身にしみた人』が必要だと思います。それをわかりやすくしてくれるのがSDGsだと思っていて、経済・環境・社会に目配せをしていくということです。経済優先では人間は地球を自ら潰していくしか無い段階に入ってきています。会社が言っているからといって自分で判断することをしなければ本当にまずいわけです。

kawatei-san's face photo

―本当にそう思います。自分の軸というのがこれからの世の中のテーマになりそうですね。

川廷 僕も仕事を含めた生活全体においてもようやく自分が見えてきました。復興で一緒に頑張った南三陸の林業家の山で、伐倒してきたこの南三陸杉など全て産地がわかる木材で建てた家もそうだし、土曜日に朝起きて家の近くの朝市で野菜買ったり、三浦半島の薪を買ったり、まだまだ不十分だけど、全部自分の軸で行動の選択していくわけです。

きっと、そういう生き方が大事だ、参考にしてみたいと思うから僕の話を聞きたいと言ってくれる人がいるのだと思います。そうでなければ「あいつは何きれいごとばかり」と言われてしまうのでしょうが、そう言われないのは社会が変化してきているからだと思います。

■川廷さんの今後について

―仕事を含めた生活の全てを自分の軸をもとに一つひとつ丁寧に選択するというスタンスはとても共感します。まさに私もそうありたいなと思いました。色々伺ってまいりましたが、川廷さんの今後を伺いたいです。

川廷 そうですね。どうでしょうね。60歳定年は会社にも宣言してしまいましたので、これからどうするか自分でも色々な可能性を考えている段階です。

今は博報堂のCSRグループとして働いている以外にも神奈川のSDGs推進チームとして、ある時はグローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンとしてなど、様々な社会的な立場で動いています。複数の場所で働くパラレルキャリアを実践していると言われていますが、目指すその先は同じで、未来志向でいいバトンを次世代に渡すこと、そして誰も置き去りにしない社会の仕組みを官民の立場に関わりながら作っていくことです。

今は博報堂の社員として出来ている部分もありますが、博報堂を辞めたからこそ自分が世の中に求められるポストを作っていきたいとも思っています。「そこにポストがあるからどうですか」という単なる天下りのような感じではなく。だから、志をともに何年も一緒に活動してきている仲間ともどういう収入源を作っていくのか議論することもありますし、自分の対価として何をアウトプットできるのか日々考えています。講演活動もその一つになると思うのでそのスキルも磨き続けていきたいです。

―常に磨きをかけておくということですね。

川廷 その時代時代に求められることを磨いていく。いまからの3年半後に向けてプレッシャーではあります。でも「なるほどそんなステップがあるんだ、その生き方アリですね」と参考にしてもらえるような、パラレルキャリアとか、ポートフォリオワーカーと言われる若い人たちから見た時に、僕のキャリアの作り方が希望を持てる形でいたいという気持ちもあります。でもこれは、もちろん世のため人のためだけど、何より自分が生きていくための切実なことでもあるんですよ。

photo of kawatei-san house

「ポートフォリオワーカーの原型」と言われる川廷さんにこれからもかっこよく人生を切り開いて頂きたいです。

川廷 ありがとう。でもね、そんな風に自分の人生を考えるようになったのは茅ヶ崎に来てこの家に住んでからなんです。この家は下駄履きさせてくれていると思っていて、つまり身の丈より少し底上げされた状態だと思っているんです。最初は家を建てるローンのこととかも気になって無理かな、なんて思ったのだけど、お金の使い方だなと思って。賃貸に仮住まいしている時に、自分が頑張って稼いだ家賃がどこにいくのかを考えて、自分が納得できる使い方にしたいと思って腹を決めました。地元の工務店と相談してFSC認証(森林の環境保全に配慮し、地域社会の利益にかない、経済的にも継続可能な形で生産された木材に与えられる国際認証)を新築戸建てでは日本で初めて取得して、漆喰で壁を友人みんなに手伝ってもらって塗ったりして、林業家、製材所、加工場をはじめ、全ての工程でサポートしてくれる人みんなで作ったのがこの家です。そういったことが自分を鼓舞する力、まさに生きる力になっているような気がします。「人まかせにしない家づくり」というのがこの工務店のコンセプトです。以前の家はハウスメーカーに建ててもらって、お金払って、建てた時がピークで後は劣化するだけだったように思います。それは人まかせの家づくりだったからなのかもしれないし、自分が払ったお金が最終的にどこにいくのかも考えることすらしなかった。経年劣化ではなく、経年優化とか経年風化とかいうように自然に帰っていくような生き方を磨いてくれている空間が、この家なのかなとも思います。

林業の現場で、自然と共に生きることを教えてくれてお世話になった三重県の林業家の速水亨さんから、「家建てる時は檜使えよ」と言われていたことが本当に現実になり、山梨の県有林に入ったこととか、今までお世話になった方々が走馬灯のように出てきて、この家を建てることが出会った人たちとの集大成になりました。そうすると関わる人は単なる仕事の人ではなくて、人生の良き友になっていく。今まで起きた全部を自分のストーリーに取り込むわけです。これは自分にとって大きいですね。

photo of his room with a wood stove

自分の姿勢、生き方そのものですね。

川廷 だから自分の家を建てた話はSDGsの講演でも話すようにしています。自慢話に聞こえるのかもと思うと弱気になることもあるのですが、自分の家と南三陸で一緒に産業振興に取り組んだ林業家や牡蠣漁師の話は必ずするようにしています。自分の講演にならないですから。そして、「きれいごとは揶揄するのではなく、自分から行動していくことです、きれいごとで勝負できる社会に変革しましょう」というと、本質的にわかっている人はみんなそうだよねと理解を示してくれます。

今までの仕事を振り返ると、「生活者発想」をフィロソフィーとしている博報堂で生き様を学んできたということを実感します。生活者という軸を持っていると解が見えるよ、いい人脈ができるよ、自分もいい生き方ができるよ、というのを会社に教えてもらっている気がします。

会社に育てられて、またそれを会社に恩返ししてというのが理想の関係ですよね。

川廷 そうですね。「会社の売上がこれだけあがりました。それとともに自分もこんな人間に成長できました」って、お互い切磋琢磨というのが理想の会社との向き合い方だと思います。博報堂というところでは失敗のほうが数多いけど、得たものも大きかったなと大きな節目に近づいてくると気付きました。55歳すぎるとみんなそんな感情になるものじゃないでしょうか。

これからの世代に伝えたいことがあればお願いします。

川廷 そうですね。「君は何者?」ということでしょうか。つまり「自分が何をしたいのか」と向き合うことだと思います。

20代の頃、初めて僕の写真展を東京と大阪で開催することが決まった時のことですが、あるデザイナーの先生にめちゃくちゃにけなされたことがありました。「なんだこれは?君は不感症だな。君が何に美を見出しているのかわからない。写真は辞めたほうがいい」と本気で怒られました。それで一から勉強し直すつもりで、関西支社転勤が決まっていたので同時に写真学校にも通い始めました。その時に言われたのが「君は何者?」でした。「君は不感症」「君は何者?」と次々にボコボコに問いただされて、そこから自分は何者だろうという自分探しをするために、故郷の芦屋で子供の頃の自分の姿を探すかのように撮りました。その後、阪神淡路大震災後の変わり果てた町や復興の勇気をくれた桜を撮りながら、僕はフォトグラファーじゃなくて、写真家として地域の本質を見出し自己表現するんだという、「君は何者?」に対する答えを言えるようになっていったように思います。ある時、あの怒られたデザイナーの先生から突然電話がかかってきて、「最近写真家として活躍しているじゃない」と言われて。ボロボロ泣きましたね。

photo of kawatei-san's work

―「君は何者?」というのは深いですね。自分と向き合い続けるということですね。

川廷 そうです。だから、ひたすら「僕は写真家として死にたい」とも言っていて。賞はとっていなくて無名だけど、個展と写真集は残っているので、会社を辞めてから写真家として生きていきたいなという気持ちもあります。

―それもまた素敵ですね。今日は深い話を沢山伺い、刺激をいただきました。まだまだ色々伺いたいですが、他の川廷さんの講演などにも参加をして知識を深めたいと思います。ありがとうございました。

photo of smiling interview member

 

<マイレジェンドから学んだこと>
川廷さんは、やはり尊敬するミスターSDGsでした。生き方そのものにぶれない軸が形成されていて、考え方だけでなく普段の行動・暮らし方すべてに一貫性があると感じました。またぶれない軸は会社員としてだけでなく、写真家やポートフォリオワーカーとして様々な活動を行き来する中から磨かれていることがわかりました。私も「君は何者?」その問いを常に持ち続け、過去を振り返ることから自分を省み、未来に向けて自分のありたい姿に向けて一貫性のある生き方、ぶれない軸を磨いていきたいと思います。

取材:山口順平
撮影:安藤アン誠起
文:山口順平、もりおかゆか