大切なのは「想像力」と「私“だから”できた」。聴こえる人も聴こえない人も、みんなが「困りごとカード」を出しあえる社会に

photo of Nasu-san at the start of the interview

「1000人に3人」「日本にいながら言語と文化が違う」― 聴こえない人・聴こえづらい人と、その周囲の人たちをサポートする目的で2020年5月に設立された 一般社団法人4Hearts(フォーハーツ)。その代表を務めるのは、自身も生まれつき重度の聴覚障害を持つ 那須かおりさんです。
「一口に“聴覚障害”と言っても、聴力だけでなく、聴こえなくなった年齢やコミュニケーション手段、生まれ育った環境など一人ひとりが異なり、ひとくくりにはできません。特に、先天性の場合は生まれつき聴こえないため、雑談など無意識のうちに人の話を聴いて知識を得る「耳学問」を蓄積することが難しいのです。また、手話を母語(乳幼児期に自然に習得する言語)とする人達は、日本にいながら言語も文化も異なります。それが聴覚障害の社会理解、 “本質” 理解が進まない一因になっている。」と、那須さんは言います。
那須さんが目指す、「ハンディキャップや心の問題を地域や社会とともに解決していく世界」への想いをお聴きしました。

(那須かおりさんプロフィール)
社会起業家。一般社団法人4Hearts代表。『みみとこころのポータルサイト』の運営、聴こえる・聴こえないを超えた対話の場『みみここカフェ』の開催など、聴覚障害についての社会理解を推進するための活動を続けている。

ー「聴覚と心理」に着目する『みみここカフェ』。「みんなの話がわかる」をスタートラインに ー

順平 2020年5月に立ち上げられた一般社団法人4Heartsは、聴覚障害についてのコラムや体験談を紹介するポータルサイトの運営、それから最近では、聴こえない人・聴こえづらい人のための『みみここカフェ』を開催されているのですね。

那須 『みみここカフェ』は、耳が聴こえないお子さんを持つ親御さん、聴こえないことで悩みや生きづらさを抱えている方、それらに関わっている、関心を持っている方に来ていただきたいと思って開催しました。聴こえない・聴こえづらいといってもその度合いは様々で、補聴器を付けたからといってもあくまで音の補助であって、「聴者のように」聴こえるようにはなりません。また、片耳だけ聴こえない方は、障害者手帳をもらえず、障害者認定されないんです。

昌美 え! 知りませんでした。

那須 仮に補聴器をつけていても、聴者のように聴こえるようにはなりません。日常生活で聴こえづらい場面があると、「さっきは聴こえていたのに」と周囲の人との軋轢が生まれる可能性があります。さらに障害者認定をされていないと困ることが結構あるんです。そうした悩みや生きづらさを感じている方が、『みみここカフェ』で話をすることで楽になればと。2020年10月にSNSを中心に募集して初開催したところ、11名に参加いただきました。

順平 イベントでは、「聴覚と心理」に着目されているところが印象的でした。聴覚に障害があることで様々な問題があり、自分の思いや考えを上手く伝えることが難しいことに繋がっている。それを話せる機会を作ることが大事なんだと、私も初めて知りました。

那須 聴覚障害者の中には手話を母語として話される方々もいます。手話を第一言語としている人達は、同じ日本人でありながら、言語と文化が違うんです。文化的背景が違うから、どうしてもズレが生じます。音声言語には、表情とは別の感情を声のトーンやニュアンスで伝えることがありますが、視覚言語である手話にはそれがない、聴こえないからこそ「見たまま」。
だから、表情でストレートに伝えることが多いため、オブラートに包むことや社交辞令的な表現はあまりしません。自分が伝えたいことは、(日本語にすると)そうじゃないんだけどな、と思うことがあったりするんですよ。さらに、聴こえないことによって「情報がない」「分からない」ということは、状況判断することも次のアクションを起こすことも難しい。そういった様々な乖離が、車いすや視覚障害といった他の障害とも違うところなんです。聴こえない人が社会認知されづらく、“本質”理解が進まない理由にもなっていると思います。いろんな障害者団体はありますが、実は聴覚障害者はそこからもちょっと外れているんですよね。パラリンピックにも参加することができず、聴覚障害者には別にデフリンピックがあるんです

Photo of Nasu-san

一方で、自分の気持ちを言語化することの難しさは、障害の有無に関係なく、皆さん感じていることのようにも思います。

順平 確かに、自分のことを発信できる場所は誰しもに必要なのかもしれません。特にコロナ禍で家に閉じこもりがちな今は心のケアも必要な印象です。

那須 そうですね。人と人が繋がるには、やっぱり丁寧に「傾聴」することが大切です。そこから、自分が叶えたい想いや、将来の目標といったものが出てくる。それはその方の原体験から遡る過程を経て築かれていくもので、とても時間がかかることなんですよね。

順平 『みみここカフェ』では、そういった自分のことを話せる場づくり・仕掛けはどんなことをされたんでしょうか?

那須 『哲学対話』という東大教授の方が提唱している方法論(編集註:1960年代にアメリカで始まった「子どものための哲学(Philosophy for Children:P4C)」に由来するもの)を取り入れました。哲学対話には「発言を否定しない」「知識ではなく、自分の体験に基づいて話す」といったルールがあって、それをベースにして、あとは皆さん適当に、自由にいていいよ、という場にしました。もちろん、手話や会話内容が字幕で表示される音声認識などの情報保障をできる限り取り入れました。

『みみここカフェ』に、大人になってから聴力が落ちて聴こえなくなった方がいらしたんです。その方は、聴こえにくくなっていることを周りに言えなくて、黙って耐えていたそうなんです。けれど、今回『みみここカフェ』に参加して「10年ぶりにみんなの話がきちんとわかったうえで自分の意見が言えた。」と仰っていたんです。聴こえている方からしたら、当たり前のことかもしれませんが、聴こえない私たちにとっては当たり前ではなく、すごく大事なことなんです。だから、聴こえない人たちにも文字や手話で情報保障することを当たり前化することが、スタートラインなのかなと思います。

ー 3か月のアリゾナ暮らしも。幼いころから抱えてきた葛藤と経験が今の自分を作り上げた  ー

順平 那須さんご自身も、言いたいけど言えない葛藤を抱えた時期はありましたか?

那須 ずっと葛藤していました。私は4歳の時に聴こえないことが発覚したのです。その時は叫ぶことしかできなくて。物に名前があることもわからない、五十音もわからない状態からスタートしました。そこから2年ほどかけて、母親が言葉を覚えさせました。おかげで普段喋っていても発声に違和感がないくらいにはなったのです。気づかない人は気づかないし、本当に聴こえてへんのと疑われることもありました。

私は、小学生の頃(ろう学校ではなく地域の小中学校に通っていた)、自分が聴こえていないことに気づいていなかったんです。他の子との違いって補聴器をつけていることくらいでした。でも、高学年になって女の子の会話が増えてくると、だんだんその輪に溶け込めなくなってきちゃって。男の子と遊んでいる方がいいやとなって、少年野球に入ったり、スポーツすることに流れていたんです。聴こえない子は、こういう流れが多いと聞きます。(聴こえないことを)自分がわかっていないから、「ゆっくり話してほしい」とか、要望を伝えられない。周りは聴こえていないことに気づかないし理解できない。さっきは相手の話がなんとかわかって、うまく会話できていたのに、状況によって聴こえないし、わからないということが起きる。状況によって細かく違うから、本人も混乱するんです。だから、「この子ちょっと違う、なんなの?」っていじめの対象にもなってしまうんです。私もずっとそうでした。

Photo of Nasu-san at ChigaLabo

会話を「わかっている」と一口に言っても、周りの「わかっている」レベルがどの程度かがわからないんですね。みんなと自分の「わかっている」基準の違いがわかれば、「ここまでもっていきたいので、こういう支援をしてください」と伝えることもできるんですけれど、自分は「わかっているつもり」になっていますし。聴こえない先輩や同級生がいれば気づけたんでしょうけれど、あいにくいなかったので。だから、小学生の時から、周りをすごく観察していたんです。例えば、みんなが理科の教科書を持ったら、「あ、次は移動なんだな」とか。それは今でも続いていて、今こうしてお話していると円滑にコミュニケーションができているように見えるかもしれないですが、実は、全部観察のうえでの推測で、実際に言っていることすべてがわかっているわけではないんです。

昌美 言葉だけではない部分を推測しながら、トータルで会話……。それって、ものすごく神経を使われているってことですよね。

那須 そうですね、結構ぐったりします(苦笑)。だから、なるべく省エネで、感情もフラットでいようと思って生きています。私、クールって言われることがあるんですけれど、実はそうじゃなくて、省エネなだけなんです。

昌美 今までの経験、環境から作られたものなんですね。

順平 那須さんは、大学院まで進まれて、アリゾナで3か月過ごされていたと伺いました。それも、誘われて行かれたとか。大きな勇気、ターニングポイントですよね。

那須 そうですね、私は無鉄砲というか向こう見ずなところもあるので、直感で決めました。誘ってくれたのは、京都出身でアメリカに移り、アリゾナで日本料理店を営んでいる方でした。インターネットを通じて知り合って、実は、現地に着くまで顔も見たことのない人だったんです。

順平 すごい勇気ですね。何か響くキーワードがあったんですか?

那須 もともと海外に行って殻を破りたいという気持ちがあったんです。実は、大学院卒業後、うつ病の影響もあって就職活動ができなかったんです。ならばと、パートやアルバイトも探しましたが、ことごとくダメだったんです、私。聴覚障害者は、コミュニケーションが取れないし、電話もできないからって、簡単なバイトでも落とされました。単発のバイトの登録すら断られました。それで、社会に行き詰まりを感じていて。それをブログで愚痴っていたんです。それを見たその方が、「日本で腐っているくらいならおいで」って誘ってくださって。アリゾナではほとんど観光でしたが、日本では見たことがないような生き方を目の当たりにして、そんな生き方もあるんだって強く思いました。

順平 日本に帰国されてからは変化がありましたか?

那須 実生活では、生命保険会社に就職して、祖父母の介護もあって日本モードに戻ってしまったんですけれど、心の中では、自分の生き方をちょっとずつ考えていました。ちょうど31歳の時、電機メーカーに転職して、35歳までに家を買って、40歳には会社を辞めよう、そこから自由に生きよう、と決めました。今、実際にその通りにやってきています。ちょっと予定より早いですけれど、去年39歳で会社も辞めて、こうして4Heartsの活動を始めています。

Photo at the time of the interview

ー 発想転換のキッカケは一冊の本。どこにも属さない「狭間」の感覚を強みに ー

順平 すごいですね。目標としていた40歳を目前にして、いよいよやりたいようにやるぞ、というスイッチが入ってきたところですね。今は、カウンセラーとしても学ばれていると拝見しました。

那須 はい、カウンセラーとしてのスキルアップのため、産業カウンセラーの資格取得に向けて勉強しています。私は2017年に交通事故にあって、それから茅ヶ崎に来たんですけれど、その間って、人生一度立ち止まって自分を振り返る時間だったんです。その期間に100冊くらい本を読みまして、そこで『ネガティブ・ケイパビリティ』という本と出会いました。

精神科医の方が書かれた本で、そこに「宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐え抜く力」とあったんです。それを見た時、腹落ちして。今までって、聴こえる人の世界も、聴こえない人の世界にも入れなくて、その狭間を歩いているような孤立する感覚を持っていたんです。けれど、この本を読んで、その宙ぶらりんな今、私だからできることがあるんじゃないか、答えを出さない生き方もあるんだと思えた。そこで切り替わったんです。

順平 どこにも所属していないという状態が、むしろ強みになるんじゃないかという発想の転換ですね。

那須 そうです。心理にフォーカスするようになったのもそれがきっかけで。アダルト・チルドレンやHSPなども勉強していく中で、聴こえない人は心の問題を誰にも相談できずに困っている方がたくさんいるんじゃないかと思ったんです。カウンセリングにいっても、カウンセラーが言っていることがわからなかったらコミュニケーションがとれないですし。だったら、私が心理をちゃんと勉強して、何か役に立てたらと思いました。

順平 産業カウンセラー資格取得後はどのような活動をお考えですか?

那須 聴覚障害者が社会に出て働くための一貫した支援の仕組みを作りたいと思っています。その拠点として、カフェバーを開きたい。そこでは聴覚障害者を雇い、彼らが社会に出て人間関係を形成し自己実現をするための訓練をします。そこを経て社会に出たら、私は産業カウンセラーとしてバックアップしていく。もちろんそのカフェバーは、聴こえる人にも利用してもらって、両者の交流の場にもなります。

聴覚障害者は、就職も困難ですし、いざ就職しても、同僚や上司とうまくコミュニケーションが取れない方も多いんです。私も会社員を経験しているのでわかります。もちろん本人の問題もあるんですけれど、会社側にも問題はあります。例えば車いすにはスロープやトイレとか、具体的に必要なことがわかるんですけれど、聴こえない人に何を用意すればいいか、わかっていないことが多いんです。筆談すればいい、モニターに字幕をつければいいとか、会議の時にちょっと気をつければいいくらいにしか思っていない。でも、“本質”はそこじゃないんです。それを世間はわかっていないし、会社もわかっていないし、加えて、聴こえない本人もわかっていないことがままあるんです。

順平 ハード面だけではなく、働く上でのコミュニケーションにも着目したフォロー体制の構築。やっぱりそれは、当事者として経験されてきた那須さんだからこそ気づく視点ですよね。

那須 私自身、最初から気づいていたわけではありません。自分と向き合っていた時間、4Heartsの活動、産業カウンセラー養成講座での実践的な訓練などを通じて自分を振り返り、益々、こうしたものが必要なんだと気持ちを強くした部分がありました。

Photo of Nasu's shelf at ChigaLabo

ー「私“でも”できた」から、「私“だから”できた」に変えていきたい ー

順平 那須さんが今後目指したいところを教えてください。

那須 4Heartsが運営する『みみとこころのポータルサイト』内に会員サイトを作って、やりたいことがある人とそれを手伝える人をマッチングさせていく『オンラインサロン』を考えています。会員がそこに困りごとや、やりたいことを書き込んで、それを見た人が手を挙げて一緒に実現していける場所。地域の人たちとも関わりながら、みんなで話し合い、楽しんで進めていく。叶えていく様子を見守っていく。聴こえない人に対して構えるのではなくて、インクルーシブに、聴こえる人も聴こえない人もごちゃまぜにしたいんです。

私は、生まれつき聴こえないことよって「できなかったこと」がたくさんあるんです。例えば、もともと医者や獣医になりたかったんですけれど、聴覚障害者が医者や獣医、看護師などになることは当時は「欠格条項」という法律で禁止されていました。その進路は初めから絶たれていたんですよ。そうすると、やっぱり、社会から拒絶されているような感覚に陥ってしまうんです。自分の努力でどうにかなるような部分ではないですから。

ある方から「困ったことは市役所に訴えればいいよ」と言われたんです。けれど、私自身、その発想が浮かばなかったことに心底びっくりして。「困っていることは当事者がどんどん発信しないと気づいてもらえない」、そういった意味での言葉だったのですが、私にはその発想がなかったんです。いくら自分が主張しても、結局は社会からダメだと言われるんだって、その感覚が染みついているんですよね。そうするともう主張もしなくなる。それがすごく根深い問題だと思います。

順平 社会から遮断される、権利が与えられていない感覚ですね。

那須 はい。だからこそ、聴覚障害者の社会進出のためには、「私“でも”できた」から、「私“だから”できた」に意識を変えていく必要があるんです。そのために、当事者がやりたいことを叶えられる場所を作りたいと思い続けてきました。その一つの答えが『オンラインサロン』です。「私“でも”できた」というのは、自己評価が低いんですよね。そうではなくて、「あなただから出せる価値があるんだよ」って伝えていきたい。そういう根底の意識が、ダイバーシティと言えるんじゃないでしょうか。

順平 自分の経験だからこそできることがある。まさにそれは、湘南100CLUBの活動とも共通する部分です。一人ひとりが、その人だからこそできるものを絶対に持ってる、けれども、なかなか気づくことができない。それには整理が必要なんですよね。そのために、考える機会や自由に話せる場が必要で、それによって少しずつベクトルが変わっていく。サロンに困りごとを書き込む、その前段階として、まずは困りごとを言語化する。そこが最初に伺った『みみここカフェ』に繋がっているんですね。

那須 そうです。「心を言葉にする」という部分ですね。個人にスポットをあてて応援しあう。茅ヶ崎って、人を応援しあう雰囲気があるので、それを広げていきたいなとも思っていて。それが、茅ヶ崎のブランドにもなると思うんです。

『オンラインサロン』でのポイントは、結果だけではなく経過もちゃんと見える形にすること。成功した姿だけではなくて、コミュニケーションのもつれなどの失敗も含めて全部見せれば、次に行動する人が応用できますよね。それを蓄積していかないといけません。

順平 成功事例だけではく、失敗も含めた過程を見せる。

那須 世間一般に、往々にして成功したところだけしか見せないことが多いじゃないですか。聴覚障害者の世界でも、障害を持ちながらキャスターをされている方や海外で活躍されている方を取り上げて、講演したりしている。そうすると、聴こえない子供たちは、そういう人しかロールモデルを見られないんですね。本当に必要なのは、事務仕事をしている人が上司とどうコミュニケーションをとるのか、困りごとを周囲や相手の状況を汲みながらどう伝えるのか、そういうところだと思うんです。聴覚障害者に限らず、世間一般的に、成功例だけではなくて、失敗する姿も含めて、その過程を見せていくことがこれからの時代に求められるんだろうという気がしています。

順平 「那須さん“だから”できた」が4Heartsの過程を通じて見えてくることは、同じ聴覚障害をお持ちの方にとって勇気をもらえるのではないかと思います。社会全体にも、活動を通じて聴覚障害者に対する認知が広がり、いろいろな物事の解決に繋がりそうです。

那須 私が聴覚障害者として、社会起業家として露出していくことが、聴覚障害者を見える化することにも繋がると考えています。聴こえる方々は、実際に聴こえない人に会わない限り、聴こえない人のことが意識に上らないですよね。自分事にならないと。例えば自転車に乗っていて、目の前を歩いている人が聴こえない人かもしれないとはあまり考えないですよね。私が茅ヶ崎に引っ越してきた時に何が怖かったかって、自転車だったんですよね。ベルを鳴らされてもわからないし……。挨拶をされても無視しているのではなくて、聴こえていないから反応がないなんてことも。一歩想像して、なんらかの事情があるのかもしれないと考える、そういうゆとりのある社会になったらいいなと思います。

photo of Nasu-san wearing a cochlear implant

 

ー 社会で目指すべきは「インクルーシブ」デザイン ー

昌美 以前、視覚障害者の方と一緒に行動することで、障害者の課題や必要なサービスを考えるという “インクルーシブワークショップ” に参加しました。視覚障害者の方の後方からついて歩き、日比谷から東京国際フォーラムまでの地下道を行って帰ってくる、その後、どの場面で何が必要と思ったかについて話し合うというもの。その時、自分が考えたことが、障害者の方のニーズに合っていないことを実感しました。考えたことは自分の視点であって、実際に当事者の声を聴く、対話することが大切なんだなと気づきました。これが当事者の方を知ろうとするきっかけになったのです。

那須 そうですね。私も、聴こえない人や障害のある方に向けてアプリを作ってみたので体験してみてくださいとかお声かけいただくことがあるんですけれど、なんで初めから当事者を関わらせないのかなって思うことも多いです。ある程度のモノが出来てから言われても、正直なところ、「別に要らないかなぁ」となってしまっているのも見てきました。皆さん大きな善意でやっていただいていると思いますけれど、お金も時間ももったいないですからね。「ユニバーサルデザイン」という言葉もありますが、私は初めの段階から当事者が関わっていく、「インクルーシブデザイン」と言うようにしています。

順平 僕は会社で新規事業ビジネスをやっていますが、「誰の」「どういう課題」に着目していくのかが重要だと実感しています。そこを掘り下げないと、本当に必要なものが提供できない。そういう意味では、ざっくばらんに何に困っているのかを語り合える場があることがスタート地点で、有効なのかなと思います。企業側からしたら、その当事者との出会い方がわからない、という面もあるのかもしれないですね。

那須 そうですね、私のところにもバラバラといろんな方がいらっしゃるので、まとまったデータがあって、それが共有されると開発がもっと前に進むんじゃないかと思ったりします。ただ難しいのは「聴こえない」と一口に言っても、先天性か後天性か、高齢化といった原因、さらに聴覚障害であっても、受けてきた家庭教育、手話教育の有無、補聴器活用の有無、残存聴力など、経てきた経験やコミュニケーション方法によって、「今、ここ」の困りごとはそれぞれ異なるんです。だから、4Heartsのポータルサイトに私個人の困りごとを書くことはもちろんできるんですけれど、それが聴覚障害者全体の困りごとだと捉えられてしまうことは避けたいんです。そこで、先ほどの『オンラインサロン』構想に繋がったわけです。

photo of Nasu-san smiling

こえることは表現すること。想像力を働かせ、みんなが「困りごと」を言い合える社会に ー

昌美 実は今、私も聴こえにくくなってきていて。家族の中で一番聴こえづらいのが夫の声なんですね。「聴こえないからもっと大きい声で話して」って言うんですけど、なかなか言うとおりにしてくれなくて。それがすごくストレスになります。年齢を重ねたから仕方ないって思いながら、家族なのに、そこがもっとケアできたらって思っています。

那須 価値観の衝突ではなくて、それ以前のコミュニケーション問題で衝突してしまいますよね。聴こえないことでコミュニケーションが取れなくて衝突して、それでどんどんずれてしまって。やっぱり家庭って安らげる場所であってほしいと思いますし、それがストレスになるのは本当にしんどいですよね。私はもともと聴こえないので、途中から聴こえなくなった方のことは理解しきれない部分もあるかもしれませんが、こう考えたらラクになるよ、とアドバイスはできると思います。

順平 人生100年時代と言われる今は、年齢と共に耳が聴こえづらくなる方もきっと増えてきますよね。そうすると、こうした問題も多くなりそうですね。

那須 ストレスが突発性難聴を引き起こすみたいに、 “耳”と “心”って密接に結びついています。そういった意味で、ひいては認知症にも繋がってくるみたいなんですね。聴者にとって「聴こえる」というのはコミュニケーションの原点です。ということは、社会に、みんなに関わっていくことの原点なわけで、だからこそ、“耳”と “心”というのは結び付けて考えていかないといけません。

順平 密接に繋がっているからこそ、もっとそこを大切にしなきゃいけないと、まずは気づく必要がありますね。今日のお話で、聴こえることが自分を表現することにも繋がっていると実感しました。最後に、那須さんにとって人生100年時代をワクワク自分らしく過ごすためのポイントとは?

那須 私は、他の人が夢を叶えているのを見ると嬉しいんです。だから、多くの人が夢を叶える接点を継続的に生み出せる場を創ることで、どんな世界が見えるのか、それを追いかけていきたいですね。私一人では手がまわらないくらいに課題ってたくさんあるので、私が動くことによって波紋のように動きが広がっていけば嬉しいです。

photo of Nasu-san with chigaLabo board

障害は個性と言われますが、私はその考えに反対で、あくまで障害は障害だと思っています。何かに置き換える必要があるのでしょうか。本人ではなく、多様性に対応できていない社会に障害があるんです。それらの事実をそのまま捉え、じゃあどうしようかと考えるほうが“本質“を突いていませんか。

そして、それぞれに障害特性やそこから生まれる心理があるので、まずはそれを知ろうとしてほしい。それがあってから「聴こえる人も聴こえない人も障害者も健常者も関係ないよね」という順番だと思います。だって、職場で聴こえない人がうまく困りごとを伝えられなくて悩んでいたら、「聴こえる人も同じだよ」と声をかけるのでしょうか。本当の寄り添いってそういうことでしょうか。だから、友達に相談するみたいに、みんなが同じ方向を見て遠慮なく話せる社会になっていくことが理想です。聴覚障害者は、1000人に3人程度。だからきっと認知されないところもあると思いますし、私自身、いろんな人に助けてもらいながらでないと、この活動を広げていくことはできないと思っています。だからこそ、私自身も、何か人の役に立ちたい。

昌美 世の中にはいろんな人がいて、いろんな面を持っていて、“まぜこぜ”がいい。なんでもオッケーみたいに認められる世の中になったらいいですよね。

那須 障害者からすると、健常者を「なんでもできる人」って神格化してしまうことがあるんです。けれど、本当はその人にもいろいろな困りごとがあって、人生があって、もしかしたら、内側に病気を抱えている方もいるかもしれないですよね。だから、どちらの立場も、想像力が大切。障害者も、想像していかなければいけない。これ、私自身もまだまだ言いきかせています。そうすれば、障害者の側が、一方的に権利を主張していくということもなくなります。相手を思いやって発言できるようになれば、一緒に考えていける。困りごとがない人なんていないと思うので、困りごとのカードを出しあえる環境になればいいですね。みんなどんどん言っていけばいいんですよ。

順平 これから先の人生で例えば身体が衰えたり年々肩身が狭くなるように感じた時に、そうやって言える場があれば周囲に対して心強く感じますし、自分自身も元気になりますよね。
たくさんの人がやりたいことや夢を叶える場作りは私も非常に興味があります。これからご一緒できることがあれば是非、よろしくお願いします。今日はありがとうございました。

Member photo after the interview

【みみとこころのポータルサイト】
一般社団法人4Hearts(フォーハーツ)https://4hearts.net/
「みみここカフェ」 は偶数月に開催中。詳細は上記サイトにアクセスしてご確認ください。

<インタビューを終えて>

  • 今回那須さんと1時間ほど対話する機会をいただき、いろいろなことを知ることができた!と思ったのですが、インタビュー原稿内容を那須さんにチェック頂いたら、たくさんの修正・追記をしていただき、その内容を見て「ああ、自分はまだまだ理解が追いついていなかった」ということに気づきました。言葉になっていなかった部分を追記いただいたことで2度勉強する機会をいただきました。その分深い内容になったのでたくさんの人に見てもらいたいです! 特に、今回のインタビューでまず興味深く学びを得たことは「耳と心のつながり」です。聴こえないことによって「情報がない」「分からない」ということは、状況判断することも次のアクションを起こすことも難しい。その結果、周囲との行動と乖離が生まれ疎外感を感じるようになるということ。 それを那須さんの原体験から知ることができました。そして、那須さんは孤立感を感じていた宙ぶらりんの状態をそのまま受け止めるように発想を転換し、自分の強みに変えていった。さらに4Heartsの活動や産業カウンセラーの勉強を通して自分に磨きをかけ、今まさに「私だからできる」活動として社会に価値を提供しようと突き進んでいる。原体験からくるぶれない意志を強く感じました。 聴覚障害の方に限らず「私だからできる」というその人の強みを活かすことは誰でももっと必要になる要素だと思います。那須さんと活動をともにしながら、人との違いから気づく自分の強みを私ももっと掘り下げてみたいなと思いました。(山口順平)
  • 今回、ちょっと緊張しながらインタビューに臨みました。気づかずに失礼な振る舞いをしてしまわないかと… 膝の上にPCを置き、那須さんとメインインタビュアーの順平さんのやりとりを聴きながらメモをとっていました。
    インタビュー前半で、那須さんから 「話していると円滑にコミュニケーションができているように見えるかもしれないですが、実は、全部観察のうえでの推測で、実際に言っていることすべてがわかっているわけではないんです。だから、なるべく省エネで、感情もフラットでいようと思って生きています。私、クールって言われることがあるんですけれど、実はそうじゃなくて、省エネなだけなんです。」とお話しされ笑顔がこぼれた時、緊張がふわっと解けていくのがわかりました。
    想像がつかないほどの疲れだろうと思いを巡らせながら、距離が縮まったように感じたのでした。
    そして、『みみここカフェ』に込めた「成功した姿だけではなくて、コミュニケーションのもつれなどの失敗も含めて全部見せれば、次に行動する人が応用できるから蓄積していきたい」という想いを聴いて、本気の寄り添う姿勢に応援していきたい。もっと多くの人に、那須さんの活動を知ってほしいと思いました。いろんな人がいていい、ごちゃまぜがいいと思える世の中を目指したいと思いました。状態が違っても誰もが対等であり、誰もが生きやすい世の中にするためには、“知る”ことから始めなくてはならない、とあらためて思いました。『みみここカフェ』に参加したいと思います。(山口昌美)

<インタビュー> 山口 順平、山口 昌美
<撮影> 岩井田 優
<文> もりおか ゆか