自分の中から湧き出たものは、絶対に新しい。それを伝えるために、思ったらすぐにやってみる。

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新しいということには魅力がある。新しいとはどういうことか、どこかに新しいものがあったから持ってきたというのは、新しいものではないと語る、生悦住さん。みんなが気づかないことを真っ先に気づくことが大切。自分の中に生まれたものは絶対に“新しい”。
新しいものを実現するため、思ったらすぐやる! それができるのは好奇心と行動力。一度会ったら親友!という気持ちで出会いを大切にしていらっしゃる人柄も、生悦住さんの魅力のひとつです。これからも、いろいろな人とつながって、また「新しい」ものを生み出されることでしょう。

(生悦住 型造(いけずみ けいぞう)さんプロフィール)
1941年8月生まれの78歳。横浜市中区出身。大手デザイン会社勤務を経て1977年(36歳)銀座でデザイン会社を経営。2007年(65歳)からは WEBサイト CHIGASAKI IITABI 運営/ ちがさき体験滞在型旅行推進協議会会長

― 生悦住さんのことはまだまだ知らないことばかりです。まずは年齢とご出身を教えていただけますか?

生悦住 年齢は78歳かな。1941年8月生まれです。出身は横浜の中区です。大晦日の日除夜の鐘じゃなくて港の汽笛を聞くという。そんなところで育ちました。横浜は今でも好きですね。アメリカ兵がフレンドリーで好きでしたね。茅ヶ崎には、結婚を機に30歳くらいのときに来ました。

― 銀座でデザイン会社をされていたことは存じ上げています。設立されたのはおいくつのときだったんですか?

生悦住 はい。銀座の松屋の隣のあたりでデザイン会社をしていました。我々が借りているビルのブロックにスタバの1号店が出来るようなところでした。1977年2月だったので36歳のときでした。

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― いきなり銀座。すごいですね!どんなデザインをされていたんですか?

生悦住 たまたまここに作品集が…(笑)。ダンという会社で、いろんなクライアントがありました。これは後半のクライアントでユニットバスのパンフレットですね。うちにはデザイナー、コピーライター、カメラマンもいたので、企画から商品メリットまでどういう風に打ち出していくとかその段階からやってました。グラフィックデザインというジャンルなんですが、カタログ、雑誌広告、新聞広告なんかをやっていました。

― 可愛い!お洒落ですね!デザインの勉強をされて、デザインの会社を立ち上げられたわけじゃないんですか?

生悦住 大手のクライアントを抱える老舗のプロダクションに入って勉強していたら、倒産しちゃったんですよ(笑)。僕はまた新しい広告代理店に就職しようと思ってたんですが、(クライアントだった)ある人からスタッフをまとめといてと言われて、大手の取引先の仕事が広告代理店経由ではなく、自分にダイレクトに来ちゃったんですよ。

― では、自ら起業したわけじゃなかったんですね!

生悦住 そうなんですよ。そのクライアントの担当だったからという感じでした。最初は10人くらいで立ち上げて、40年くらいやりました。かなり良いのをやりましたよ。そのときはバブルだったんで、作ればどんどんお金が入ってくるという感じで。

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― そうだったんですね。生悦住さんの担当はディレクションですか?

生悦住 はい、それと営業を担当してました。うちにはコピーライターも優秀なデザイナーもいました。チームはとても優秀で、僕の弟がチーフデザイナーだったんですが、彼自身もかなり優秀なデザイナーでした。

― (作品集を見て)どれもスッキリしていてお洒落ですね。当時はかなり忙しかったんじゃないですか?

生悦住 ありがとうございます。そうですね、忙しすぎて茅ヶ崎と銀座をタクシーで移動していましたよ(笑)。ただ、遠いのでタクシーがなかなか乗せてくれないんですよ。そうこうしてるうちに隣にホテルができて、そこに寝泊まりしていました。2週間泊まりっぱなしみたいなときもありましたね。当時は忙しかったですね。

― それでも茅ヶ崎から離れることはなかったんですね。茅ヶ崎の生活を楽しむようになったのもお辞めになってから?

生悦住 そうですね。だんだんと会社の規模も小さくなって、65歳くらいのときに別の人に仕事を引き継いで閉めました。茅ヶ崎を楽しみ始めたのはそこから。30歳で茅ヶ崎に越してきたのに、そのときまで茅ヶ崎の山側に自然があることなんて知らなかったんですよ。

― 茅ヶ崎を満喫するようになったきっかけはなんだったんですか?

生悦住 そう、もう随分経ちますが。65歳頃かな。文教大学で「市民と一緒に茅ヶ崎の良いところを探そう」という海津先生の講座があって、そこに参加したのがきっかけです。その講座が終わるときに、先生からマイクを借りて、「このまま散り散りになるのはもったいない、皆でなにかやろうじゃないか!」と声をあげて「ふくの会」というのを作ったんです。2月9日に発足したので「ふくの会」になったんです(笑)。

― 「ふくの会」ではどんなことをされたのですか?

生悦住 話がタイミングよく用意してあるなー(とチラシを広げて)
自然環境+茅ヶ崎グルメ、歴史文化+茅ヶ崎グルメのように、基本は美味しいものを食べに行くんです(笑)。一番初めは、“海を歩いて海を食べよう”と海岸を歩いて、しらすのかき揚げを食べたりしました。2回目は山の方を歩いて野菜中心にして、春になるとつくしや野草を摘んで食べたりしましたよ。人気だったのは、里山公園でピザの具をダーっと並べて、自分で選んでトッピングして石窯で焼いて食べるというイベントでした。BBQもやったし、いろんなことやりましたね。

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― ただ食べるんじゃなくて、自分で何かを感じて食べるから 味もまた違うんですね。

生悦住 そう、そうなんです。いいところを歩いて、いいところを見ながら、発見して、それに類するものを食べるという感じです。2013年には「ふくの会」で「認知症は予防できる!」という講座もやりました。当時は人生80年を目指して「能力強化弁当」を濱田屋さんに作ってもらいました。役所との企画で管理栄養士さんに内容を考えてもらってね。

― 作ってもらったというのは、生悦住さんが濱田屋さんに内容もリクエストしたのですか?

生悦住 僕だと役不足なので、市役所で管理栄養士の免許を持っている人に監修してもらいました。僕の講義は「認知症を予防するには、小魚を食べる、ほどよい運動、社会に進出という3ポイントだけど…一番大事なのは、女性は密かにボーイフレンドを3人くらい作ると良いんですよ(笑)。それをかち合わないようにするのに頭を使うと、これが一番のボケ防止になります(笑)。」そんな締めくくりでやりました。その他、座禅をくみに行ったり、湘南茶遊サロン、脳を活性化させる健康茶の会など、いろいろと「ふくの会」を35回くらいやりましたよ。

― いろんなイベントの企画は生悦住さんですよね? その発想、思いつきは何から得られたものですか?

生悦住 画というか、思いつくとすぐやっちゃうんです(笑)。たとえば、シャンソンが好きなので、プロのシャンソン歌手をよぼうとか、ジャズもやろうとか…

― えー!ふつう呼べないですよね。どういうつながりがあるんですか?仕事を通じてですか?

生悦住 いえ、全然仕事関係じゃないんですよね。横浜です。シャンソンとかジャズが好きなので、よく横浜に音楽を聴きに行っていたんですよ。そんなところからつながりができて友達が増えたりしています。あるところに行くと僕の名前は「KISS ME」なんですよ。黒人の友達と町を歩いていて、ちょっと離れると、遠くから僕のことを「KISS ME」って呼ぶんですよ。恥ずかしかったですね。生悦住だから発音がなまってキスミー(笑)。

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― 本当に生悦住さんの人脈はすごいですね! 財産ですね。

生悦住 そう、面白いんですよ。さっきのお弁当の話も、役所とのやりとりが得意な知り合いがやってくれたり、市の補助金の話なんか教えてくれた人もいます。役所に交付金を申請する手続きは膨大なんですよ。でも、それを得意とする人たちと組んでやっています。それは「ふくの会」のメンバーですよ。

― 「ふくの会」今は活動してないんですか?

生悦住 そうですね。今は休んでいる状態です。僕が他の方で忙しくて(笑)。CHIGASAKI IITABIとかね。

― 今活動されているWEBサイト「CHIGASAKI IITABI」ですね。どういったきっかけでスタートされたんですか?

生悦住 きっかけは「ふくの会」の活動をしているときに、茅ヶ崎には元気なお年寄りが多いことに気づいたんです。きっと子供のときにいいものを食べていたんじゃないか?と思い、ちょっと調べてみようとお年寄りを取材させてもらったんですね。長生きの秘密がわかりました。食物繊維豊富な麦飯が主食でした。自家製の味噌を使ったみそ汁、漬物は発酵食品だし、またミネラル豊富な海産物をたくさん食べていました。これらの料理を実際に作って写真にとって冊子を作ったんです。

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この冊子「再発見!茅ヶ崎の伝統食」を作って配るという企画で「茅ヶ崎の元気基金」に応募して交付金をもらいました。CHIGASAKI IITABIはそういった経験から思いついたものですね。
そのあともいろいろ考え「ちがさき体験滞在型旅行推進協議会」を立ち上げまして、農水省から交付金をもらいました。農業体験として、筍狩りをして筍づくしの料理を食べるとか、七福神めぐり、サザンツアーなどをやったりしました。正式には「ちがさき体験滞在型旅行推進協議会」だけど、わかりづらいので「CHIGASAKI IITABI」と名付けてやっています。

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― はじめはこの冊子からスタートして。その先にあるのが「CHIGASAKI IITABI」なんですね。

生悦住 これからは、健康で病院のお世話にならず100歳まで生きなければなりません。そこで「人生100年食」食物繊維豊富。発酵食品豊富。ミネラル分豊富この3拍子揃えた「人生100年食」を開発中です。CHIGASAKI IITABI の第1セールスポイントと考えています。ご期待ください。

― ツアーということは、食べる前に何をするのですか?

生悦住 はい。「人生100年食ツアー」最新の企画では、健康長寿食メニューに菜花など入れています。菜花はガン予防になると言われてるんですよ。菜花を摘んで菜花の食事を食べる。4月は筍をやってみたいと思っているんです。これをネットに載せて募集しています。

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CHIGASAKI IITABI Webサイト

― これからやりたいことはなんですか?

生悦住 トロトロスィートポテトを商品開発中で、サツマイモを押していきたいですね。「サツマイモはあなたをきれいにする」サツマイモは、2種類の食物繊維があるんですよ。善玉菌が増えると腸が活性化して免疫力がアップします。さつまいもは焼き芋にして売れるから、畑を2反借りてつくっています。それから、次は大麦。畑に大麦を植えています。大麦は太いからストローになるんじゃないか、プラスチックを排除するために使えるんじゃないかと、自分で作ってみて引き出しに入ってるんですよ。秋には、子どもたちと「本物のストローをつくろう!」をやろうと考えています。

― 本当に生悦住さんは発想力がすごいですよね。それが今回取材したいと思ったきっかけでもありました。大麦が先なのか、ストローが先なんでしょうか?

生悦住 思ったらすぐやる! なんでも思いつきでやっちゃう、それだけ

― 子どもの頃からデザインに興味があったのですか?

生悦住 新しいということは魅力がある。新しいとはどういうことか、「どこかに新しいものがあったたから持ってきたというのは、新しいものではない。自分の中に生まれたものが新しい。」子どもながらに思っていたんですよ。
たとえば、きれいな花。きれいだって、もうわかっているんだから撮る必要はない。バリエーションでしかない。きれいに咲き誇っている花じゃなくて、崩れ落ちちゃうような花の枯れていく様をきれいに切り取るのが面白いじゃないかって気づいたんですよ。みんなが気付かないことに真っ先に気づくことが大切なんです。

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― かつてのお仕事が、今、どう活かされているのでしょうか?

生悦住 僕の場合は会社をやってみて、こうやるとできなくはないな…とわかるんですよ。これは算段がつくのか?ということがわかってきたのかもしれないです。算段がつかないと判断できないかもですね。

― 今の企画もそこに全てが繋がっているのかもしれないですね。生悦住さんが企画をする上で大事にしていることってありますか?

生悦住 自分の中で“新しい”っていうのは一番の魅力だと思っているので大事にしています。どこかから持ってきたものじゃなくて、自分の中から湧き出てきたものは、絶対に新しいじゃないですか。そういうのを大事にしなきゃいけない。 IITABIの企画もそうですね。

― 最後に、この記事を読んでいる人に一言をもらえるとしたらどんなことを伝えたいですか?

生悦住 思いついたらとにかくみんなやってみなさいよ、と思います。いきなりフェラーリを買うのは大変だけど、そういうわけじゃないんだから。頭で考えて一歩を踏み出さないんじゃなくて、思いついたらやってみたらいいと思います。あとは、友達は大事ですね。僕なんか1回会えば親友。仲間がいればいろんなことが出来ますよ。

― 本日は貴重なお話をありがとうございました。生悦住さんの人脈のすごさは、生悦住さんの魅力があるからで、その魅力は「新しい」を生み出し続ける好奇心と行動力、感性だと思いました。お話をお聴きできて嬉しかったです。
(帰り際)型造さんというお名前、この漢字はご両親の想いがあるのでしょうか?

生悦住 親父がデザイナーだったんですよ。

な・る・ほ・ど! (納得)

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<マイレジェンドから学んだこと>

いくつになっても、立ち止まらず、新しいことにチャレンジし続けている生悦住さんの魅力の“源”をお聴きすることができました。「新しい」を生み出し続ける好奇心と行動力、感性、そして人脈だと思いました。その人脈のすごさは、人とのつながりを大切にしてきた生悦住さんのチャーミングな魅力に基づいていると思いました。
「どこかに新しいものがあったたから持ってきたというのは、新しいものではない。自分の中に湧き出たものが新しい。」新たな気づきでした。そういう視点でモノ・コトを見たら、新たな発見ができるとワクワクしてきました。お話ししていると「気取った喫茶店をやりたい、売り込みたい」とどんどん新しいアイデアがでてきます。とにかく楽しい! もっと生悦住さんとお話ししたいので、今度はIITABIのツアーに参加します。そして、自分の中から湧き出す「新しい」を見つけたいと思います。

取材:山口 昌美
撮影:岩井田 優
文:福間 貴子