音楽×IT×ロハス 興味のままに飛び込めば、“世界”は案外身近にある

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福岡に生まれ、大阪、東京を経てアメリカへと飛び立った井手敏和さん。プロミュージシャンとして活動する傍ら、電機メーカーに勤め、さらには音楽制作ソフトの開発、経営者、コンサルタント、音楽プロデュース、それから日本に「ロハス」を持ち込んだとか……若い頃から興味を持ったことには何でも取り組む、何足もの草鞋を履く生活を送ってきたという井手さん。井手さんのストーリーからは、かの有名な「少年よ、大志を抱け」のメッセージが聞こえてくるよう。ネットの普及も含め、今、世界はとても身近になっていて、地続きともいえる。大きな夢を描き、突き進もう。

(井手敏和さんプロフィール)
1958年1月1日 生まれ。20代にプロとしての音楽活動を通してコンピューターに出会う。1987年に渡米、シリコンバレーで音楽制作ソフトを開発、世界的にヒットする。2000年に日本に帰国、音楽・映像制作会社の代表として、“喜多郎”などの癒し系アーティストや、自然映像と音楽のヒーリングTVチャンネルなどを手がける。その後、日本初のカーボンオフセットビジネスを立ち上げ、健康や環境ビジネスに関わっている。2005年5月、アコースティック・ユニット「To Be Acoustic (TBA)」*のファーストアルバムなどをリリース、「いきいきロハスライフ!」(2005/ゴマブックス)などロハス関連書籍も執筆。2011年から茅ヶ崎市在住。

 

― 井手さんは、29歳で渡米されているとお聞きしていますが、音楽活動の関連でしょうか?

井手 いえ、勤めていたメーカーの仕事です。当時は、メーカー勤務とプロミュージシャン、二足の草鞋を履いていたんですよ。駐在員としてロサンゼルスに行って、そのまま15年ほどアメリカで過ごしました。

― 今でこそ副業も一般的になりつつありますが、当時としては走りですよね。

井手 そうですね。メーカーといっても、ミュージシャン向けに音楽機材を作っている会社でしたので、音楽活動への理解もありました。入社したのも機材を買ったのがきっかけでした。入社してからは、楽器店でのレコーディングセミナーで、僕がギターを弾いたり録音したりしてね。

― 渡米された時、音楽活動は?

井手 働き始めて2年くらいかな、バンドを解散するタイミングで、メーカーでの仕事のほうに重点を置くようになりました。ちょうど時代は、アナログからデジタルへ移行する頃。シンセサイザーやMIDI(Musical Instrument Digital Interface)など、今だと当たり前なものが出てき始めて、面白いなと思ったんです。もともと僕は理系でしたしね。

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― 井手さんは、音楽制作ソフトの開発もされていますよね。

井手 大学時代の先輩が興したITベンチャーに出入りするようになって、「音楽ソフトを作ってみないか」と提案したのが最初でした。駐在員として渡米する前から、アメリカには出張などで度々訪れていたんです。それまでの音楽ソフトといえば、日本では、電卓のようなもので音楽を打ち込むやり方が多かったけれど、アメリカでは、マッキントッシュのソフトで音符を貼り付けると音楽になるソフトが普及し始めていました。それを見た時に、「こんなん作りましょう!」って。結局それが、今でいうDTM(Desk Top Music)の元祖にあたるパッケージになりました。

その時は僕自身がプログラミングをすることはなかったんですが、渡米後に突然プログラミングの仕事を任され、プログラミングを勉強しました。経験はなかったけど、興味はありましたから、取り敢えずやってみようと、やり始めたら面白くて。性に合っていたんでしょうね。

― アメリカでの15年間は、ずっとそのメーカーに?

井手 いえ、渡米して3年くらいで別の会社に移りました。会社から帰国要請があったんですが、僕は帰国したくなくて。ちょうどその時、その先輩の会社がアメリカに進出すると聞いて移ったんです。そのまま、サンフランシスコ支社長までやりました。アメリカでは、いろんな立場で仕事をしました。ベンチャーキャピタルからの資金調達や、ネットビジネス、日本のソフトウェア会社のコンサルタントをしたこともありました。

― いろいろな体験をされているんですね。

井手 当時は、日本でビットバレーが盛り上がっていて、ホリエモンとかサイバーエージェントの藤田晋さんとか、熱い思いを持つIT系の人たちがこぞってシリコンバレーに来ていたんですね。僕も、その波にハマっていた時期があって、面白い経験でした。コンサルしていた会社が、いきなり買収されたり、当時、史上最大の買収劇なんて言われてました。インド人の会社で働いていた時には、入社当初は200人くらいの会社だったのが、1年後にはナスダックに上場して600人規模になったり……とにかく怒涛。でも、本当に面白かった。ハングリー精神のある人たちが集まっていました。

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茅ヶ崎も、共通するものがあるかもしれないですね。熱い想いをもって活動している……けど、何で食っているか、わからない人がたくさんいるじゃないですか(笑)。がむしゃらさというか、ひたむきさというか。茅ヶ崎歴は10年になりますが、みんな楽しそうだし、とても気に入っています。

― 井手さんのもう一つのキーワード、「ロハス」についても伺いたいです。ロハスとはどこで出会ったんですか?

井手 アメリカ時代に、シンセサイザーアーティストの喜多郎さんとお仕事をする機会があって。その喜多郎さんが住んでいたのが、コロラド州のボルダーという都市で、そこではロハスに関連したフォーラムが行われていたんです。

ロハス(LOHAS=Lifestyles Of Health And Sustainability)は、自身の健康と地球環境、両方を配慮するライフスタイルということです。ロハスはもともとアメリカでは、マーケティング用語なんです。そうしたライフスタイルを送る人を「ロハス層」と定義して、彼らに支持される会社になるためにはどうしたらいいのか、どういうマーケティングをすればいいのか、それらを考えるのがロハスフォーラムでした。フォーラムには、健康や環境に配慮する企業が集まっていて、例えば、パタゴニアの社長さんがスピーチされたりしていました。僕はもともとカリフォルニアの健康オタクだったから、ロハス層を知って、「まさに自分だ!」と嬉しくなって。日本に帰国する度に周囲に「ロハスって知ってる?」って話していたら、みんな、「面白いね」って言ってくれて、本を出すことになりました。

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― 本を出版されたって、さらっと仰いましたけど(笑)、なかなかできないことですよね。

井手 そうかもしれないですね(笑)。当時、ストレスケアとか癒し系情報を提供するiモードのサービスをしていて、その一環で自己啓発系のコンテンツを制作することになったんです。それでいろんな著者さんや出版社の方とコンタクトをとっていて、そこでぽろっとロハスについて話したら、そんな流れに。

僕が本を出した時、ちょうど雑誌「ソトコト」も同じようにロハスを扱い始めていたんです。それがすごくヒットした。「ロハス」は2005年には新語・流行語大賞の大関にも選ばれたりして(笑)時代的には、ヨガやオーガニックフーズが日本で普及し始めた頃で、それも相まって大きな流れになりました。僕の本が直接のきっかけではありませんが、時期的に、「ロハス」として出版された最初の本だったので、「ロハスを日本に持ってきた」と注目していただいたんです。

― ロハスって、今のSDGsとも繋がっているのかなと思うのですが。

井手 ロハスにもSDGsにも「サスティナビリティ」が重要ですから、その部分は共通していますよね。先ほどもお伝えした通り、ロハス層は、自分の健康と同じように、地球の健康も考えて行動する人たちです。例えば、20%くらい値段が高くても、オーガニックで健康的なものやエコ商品を買うとか。ですから、SDGsの特に環境系の部分は、ロハス層の人たちが関心を持つところだと思いますし、関連した活動をされている方も多いのではないかと思います。

それから、ロハス層は、企業のストーリーや姿勢を重視します。ですから、マーケティングの観点でいえば、SDGsにちゃんと取り組んでいないと、ロハス層から相手にされない、という側面もあると思いますね。日本でも、2006年頃のLOHASの市場調査で、性別や年齢に関係なく、4人に1人はそうした傾向があるとの結果が出ています。

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― 現在もロハスに関連した活動を続けられていますか?

井手 現在はロハスという言葉も概念も、一定の知名度を得ていますが、ことさらにロハスと言うことは少なくなりました。自分はカーボンオフセット事業なども手掛けました。健康についても、引き続き非常に興味がある分野です。ライフシフトや人生100年時代と言われる今、大切なのは、健康でいることだと思っているんです。

僕は今60歳を過ぎましたが、ロハスなライフスタイルを生活に取り入れたのは30代の頃です。2年半くらいベジタリアンとして生活していたこともありました。振り返ると、あの頃に健康的な生活にシフトしてよかったなと思うんですよね。身体に良いことって、今日始めて明日効果がでるものではありません。だから、健康シフト、ヘルスシフトを若い人にも知ってもらうことが必要かなと思っています。仕事が忙しくて、夜遅くにコンビニ弁当を食べる生活の人、なかなか運動できていない人の中にも、生活を変えたいと思っている人がきっといますよね。

それから、身体だけではなく、精神的な健康、ストレスケアなど、心と身体両方のバランスを取ることが大切です。メディテーション・瞑想なども効果的です。

― コロナについても、あまり神経質になりすぎずに、と言われていますね。精神面では、自己効力感を上げることも免疫力の一つだと。

井手 そうですね。精神面も免疫力にはすごく影響します。日本では、瞑想というとスピリチュアルなイメージが強くて苦手な人も多いかもしれませんが、自分の中で静寂の時間を作ることが、ストレスケアに効果があるんです。今って、やることが多くて常に時間に追われていたりしますよね。頭の中がごちゃごちゃで、整理がつかなかったり。だからこそ、1日5分でも10分でも、静かな環境で、雑念をなくす時間を作ることが効果的なんです。最近は瞑想のアプリもありますね。呼吸に意識を集中するだけでもいいんですよ。ロハスのコンセプトでもありますが、心と身体の状態を、その年齢なりに最高の状態に持っていくことを常に意識する。そうすると、健康を保てるし、免疫力も上がっていくかもしれません。

― 音楽活動についてはいかがですか?

井手 茅ヶ崎に引っ越してきてから、音楽と一段と近くなった気がしますね。「ちょっと弾いてみてよ」って言われることが多くて、今ではライブも好きになりました。今はSNSを通して、自分が繋がりたい人とどんどん繋がれるし、ミュージシャンの知り合いが増えたことで、その気になってきたところもありますが(笑)。今、「To Be Acoustic」の新しいアルバムも作っていて、今年中には出したいなと思っています。

今はストリーミングサービスで、音楽を手軽に聴けるようになってきましたね。それって、演奏する側からしても、可能性が広がっているんです。やり方次第では、茅ヶ崎の一室で作った音楽が、世界中で聴いてもらえるかもしれない。

世界が身近に、といえば、実は僕、グラミー賞授賞式にもタキシードを着て出席したことがあるんですよ。

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― えー!すごいですね。

井手 さきほどお話をした喜多郎さんが、グラミー賞に15回以上もノミネートされていて、受賞もされている方なんです。ちょうど7度目のノミネートでベストオブニューエイジアルバムを受賞されて授賞式に出席しました。

実は、グラミー賞って100部門くらいあるんです。僕の周りでは、他にも、大学時代の先輩が「エンジニア部門」でノミネートされていたり、取り扱っていたレーベルが「ハワイアン部門」で受賞したり…そうやって周りの人が受賞して、僕自身も出席してみると、不思議と身近に思えるんですよね。今後自分が受賞したり、自分が関わった人が受賞したり、そういう夢を持つことも、決しておかしくないなと。ピコ太郎さんのように、話題になれば、CDを出さなくてもビルボードにランクインしたり、アメリカではグラミー賞を取る人もいるくらいですから。

例えばYouTubeで1億回再生されると数千万円の収入になるとか、今はそういう時代です。そこに目を向けてみれば、ひょっとしたら、その路線から、世界中の人たちに注目されるアーティストを生み出せるかもしれない。ビッグヒットがなくてもいいわけですよね。日本で100万枚売れなくても、1000人でも2000人でも、聞いてくれる人が何カ国にもいれば、そのほうが逆に、自分の音楽を広められるし、本当に自分の音楽が好きな人と繋がれることにもなる。本当にやりやすい時代だなと思います。

― プロデュースで、今思い描いているものはありますか?

井手 僕はアコースティックな分野が好きなんです。喜多郎さんとの経験もあって、ヒーリングやリラクゼーションミュージック、人が安らぎを感じられる音楽をやっていきたいんですよね。YouTubeでも、自然映像を映しながらBGMを流すチャンネルがあったりします。そうしたものも、収入になるかもしれません。

― 過去の経験を振り返って、今の活動に生かされている良かったこと、それから、当時は辛かったけど、今思えば良かったと思うことはありますか?

井手 今までずっと、面白いなと思ったことはすぐに足を突っ込む感じでやってきているんですよ。最初に「二足の草鞋」と言いましたけれど、20代で何足も履きましたしね(笑)。その時は何もなくても、何年か経って、結果的に仕事に繋がっていくことが多かった。

学校で体系的に学ぶのではなく、突然仕事を任されて、その中で身に着けていったこともあります。僕の場合、プログラミングなんかは代表的です。興味があることって、一生懸命やるじゃないですか。振り返ってみると、興味に突き動かされながら、好きなことに関わって生きてきて、それらが繋がって……って過ごしているので、実は、20代から今までやっていることはそんなに変わってはいなんですよね。そんな風にここまでこられたのは、幸せなことだったなと思います。

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― 最後に、これからの目標を教えてください。

井手 ITと音楽とロハスをうまく組み合わせていけたらと思っています。茅ヶ崎ってオーガニックなことに興味を持っているミュージシャンもたくさんいて、僕が見ても才能があるなと思う人も結構います。音楽をする人の中には、バイトに時間をとられて、音楽をやる時間がないとか、それですり減ってしまう人も多いので、そうした才能のある人が、バイトしなくても済むくらいの活動ができたら幸せですよね。茅ヶ崎に限らず世界中の人たちに聴いてもらって、結果としてお金も入ってくるようになれば理想的。最近「チガサキレコーズ」というレーベルをつくったので、才能ある人たちを世界に出していくこともやってみたいなと思います。

― レーベル名に「茅ヶ崎」って入っているんですね。

井手 そうですね。茅ヶ崎は加山雄三さん、桑田佳祐さん、ブレッド&バターとか、年齢を重ねて輝いているアーティストのイメージが強いです。パシフィックホテルなど古き良き茅ヶ崎に思いを馳せる人も多いですよね。僕も、エイジレスな音楽の街という、市のブランディングなどにも関わっていきたいですね。

― 「健康」の部分ではどうでしょう?

井手 健康に特化したコーチングをやっていきたいと思っています。ヘルスコーチやライフコーチをつけることが、アメリカの健康思考の方の中では一般的になってきているんですよ。アメリカは特に、医療費がすごく高いですし、まずは病気にならないように、という意識が高いんです。予防医療というか。健康管理のアプリなどもいろいろありますね。ライフスタイルをヘルシーにするヘルスコーチは、日本でもこれから受け入れられていくと思います。ヨガや瞑想、オーガニックな食べ物とか、運動や食事に気を遣って生活する人たちは、いくつになってもピンピンして、90歳でもジョギングしたりしている。だから今後は、自分が健康でいるだけでなく、健康へのシフト、つまりヘルスシフトを促す活動をしていきたいですね。

― 今日は、素敵なお話をありがとうございました。

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<マイレジェンドから学んだこと>
お話を聴いていて、井手さんには「不可能」という文字はないのではないかと思うくらいいろんなことにチャレンジされ、多くのものを得ていらっしゃることがわかりました。その根底には、世界に向けられたアンテナ力、興味を持ったことは取り敢えずやってみる姿勢があり、そこからワクワクする世界が広がっているのですね。それを実現している若さは、30代からシフトして根付いている、ヘルシーで健康なライフスタイル。身体が動けていると、自分の健康にそこまで向き合っていない、そこまで気を使っていないことに気づかされました。
井手さんのお話の中で「日本で100万枚売れなくても、1000人でも2000人でも、聞いてくれる人が何カ国にもいれば、その方が逆に、自分の音楽を広められるし、本当に自分の音楽が好きな人と繋がれることにもなる。本当にやりやすい時代だなと思います。」とありました。こういうしなやかな感覚が井手さんの魅力の一つです。ITと音楽と健康が軸にあるからこそ、興味に突き動かされながら、好きなことに関わっていくと新たな繋がりが生まれている。その一つとして、チガサキレーベルの新たな才能を開花させた音楽が聴ける日が見えているように思いました。興味のままに飛び込むと、楽しい人生が待っている。そんな気持ちになれました。迷わず、突き進んでみようと思います。

 

インタビュー:山口 昌美
撮影:岩井田 優
文:もりおか ゆか