僕にとっては人間と生き物たちの境目がなくって。人間と自然が寄り添っていく世界をつくりたい。

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本気でまちを考えた結果「持続可能な農のある暮らし」を体現する大家さんを目指す石井光さん。介護施設、シェアリビング、コミュニティ農園、集合住宅と一見全く別の事業に見える全てが「持続可能なまちづくり」で繋がっている。自然と調和して生きていきたい人達に石井さんの自然を愛するカルチャーは大きな影響を与えていくだろう。

(石井光さんプロフィール)
辻堂出身/食と農と遊びのテーマパークEdiblePark(エディブルパーク)茅ヶ崎運営/shareliving縁と緑運営/コラージュ辻堂(高齢福祉施設)大家さん/今年30歳/辻堂の地主の1人である祖父の土地を引き継ぎ大家業を営む。持続可能な農のある暮らしであるパーマカルチャーをテーマに集合住宅ちっちゃい辻堂(仮)を計画進行中。

 

―光さんの辻堂のまちづくりへの想いを聞かせてもらったり、エディブルパークやshareliving縁と緑を運営されている姿を見て100CLUBの企画に合ってるなと想い取材させて頂きたいと思っていました。改めて光さんの今の活動についてお聞きしても良いですか?

ishii-san photo with interview member

石井 ありがとうございます。選んで頂いて嬉しいです。僕は元々辻堂に住んでいて、おじいちゃんから引き継ぎつつ大家業をしていこうとしています。大きく分けてやっていることが4つあるんですけど、コラージュ辻堂(高齢福祉施設)とshareliving縁と緑、食べられる遊び場 エディブルパークの運営、あと、パーマカルチャー的集合住宅ちっちゃい辻堂(仮)の建築計画をじわじわ進めています。

―パーマカルチャーとはどういう意味なんですか?

石井 パーマカルチャーというのはパーマネントアグリカルチャーまたはパーマネントカルチャーの略で、持続可能な農のある暮らしと訳されます。活かし合う関係性のデザインと言う人もいます。どうやったら人間の暮らし方が自然と寄り添っていく方向に変わっていくかというもので僕としては自然に人間も生き物も気持ちよく過ごせる暮らしと考えています。

Kerosine stove photo

―パーマって聞いたら髪の毛のパーマを連想してしまいました(笑)。

石井 そうですよね。元々髪の毛のパーマも永続的なという意味だそうですよ。

―光さんは元々大家さんを目指しておられたんですか?

石井 いえ、大学では生態学、エコロジーを学んでいて、虫とカエルと森林伐採の関係を奄美大島で研究していました。小さいころ好きだった『動物奇想天外』というテレビ番組の千石先生の影響ですかね。入学してから知ったんですが、千石先生はうちの大学のOBでした。その後コミュニティデザインに興味が移っていって。コミュニティデザインっていうのは、地域住民の方が地域の課題を自分たちで見つけて、自分たちで解決できるように促していって、自分たちで自走出来るようになったら手を引いていくみたいなことをされている方たちがいて。それで人間社会の方に興味が移ってきて、その後生き物のことと人間社会のことが合わさって、パーマカルチャーに行きつきました。

最近は、資本主義的な限界を感じることもあるし、気候変動も激しくなってきていて。つまり暮らしが自然と寄り添ってない感じがしていて、大家の立場で自然と寄り添った暮らしに転換するきっかけを提供出来ないかなと考えるようになって今に至ります。

―パーマカルチャーを取り入れた大家さんということなんですね。

石井 はい。最近興味があるのが農、障害福祉、芸術ですね。小学生のころは農家さんがダサいなと思っていたし、正直クラスの障害がある子とどう接したら良いか分からなかったり、芸術も絵を描くことが人と比べて上手くないのが恥ずかしいと思っていたんですけど。今はガラッと変わって障害福祉や農業もこれからの可能性をすごく感じるし、やっぱりアートだよなってなってきました。ここ数年ですかね。

―4つの事業内容をお聞きしながら、もう少し石井さんについて深く掘り下げていきたいのですが。まずはコラージュ辻堂から。

石井  はい。コラージュ辻堂は2年半前に相続対策も兼ねて建設した介護施設です。土地活用を相談したとき、ハウスメーカーから提案をうけました。人口減少・高齢化に伴って、ただのマンションではこれからの時代空き家になってしまう場合もある。けれど介護施設であればますます地域に必要になってくるし、当時はコミュニティデザインにも興味を持っていて、介護施設が地域の介護拠点にもなりそうだなと思ったんです。こちらの施設は運営の方が別にいるのでなかなか距離感が悩ましいところなんですけどね。僕が前のめり気味なので(笑)

―そうなんですね。2つ目のshareliving縁と緑は?

石井 今回取材に来ていただいたここがそうです。ここは去年5月から空き家をリノベーションしていて、横の空き地と合わせて地域の防災能力を上げられないかなと思っていて。またパーマカルチャーを実践する場として考えています。そのうち鶏も飼いたいなと思っています。

kitchen photo

light bulb lighting photo

Arched entrance photo

―照明やアーチ型の入口がとてもお洒落ですね。

石井 ありがとうございます。ここは僕のやりたいことを出す場にしたいと思っています。去年の台風19号の影響もあって防災も絡めて何か出来ないかなと思って。地域の防災拠点やまちづくりって大家さんこそ主体的に関わっていくのが大事なんだなと思います。大家さんなら何か始めるのに場所が用意しやすいじゃないですか。

shareliving member photo

shareliving member photo at dinner

―たしかに、去年の台風はかなり被害が大きかったですよね。

石井 はい。台風19号は相模川上流のダムが決壊したら1週間水が使えなくなるかもという話が出たじゃないですか。その時は幸い断水にはならなかったんですが、大きなシステムに依存して、自分じゃなにもできないでいるととても弱いなと思って。あちら見えますか?あそこに見える井戸はここをリノベーションはじめてから手掘りしたんです。飲み水としては保健所を通しているわけではないので使ってはないんですが、物を洗えてトイレを流せるだけでも安心感が違いますよね。6m掘って3m水が溜まってます。これから空き家もどんどん増えていきますし、その活用方法として防災を絡めて一つの事例になれたらいいなと思っています。こういう空き家の使い方が地域に広まれば、より安心して住み続けられるまちになると思いますし。

―すごく本格的ですね! 3つ目のエディブルパークはいかがでしょう。

石井 コミュニティ農園EdiblePark茅ヶ崎は、茅ヶ崎の赤羽根で運営をしています。僕ははじまってから半年くらい経ってから運営に関わり始めました。そのあともともと運営の中心だった方が忙しくなっちゃって……僕が運営の中心になりました。エディブルは一般的な貸し農園と違って共同作業、収穫も分け合ってやっています。また野菜作りだけじゃなく、鶏がいたり、火を使って調理をしたり、DIYしたり。昔のお百姓さんみたいに農的なことを少しずつできるようになっていって、それを暮らしの中でも実践する人が増えていけば、まちの景色も変わってくるんじゃないかなと思ってやっています。

Community farm member photo

Plowing the soil photo

―エディブルパークのお話は卵かけご飯の会で聞いたことがありました!光さんが運営されていたんですね。今、エディブルパークは出来てどのくらいなんですか?

石井 出来て2年半です。

―エディブルでは鶏を飼っているんですね?

石井 はい。移動式のにわとり小屋(チキントラクター)なんですが、ある意味EdibleParkの象徴というか。鶏は卵を産むだけじゃなくて雑草を食べる、土をひっかいて耕してくれる、糞をして土をよくする、可愛い、自然とコミュニケーションも生んでくれて。チキントラクターはいろんなできることを引き出してくれるんです。そんな感じで、メンバーさんにもやりたいこと、好きなこと、できることを持ち寄っていただいてまわっていくコミュニティをめざしています。

Chicken photo

Chicken eggs photo

―たしかに!コミュニケーションという役割は考えていませんでした。

石井 ここでは上下関係を作らずにみんなでゆるくやるのを大事にしています。人間社会だけがピラミッド型になっている感じがしていて、元々、大学時代の研究室もバリバリ競争意識があるところで、もちろん良いところもあるのですが、疲れたというか、競争するのが向いてなくって。中学受験したんですけど、その頃の席順がテストの成績で決まるシステムで、5年くらい前までその意識が抜けなかったんですよ。人と会った時に自分が相手より下か上か勝手に測っちゃうところがあって。それって人の目をすごく気にしていることにもつながっていて、どっかで疲れるんですよね。

photo of Meal in the field

―こういう場所ではフラットなコミュニケーションって大事かもしれないですね。フラットな運営をする上で大切にしていることはありますか?

石井 そもそも僕自体がリーダーシップを取ってがんがん引っ張っていく感じでもないですし(笑)。むしろメンバーさんたちのおかげでまわっているような感じです。

あとは長く続けるにはどうしたらいいか?というのを考えて無理せず「頑張りすぎない」ことを意識していますね。いかに長くやれるか?が大事じゃないでしょうか。畑も人間関係もある意味自然が相手ですから、時間がかかりますからね。

―頑張りすぎていたらいつか出来なくなってしまいますもんね。今エディブルパークはメンバーは募集しているんですか?

石井 今もしています。現在11組で、顔の見えるコミュニティとしては50組は多い気がしているので30組くらいがちょうどいいのかなと思っています。個人で仕事している方や会社に勤めながら主婦をされている方が多いですかね。

―エディブルパーク是非見学に行かせて頂きたいです。

石井 エディブルパークでは毎週土曜日の午前中はメッセージ頂ければ見学できますよ。EdiblePark茅ヶ崎の良さは“人”と“場”だと思うので、僕があれこれ説明するより来ていただくのが一番早いです。先ほどお話に出た産みたての卵で卵かけごはんの会も不定期で開催したりしてますよ。ぜひ、遊びに来てください。

Harvested sweet potato photo

Watermelon photo

Field work members photo

―わかりました!産みたての卵楽しみにしています。さて、話を戻して4つめの事業に。

石井 最後がパーマカルチャー的集合住宅ちっちゃい辻堂(仮)ですね。ここは建設はこれからなんですが、200分1の設計図まではできました。

本当は今頃にはできている予定だったんですが、祖父と相談しながらやっている感じです。祖父に新しい話をするとよく「騙されてないか?」と、心配されながらやっています(笑)。新しいことをやるのは時間がかかりますね。

―おじいさんはおいくつなんですか?

石井 えっと…….あ、ちょうど今日で88歳ですね!

―なんと、おめでとうございます!!

石井 ありがとうございます。この4つを絡めて農的なことや福祉的なことがまちへ面的に広がって行けばいいなと思っています。もともと福祉は幸せという意味らしいですし。

ishii-san photo at shareliving

―なぜパーマカルチャー的集合住宅を作ろうと思ったんですか?

石井 自然に寄り添った暮らしをはじめるのにいきなり田舎に移住だとハードルが高いと思っていて。今までの暮らしから一気に変わらずとも、肩ひじ張らずに小さな循環のある自然と寄り添った暮らしにちょっとずつ転換していくきっかけがつくれればと思っています。畑があって、食べられる果樹があって、井戸があって、みたいな。そうすれば結果的にまちに自然も戻ってくるなって。僕が小さいときの辻堂ってもっと自然が多かったんですよ。祖父に連れられて羽化する寸前のセミの幼虫を釣っていたような。家で羽化するのを待って観察するなんてのをやっていました。だいたい寝ちゃってて見れないんですけど(笑)。

2軒先が諏訪神社なんですけど、僕の記憶だとそこも20年くらい前はもっと大きな樹がたくさんあって。うちの庭にもヒキガエルとかトンボもいて……。自然との関わりが多かったです。

―そうだったんですね。セミを釣る!すごい!(笑)

石井 今考えると珍しいですよね。けど僕からしたらそれが普通で、逆に今は友達が減っちゃったみたいな感じで。友達が住みやすいような街にするということがしたくてこの集合住宅ちっちゃい辻堂(仮)の計画を始めました。あ、友達ってのはヒキガエルや昆虫のことね!(笑)

―さすがです!(笑)。

石井 僕にとっては人間と生き物たちの境目がなくって。他にも祖父の話では、うちの庭にフクロウがいたらしいんですよ。80年も前の話だと思いますが。そういういろんな生き物がイキイキとしているような環境って、自分も癒されるし、気持ちいいなって。そういうの僕は好きだな。

―光さんが成長するにつれて自然がなくなっていってしまったんですか?

石井 はい。相続対策で大きいマンションが建ったりコンビニになったり、広い空き地だったところに家がたくさん建ったりしてだんだんと自然は減っていきましたね。どこのまちも同じような感じになっていっているように感じていて。その時の経験から、自然環境もそうだし、福祉もちゃんとしていないとその街から人は離れちゃうなと思って。街がなくなってしまえば必然的に大家の仕事もなくなってしまうって思ったんです。

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―そうだったんですね。光さんが大家さんになったのはどういうきっかけだったんですか?

石井 元々大学を卒業する頃までは大家さんになることを具体的に考えたことはありませんでした。その後大学院に進学したのでそのままだったらふつうに大学院を卒業して就職することになると思うんですけど、大学院の研究中に車で派手に事故ってしまって。僕は幸い無傷だったので、ほんと車に守られたなと思いました。その後、研究で車が使えなくなり、先生を納得させられる新しい研究内容が提案できなかったんですよ。

―それは大変でしたね。では、そのまま大学院を卒業されて大家さんになられたということですか?

石井 いえ、その大学院時代に事故をしてしまった後、修士2年に上がる時に研究の中間発表をしなきゃいけないんですけど、そもそも研究が再開できてなくて。となると卒業見込みも立ってないので、就活もできない。これからさらに2年かけて大学院を卒業するかというと、それも先が見えないしで、人生に行き詰ってしまったんです。それで、どうしても時間が必要だなと思って。休学してロンドンに8か月行くんです。ロンドンから帰ってきた後大学院に復学するか、大家さんを引き継ぐのか、就職するのかという感じでした。うちは父親がいないので将来的には自分が大家さんをやらないといけないなというのはふんわりとは分かっていたんですけど大家さんになったらやりたいことができるかも?と思い始めたのはこの2〜3年です。

―そうなんですね。では、それまではどこかで働いておられたんですか?

石井 はい。大学院を中退してからは自然環境保全をしているNPOで一年半くらい働いていました。

―すごく光さんに合っている職場な気がしますね。

石井 はい。それから大家さんとしての計画を進めたり、EdiblePark茅ヶ崎などの活動に割く時間が増えていって。ただ、その頃、僕の同期とかは大手企業に就職していてバリバリ働いていて。事故をしたときに僕には良い中高、良い大学、良い会社という社会のレールみたいなものが消えちゃったんで。なんのために生きてるんだろうって思うこともあったんですが、派手に車で事故ったのに無傷だったこともあり、まだなにか生きてやるべきことがあるんじゃないかって思っています。今髪を伸ばしているのも、社会のレールから外れたことを自分に言い聞かせる意味もあるんです(笑)。ネイティブアメリカンの人が髪を伸ばしているのは、感覚が研ぎ澄まされるからって聞いたこともありますし。

―感覚で感じるのは、大事ですよね。

石井 はい。そういうちょっとスピリチュアル系のことも、バランスのいいところでちょっと気にしています。

ishii-san photo at inteview

―お話を伺っていて光さんが自分自身の経験を通して学ばれてきたことがたくさんあったんだなぁと感じました。最後に、これからのヴィジョンを聞かせてください。

石井 事業的にももっとこれから回していけるようにしていきたいですね。ただ、お金だけにとらわれてしまうのは違うなと思うんですよね。お金に頼らずできることが少しずつ増えるといいなと思います。今やっていることはありがたいことに人とのつながりとか経験とかそういったお金以外のものが溜まっていると思っていますね。

長い目で見ると辻堂を“森”にしたくて。それは物理的に樹が多くて、畑があり、いろんな生き物がいて、健全な生態系がそこにあるってことと、概念的にも高齢者の方も障害のある方も多様な人がいて、有機的なつながりがあるようなそんな場所のイメージです。そんな森の中で自分は大きな樹になれるといいなと思っています。鳥や虫のすみかになったり、木陰で人が休んだり。生き物も人間も含めて、他の命の居場所をつくれる存在というか。

あと個人的には自然とめっちゃ調和している仙人みたいになりたいですね(笑)。そういう存在でありたいです。

―本日は、ありがとうございました。

石井 こちらこそ、ありがとうございました。

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<マイレジェンドから学んだこと>
光さんがパーマカルチャーが好きということは何度かお話を伺う機会があったのですが、元をたどると辻堂の神社や庭で友達(カエルや虫)と遊んだことが原体験にあるんだなというのを今回の取材で改めて感じました。また、育ったまちを豊かなまま残していきたい、みんなに愛される場所にしたいという純粋かつ視野の広い考え方も、辻堂で代々過ごしてきた石井家としての責任感からくるものなのだと気づきました。持続可能なまちづくりを今まで国内外の様々なところで知識を習得されてきて、それを自分のものにすべく実践を続ける光さん。彼が今の思想で50年活動し続けた世界を見たいなと思いワクワクします。100のスキルを持つ百姓を越えて、自然と調和する仙人に間違いなくなっているでしょうね(笑)。(順平)

石井さんと私は結構な年の差ですが、お話しを聞いてとても共感出来る方でした。ここ数年感じる事。世の中には様々な問題があり、それを解決するためにSDGsなど提唱されていますが、個人として何ができるかとか考えていました。1つの解答が石井さんの活動だと思います。 これらは失敗も含めて、ご自身の経験の積み重ねから生まれたものと思われます。 行動から信念が生まれて、新たな行動へ繋がる。持続して行動する事の大切さを学びました。(譲司)

 

インタビュー:高橋譲司、山口順平
撮影:岩井田 優
文:福間貴子