この年になると、生きているだけで褒められるの。でもそれだけじ ゃ申しわけないでしょう?だから私も、少しでも人のお役に立てた らなぁって。

卒寿を迎えた小島さんは、いつも「楽しいこと探し」。日常のなかの何気ないこと、季節の花々や景色、道の小石や端切れにまでまなざしを向け、歌(短歌)にしたり、小さなアクセサリーを作ったり。「昔から、”生”にはあんまり執着がないの」と言いながらも、人とつながることで”生きる”を楽しむ。そんな小島さんの、チャーミングな笑顔、ユーモア、エネルギーに惹かれ、お話を伺いました。

(小島みち子さんプロフィール)
新潟県長岡市生まれ。学生時代に家族とともに東京に転居。大学卒業後、洋裁師などとして勤務したのち結婚。茅ヶ崎市に浜見平団地が完成した1964年、家族4人で移り住み、以後同地に暮らす。

―みち子さんが道を歩いているだけで、周囲がパッと明るくなる気がするんです。頭のてっぺんからつま先まで、いつもおしゃれ。ファッションにはどんなこだわりがあるのですか?

みち子さん こだわりというのとは違うかなあ。私、まじめじゃないの、不良なの(笑)。なんでも遊びにしちゃいたい。布やボタンを見ていると、これとこれをくっつけたらどうなるのかなって、どんどんイメージが湧いてくる。服だけじゃなくて帽子や靴と組み合わせて色や雰囲気をつくっていくのは、パズルみたいなもの。うまくいくと、「やった!」って思う。「楽しいこと探し」のひとつなの。

―洋裁師のご経験がなかったら、なかなかできないと思いますよ。昨年の秋は、そのご経験を活かして作品展示会を催されましたね。会場(BRANCH茅ヶ崎2 イベントスペース サンノイチ)にはご友人やみち子さんの「端切れにも命を吹き込む」という思いで制作されたリメイク服や、ユニークな作品の魅力に惹かれてたくさんの方が来場され、展示物やみち子さんとのおしゃべりを楽しんでいかれました。

みち子さん 若いときから「徒然屋」という屋号で、軽井沢とかあちこちで作品展示会を開催したり、自宅を開放して自作の服をたくさん並べてサロン風の「着せ替えごっこ」遊びをしたりしていたの。さすがにもう自宅に大勢を呼ぶというのはできないんだけど、私の遊びごころを皆さんにお分けして、ちょっとでもいい時間が提供できたらって思って、今回の展示会にチャレンジさせてもらいました。私のこの気持ちが伝わったかな、来てくださった方々は楽しそうにしていらしたし、男の方が多かったのも嬉しかった。男性のほうが遊び下手でしょ?

―そうかもしれません(笑)。「楽しいこと探し」のおすそ分けですね。みち子さんの、身の回りにある小さなものへ向けるまなざしや、捨ててしまうようなものにも手をかけて新しい命を吹き込む思いが伝わってくる展示会だったと思います。ずいぶんいろいろなものがありましたよね。

みち子さん そう、ヨーグルトドリンクのプラスチックの蓋で作った指輪や、使用済みのカレンダーで作った折り紙の箱とかね。展示物のひとつの、茅ヶ崎の海で何年、何十年も削られてすべすべになった石にシールを貼ったものは自信作。あの石は夫と茅ヶ崎の海岸で拾ったもので、思い出いっぱいなの。そういう材料集めから楽しまないと。裏に模様のある郵便物の封筒やミルクポーションの容器を手に取っては、あれに使おう、こんなふうに利用できないかなってあれこれ考えて。娘も協力してくれて、普通ならゴミにしそうなものまで持ってくる(笑)。

―展示会では、そんなふうにして作られた指輪や折り紙の箱を、一人ひとつ限りのプレゼントにしました。ずいぶんたくさんの方が、喜んで持って帰られましたね。

みち子さん あれはちょっとびっくりしたわ。あんなにたくさん作っておいたのに、すっかりなくなって。でもあれ、皆さん、持ち帰ってどうするのかしら?

身の回りのものはなんでも、楽しいことにつなげる材料してしまうみち子さん。ヨーグルトの蓋は指輪に(左上)、茅ヶ崎海岸の石はオリジナルオブジェに(左中央)、ミルクポーションは小さなハットに(左下)変身。お知らせ封筒の裏の模様(右)、こんなにたくさんあるなんてびっくり!

―楽しい気持ちで、手に取って眺められるんじゃないでしょうか。みち子さんがおっしゃっている「楽しいこと探し」のおすそ分けというのは、そういうことなんだと思います。展示会のテーマとして、「どれひとつ この世に生(あれ)しものなれば 慈しみてあれ 端布一葉も」という歌を伺ったのですけれど、まさにそのとおりの作品ばかりでした。歌を詠むのもお好きですよね。

みち子さん 歌もやっぱり遊びなの。きちんとやっている方々には申し訳ないけれど。ただ、日本語の風情はとても好きだし、言葉を大切に扱いながらも相手の感性にその解釈を委ねて、情緒や景色を映していくのは素敵なことだと思う。「文学」として認識するのとは、少し違うの。私の場合は、言葉も感覚的にとらえるほうがしっくりくるみたい。周囲に「文学」にゆかりのある人が多かったからそれに触れる機会は多かったのにね。


―ご姉弟は国語学者と小説家ですものね。ご家族や、子どものころや東京での暮らしはどのようなものでしたか?

みち子さん 小中学校時代は戦争中で、死ぬことが常に身近にあったし、戦後は食糧難の時代だった。親はもちろん、年長の姉たちは苦労したと思う。なんとか凌いで戦後数年して私は女子大に入学して、それはそれで楽しかったけれど、卒業して勤めたくても女性の働き口はすごく限られていた。悔しい気持ちがある一方で、自分でも男の人と対等に働く自信がなかったから結婚して専業主婦になったの。その代わり、専業主婦になるならプロの主婦になろうって決めていた。家計のこと、家族のこと、親族の介護のこと、全部プロとして臨もうって。夫はすごく不思議な人でちっともサラリーマンらしくなかった。絵や音楽や旅に生活が苦しくなるくらいお金を使うので困ることも多かったの。でもそのおかげで素敵なものに触れる機会をたくさんもらえた。充実した専業主婦生活だったんじゃないかなあ。

―そういう積み重ねが、今のみち子さんの魅力になっているのかもしれませんね。

みち子さん ありがとう。プロとして仕事をして、しかもそれをどこかで楽しんでやるって思っていれば、無駄なことはひとつもなかったと、今では思える。越えてきたなあって。私の時代は制約がたくさんあったけれど、今の若い方はやろうと思いさえすればなんでもやれるでしょう? でも、選択肢がたくさんありすぎて、それはそれでかえって不自由よね。自由ゆえの不自由。自由のなかで生き方を見つけるのはかえって難しいことだと思う。実は高齢者もそうなのよ。何をしてもいいって言われるけれど、やらなきゃいけないことはあまりないし、やりたいこともそんなにない。でも生きていると、毎日明日が来る。明日どうやって過ごそうか、明日をどう埋めようかって考えて、結構大変なのよ。


―そうなんですか? すごく楽しそうですよ? なんにでも興味をもって、毎日充実しているように見えます。

みち子さん 卒寿の高齢者は、テレビなどでいう「高齢者」とは違うのよ。「前期高齢者」でも「後期高齢者」でもなく、「最終高齢者」なんだから。骨折したり病気になったりするしね。健康食品や美容グッズだって、「いまさら使ってもねえ」と思うくらいの年齢なの。ほとんど仙人よ(笑)。そういう最終高齢者が、皆さんのお手を借りながらもなんとか社会の一員として暮らしていくには、自分でポジティブになっていくしかないの。

―そういう気概をもって、自分の感性を磨いて、周囲のことに心を寄せながら人とかかわって、日々の暮らしをていねいにおくる姿勢が、周りの人たちのことも明るくするのでしょうね。ずっと、そういうふうに暮らしていっていただきたいなと思います。

みち子さん 卒寿くらいになると、皆さんのお世話になるばかりなのに、生きているだけでみんなが褒めてくれるの。でもいくつになっても、人のお役に立てる自分でいたい。だから、気力が萎えそうになっても根性を出して「楽しいこと探し」をして、なんらかの形で皆さんとかかわっていきたい。そういう意味でも、展示会をやる機会をいただいたのは、本当にありがたかった。スタッフの皆さんに、感謝感謝です。

<マイレジェンドから学んだこと>

楽しいこと、うつくしいもの、ファッション。自分の感性を大切に暮らすことで知らずしらずのうちに周りの人をも豊かにしてしまう。小島さんの人生の端っこをおすそ分けいただくことで、私自身の「ありたい姿」を考えることができました。
誰のものでもない、私の人生。自分の信じる「ありたい私」に向かうために、うつくしいものに触れ、人と交わり、言葉を丁寧につむいで「感じる心」を鍛えたいと思います。

インタビュー・文:柴田 真季
撮影:岩井田優

昨年10月の展示会にて。インタビュアーの柴田真季さん(左)と小島みち子さん(右)