前に進むために大切なのは、好奇心と野次馬根性。自分が動けば、きっと誰かが応えてくれる。

Osawa-san with Interview members

笑いとヨガの呼吸法を組み合わせたエクササイズ、笑いヨガ(ラフターヨガ)。「湘南笑いヨガクラブ」を主宰する大澤美實さん(通称:ミミさん)は、6年前、80歳を超えてから笑いヨガに出会い、今では講師として毎月施設に出向くなどの活動を続けています。90歳を超えた今でも精力的に活動し、認知症予防などの活動に取り組むミミさんの元気の秘密に迫ります!


(大澤美實さん(通称ミミさん)プロフィール)
「湘南笑いヨガクラブ」代表。みんなの認知症予防ゲームリーダー、スリーA認知症予防教室インストラクター、コグニサイズ普及実習インストラクター。これまでにコピーライターや編集ディレクター、書籍の企画など多岐にわたる仕事に従事。60歳を超えて傾聴ボランティアを始め、その後、笑いヨガのリーダー、ティーチャーの資格を取得。現在、まちづくりスポット茅ヶ崎、高齢者施設などで精力的に活動を続ける。

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―本日はよろしくお願いします。先日は笑いヨガを体験させていただきありがとうございました。1時間のレッスンでしたが、結構疲れてその日はぐっすり眠れました

ミミさん そうでしょう。笑いと呼吸の相乗効果で結構疲れると思うよ。普通の呼吸だと500mlくらいの空気を吸って吐いてって繰り返しているんだけど、笑いヨガの場合はその3倍、1500mlくらい吸って吐いてが出来ると言われているからね。肺にたまった二酸化炭素が吐き出されて、新鮮な酸素が脳内にたっぷり取り込まれたんだろう。

―最初は「笑う」なんてできるのかと思っていましたが、意外とできるものですね。冗談やユーモアで笑うというのは感覚が違って、腹の底から低い声を出すエクササイズと考えるとやりやすかったです。

ミミさん みんなで思いきり大きな声を出しても心配がない環境でやっているからね。最初は照れがあってもすぐ慣れるよ。「やったーやったーイエーイ。いいぞーいいぞーイエーイ」とお互いたたえ合う雰囲気を大切にしているんだ。

―今は笑いヨガは、どのくらい講座を持たれているんですか?

ミミさん 月2回のまちづくりスポット茅ヶ崎でのイベントと、そのほか茅ヶ崎と寒川の2か所で高齢者施設の訪問をそれぞれ月2回ずつ。訪問はもう丸4年になるかなあ。週に3日はなんらか外出しているね。

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まちづくりスポット茅ヶ崎 笑いヨガ体験教室開催ポスター・チラシ

―すごい活動的ですね。笑いヨガはいつごろからされているんですか?

ミミさん 6年前から。鵠沼でシニア向け・子ども向けの企画をしていたとき、たまたま同じ場所で笑いヨガのレクチャーがあって。そこで知り合った笑いヨガのティーチャーが、私が傾聴ボランティアをやっているのを知って、「せっかくなら笑いヨガも取り入れたら」と勧めてくれたのが始まりだった。それでリーダー養成講座を受けて。一昨年には、ティーチャー養成講座を受講して、それから自分で講座もやるようになったんだよ。

―傾聴ボランティアというのは、どういうものでしょうか?

ミミさん 「アクティブリスニング」って聞いたことあるかな。「傾聴」は「アクティブリスニング」ともいうんだけど、相手の話を聴くことに集中して、相手に寄り添い、受け止める。そうすることで心を癒す役割を持つ。臨床心理学を教えている先生が立ち上げたボランティアで、日本が一番古いんだよ。

海外では、喪失体験を持つ人のケアをするための「グリーフケア」というものがあってね。傾聴に役立つから、それも半年間の研修を受けた。高齢者施設などを訪問してひたすら話を聴く、という活動は、いまでこそ広まってきているけど、10年ほど前に私がボランティアを始めたときは、全く認知度がなかったんだ。

笑いヨガを取り入れることで、ただ聴くだけじゃなくて、一緒に楽しめる。笑いヨガは、健康増強に効果があるというエビデンスもあったから、それも交えながら講座をしているよ。

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―そもそも「聴くこと」に興味を持ったのは?

ミミさん もともとジャーナリスト志望でね。父が新聞記者だったことも影響していると思うけど、取材をして記事を書くことをポリシーにしていた。もちろん、記事にするかしないかは会社全体の意向もあるし、自分で決められることではないけど、記事になるような取材をすること、そして、反響を考えながら取材をすることが大事だと教えてもらった。そんなとき、アメリカで「コピーライター」という仕事があることを知って、面白そうだと思って広告代理店でコピーライターを始めたんだ。当時はコピーライターという呼び方が無かったから「文案家(ぶんあんか)」という名前だったけどね。

―広告代理店が最初の仕事ですか?

ミミさん いや、最初は昭和23年くらいかな・・・。福岡のGHQの検閲所で個人の手紙や新聞、雑誌なんかをチェックする仕事だった。英語ができるからって知人に紹介してもらって。そこに1年半くらいいたかなあ。

そのあと、母親がやっていたタウン誌の仕事の手伝いを。そこで、取材して原稿を書くのって面白いって思うようになった。新聞記者をやっていた父からアドバイスをもらいながら書いていて、それが取材のはじまり。

それからしばらくしてさっき話した広告代理店に。コピーライターはスカウト全盛期でね。ちょうど東京コピーライターズクラブができたところで私も会員だったから、転職には困らない時代だったよ。

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―そこから転職されたのはいつごろですか?

ミミさん 転職しようと思ったのは30代に入ってからだね。フリーライターとして活動を始めたけれど、今と違って当時は苦しくて、ツテを頼って売り込みながら人脈を作っていく毎日だった。でも、その時に「朝日広告賞」という広告業界で栄誉ある賞をとるような仕事もさせてもらってね。それが一番の成功体験だったかなあ。

でも、しばらく経ったとき、道端に自分が作った新聞広告が捨てられて、踏みつけられているのを見てしまって。自分の広告はこんなものなのか、読んでくれている人はいるのかって情けなさや疑問なんかが出てきて・・・それで書きたいことを書く、取材中心にやっていこうと思ったんだ。

その後、40代で一度仲間と一緒に広告プロダクションを立ち上げて。それから、PRの会社に入った。これも紹介だったかな。そのあとフリーに戻って、しばらく取扱説明書を専門に扱う会社でディレクターをしていた。設計者や開発者と話して取説の原稿を作るという仕事で、海外向けの英文マニュアルをつくる仕事は大変だったなあ。業務提携先が米国のミネアポリスにあったから、東京とは時差があってね。原稿の確認をFAXで送るんだけど、そのタイミングを図ったりとか(笑)。そのあとバブルが崩壊してまた会社を移らざるを得なくなってしまって。それが50代の終わり頃かな。

―いろいろな体験をされてきているのですね。茅ヶ崎は、いつから暮らしているんですか?

ミミさん 50代の終わりくらいに越してきた。以前は川越にいたんだけど、釣りが好きでね、茅ヶ崎にはよく海釣りに来ていたんだ。それで、海岸近くで物件を探していて。今の家を建てたのは42年前だね。

ー茅ヶ崎に来てすぐ、傾聴のボランティアを始められたんですか?

ミミさん いや、ボランティアを始めたのは、還暦を迎えて翌年の、61歳のときくらいだったね。当時は、還暦を過ぎて就職をすることが難しかったから、ボランティアをやろうと思って。だけど、それだけでは食べていけないから、少しでも稼ごうと思って自分で本の企画をしたりもしていたよ。

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―企画ですか。

ミミさん そう。最初は、盲導犬の本を。それも、「盲導犬の本を書きたいんだけど取材協力してもらえるか」って盲導犬を育成する団体に売り込みにいって。2年がかりで取材をして本をつくったんだ。それがきっかけで、大磯にある盲導犬を育成するNPO団体のスタッフとして参加し始めた。それから、たまたま飲み屋で知り合いになったのが出版社に勤める編集さんだったりしてね(笑)。漫画家と一緒にシリーズ本をつくろうって話になってレジュメをつくったら企画を進めることになって。

―すごいですね、人とのつながりが。

ミミさん 仕事を続けてこられたのは、人とのつながりのおかげだったと本当に思うね。自分の才能も大切かもしれないけど、いかに人に認められて、ずっとつづく仕事に結びつけられるか、という部分も大切だと思うよ。遠慮していたら進めないから、待ちの姿勢ではなく、周りの人に頼んでみたり、紹介してもらったり、自分から動かないとね。

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―我々のような取材に対するアドバイスがあれば教えてください。

ミミさん そうだな。①コピーや広告を作るときは取材をもとにつくること ②相手の良いところ、悪いところすべて聞くということ ③なぜそうしたのか?という行動の背景を探ること ④細かく色々聞いて、最後は自分の選択で内容の編集をすること・・・などは意識をしていたかな。

―今の時代、退職した後に何をしたらいいのかって迷う方も多いと思いますが、その人たちになにかアドバイスはありますか?

ミミさん 私の場合、原動力になっているのは、好奇心と野次馬根性かな。それから、自分が楽しいと思うことをやること。

野次馬根性っていうのは、気になることはなんでも聞いてみよう、深堀してみようとか、人が集まるところに顔を出してみようとか、そういう行動力のこと。いろんなことに触れる中で、やりたいことがあれば参加するようになる。ものごとに興味を持つこと、それが第一歩だね。

―最後に、これからミミさんがやっていきたいことをお聞かせください。

ミミさん 笑いヨガでの目標は2つある。一つは、後継者育成。今年度中に茅ヶ崎でリーダー養成講座をやりたい。ここにいる女性の栗林さん(くりさん)は今一緒にパートナーとしてやって頂いています。こうした仲間をもっと増やしたいな。

もう一つは、認知症予防教室を行政とタッグを組んで継続してやっていきたいと思っているんだ。今日は取材側の戸田さんとは、以前茅ヶ崎市に協働事業のプレゼンに一緒に行ったね。また一緒にお願いします。

―これからも元気に活動を続けてください。インタビューは以上です。ありがとうございました。

interview members and Osawa-san

まちづくりスポット茅ヶ崎にて 左から戸田、大澤さん、栗林さん(笑いヨガリーダー)、山口

<インタビューを終えて>

笑いヨガをなぜ始めたのだろうととても気になっていましたが、以前から傾聴ボランティアしていて、さらにその前の現役時代はコピーライターとして日々取材を繰り返していた経験があったということを伺い、とても納得できました。相手との会話からその人を良く知り、喜ばせるということが昔からプロフェッショナルだったのですね。その手法はコピーライターから笑いヨガに変わるとしても、価値発揮していることの本質は同じなのだと思いました。そして好奇心と人を巻き込む力で90歳を超えてもなお先を見据えて活動する姿にとても勇気を頂きました。(山口)

ミミさんと出会うキッカケは2年程前、湘南地域で活動している笑いヨガクラブを探していたところミミさんが代表の「湘南笑いヨガクラブ」をホームページ上で見つけたところからでした。問い合わせのメールを発信したところすぐに丁寧な返信があったことを今でも覚えています。その時はまさか90代の方がクラブの窓口役やチラシ作成などをご自身で行っているとは考えもしませんでした。そして、実際に会ってみたらそのパワーに圧倒されました(笑)。90代にして尚、未来志向で行動する生き方に見習うところがたくさんあることを改めて感じました。湘南地域の笑いヨガ、まだまだこれからも一緒に盛り上げていきたいと思います。(戸田)

インタビュー:戸田 雄輔、山口 順平
写真:柴田 真季
編集:もりおか ゆか